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2005年11月 1日 (火)

6 他の「幻覚」の場合との比較

それでは、分裂病の幻聴の声の特徴としてあげたものをもとに、前に挙げた、現実の人の声以外の声を聞くいくつかの場合と比べてみよう。そうすることによって、さらに分裂病の幻聴の特徴が浮き彫りになるはずである。

1 睡眠中の夢や、入眠時の幻覚について。

これらとは、まず、覚醒状態か否かということに明らかな違いがある。夢や入眠時の幻覚は、覚醒時の出来事とは明らかに断絶しており、区別できる。ところが、分裂病の幻聴は覚醒状態で、日常的な出来事の中に入り込むのである。また、覚醒状態ではっきりした意識に捉えられることによって、心に対する影響力も大きく異なるのだと言える。さらに、内容的にも、「悪夢」など似たものもあるが、一般には、様々な違いがある。

2 ドラッグによる幻覚について。

一つの相違として、分裂病の場合幻聴が主となるが、ドラッグの場合幻視が主となると思われる。しかし、分裂病でも、「夢幻様状態」といわれる幻覚状態は、ドラッグの幻視と近いだろう。また、ドラッグでも、幻聴が伴い、内容的にも分裂病の場合と近いものも多いと思われる。何しろ、両者には、共通するところが多い。但し、決定的に異なるのが、ドラッグの場合は、自らの意志で自覚のもとにその状態に入るということ、その影響もドラッグの作用する一定の時間のみであるということである。

そういう訳で、ドラッグは、一定の自覚と管理の下に、かなり分裂病と近い体験ができるという意味では貴重である。私は、分裂病の「了解」を(一応なりとも)得る方法としては、これで自ら疑似体験をすることが、一番手っ取り早いのではないかとすら思う。これについては、LSDが合法であった時代に、LSD療法を行っていた医師もおり、後にとりあげてみたい。

3 「死者」の声や「神」「神々」の声を聞くと称する「霊能者」や「神秘家」について

これらは、現代科学の扱い得る領域ではないが、文化的、歴史的には受け入れられ、人々に大きな影響を与えて来た。また現在でも、未開社会はもちろん、文明圏でも民間社会の一部で受け入れられ、一定の働きをなしていることは確かである。これは、少なくとも現在においては、分裂病の者がほとんど受け入れられないのとは異なる。

また、既にみたように、分裂病の者は「声」を具体的な人間の声とみなす場合が多く、それがほぼ誤りであることが明白となる。それに対して、これらでは、初めから人間の声ではなく、別の(次元の)存在の声とされていて、それを一般の者に分かりやすく伝えることによって、一定の範囲で受け入れられるのである。その存在そのものについては、必ずしも理解されている訳ではなくとも、その語る内容には、何かしら訴えかけるものや説得力がある訳である。分裂病の者も「神」や「宇宙人」の声を聞くと称する時があるが、内容は突飛で、とても受け入れられるようなものではないのが普通である。

しかし、分裂病とこれらの間には共通する点も多い。「霊能者」や「神秘家」も、初めからこういったことに長けているわけではなく、師などについて訓練や修行を重ねることによって、可能になるのである。その過程では、試練や失敗もあり、それは分裂病の場合とかなり近いものともなる。

また、未開社会のシャーマンの入巫儀礼(シャーマンになるための試練を受ける儀礼)では、分裂病と酷似する状態を経る(「シャーマン的巫病」などともいわれる)。洞窟や特別に建てた部屋などに候補者を閉じ込めておくことによって、幻覚を体験させるのだが、そこで候補者は怪物や精霊に散々欠点を指摘され、悪口をいわれる。さらには、それらの存在に、食われたり、身体をばらばらにされたりする。これは「死と再生の儀礼」ともいわれるが、まさにそれまでの自分としては、一旦「死ぬ」ことが期される訳である。

そこまでは、分裂病の「破壊」的な内容の幻覚や妄想と酷似する。しかし、その後、シャーマンの儀礼の場合は、シャーマンとして新たな生を始めるために、再生の儀礼があり、新たな知識を与えられ、共同体にも受け入れられていく。しかし、分裂病の場合には、いわば「死」の部分だけで、放っておかれ、「再生」の部分はほとんど欠けているのである(これは本質的にというよりも、社会の側の態勢の問題でもあるが)。

また他に、「神」などの声を伝える内容としても、たとえば「黙示録」などは、分裂病の幻覚や妄想と酷似するものがある。さらに、世紀末とか、集団の危機がからむ状況では、これら霊能者の伝える言の内容も、分裂病の者が訴える破滅的な内容と近いものとなる。

結局、これらと分裂病の場合とは、内容的には、少なくとも部分的には、酷似するところがあると言える。しかし、「声」に対する関係の仕方とか、対処の仕方で大きく異なるのだと言える。これには、個人で関わるか、一定の集団に支えられて関わるか、また、いわば裸のままナイーブに関わるか、伝統的に伝えられた一定の技術や技能をもって関わるか、といった違いが大きく作用する。そして、霊能者や神秘家は、これらの「声」との関わりを一つの技能として磨いて行くが、分裂病者は、結果として、これらの声に振り回されるだけに終わってしまう場合が多いのである。

つまり、霊能者や神秘家の場合、結果として破壊的な結果を免れ、「賢く」振る舞っているのは確かである。しかし、これら霊能者や神秘家の場合が、「肯定的」で、望ましいあり方であり、分裂病の場合は、「否定的」で、望まれざるあり方であるとは、必ずしも言えないと思う。

霊能者や神秘家の場合には、「声」の内容を一般に分かりやすく伝えることによって、文化的、集団的に受け入れられる素地があるわけである。が、それは、そのように「分かりやすく」翻訳できる範囲の限定的なもののみを伝えている(あるいは、それのみに関わっている)のだとも言える。さらに言えば、その「分かりやすさ」は、ある意味、文化的、集団的に迎合されたものであるという側面もある(例えば、時の権力におもねるといった側面もある)。だからこそ、一般には、肯定的なものとして受け入れられ易く、あるいは時に崇拝すらされるのだと言える。

その点では、分裂病の場合には、そういった「分かりやすさ」にはとてもくみ取れない面をも、如実に体現している面がある。いわば、「未知の力」の、より「生」で「プリミティブ」な面をそのまま体現しているところがあるのである。(これは、文明化された霊能者や神秘家に対して、未開のシャーマンの方がよりそのような側面を体現していると言えるのと同様であろう。)その意味では、現代においては、分裂病の場合こその独自の意味もまたあるのだという風に、私はみている。

但し、分裂病の者も、これらから多くを学ばなくてはならないのは確かだろう。何も、分裂病者が霊能者になったり、神秘家になったりする必要は少しもないが、「声」については、人間の声以外にも、多くの場合が想定できること、それとの関わり方が伝統的な知恵として伝えられて来ていることぐらいは、認識しなくてはならない。

但し、ここでは、「声」の主体については、とりあえず、性急に判断しないで、広く未知のものとして受け入れたうえで、関わって行くことを考えている。だから、「声」について、これら霊能者や神秘家がいうのと同じような「存在」として受け取るのがいい、というのでは必ずしもない。

多少ややこしくなったが、この点については後に、さらに詳しく踏み込むことになるだろう。

4 「テレパシー」の場合について

これも、重要なので、次に改めて検討したい。

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