2022年5月 6日 (金)

「捕食者」と「レプティリアン」

「捕食者」というのは、人間の感情エネルギーを食糧とする存在を広く含んでいる。「霊的存在」、「異次元的存在」、「宇宙人」などである。「捕食者」という括りは、(人間に対しての)存在のあり方の「型」を捉えたもので、個々の存在の種類や性質には関りがないものなのである。

一方、「宇宙人」というのは、その存在の起源や生育の過程が、地球ではなく、地球以外の宇宙にあることに着目してつけられたものである。地球は、物理的次元にあるので、その延長上に「宇宙人」も物理的存在のように解されることが多いが、実際には、「霊的」または「物理次元を超えた存在」である場合が多いことは既に述べた。(そのため、実際には、地球上の「霊的存在」との区別にも微妙なところが出てくるが、一応の区別はできる)

そのような「宇宙人」の中の「捕食者」的存在の代表が「レプティリアン」であることも、これまでの記事で何度か述べて来た。

最近は、この「レプティリアン」ということで、私が「捕食者」として示してきたものを、具体的に表すことが多いようである。「捕食者」というのが、存在の「型」を表すものとして、多少「抽象的」なところがあるとすれば、具体的な存在として、現に我々に対峙するものであることをはっきり示すのには、その方が適しているともいえる。

記事『「捕食者」についての本―『無限の本質』』で示したように、「捕食者」についての最も詳細で本質的な説明は、カスタネダの『無限の本質』になされている。

一方、捕食者としてのレプティリアンについては、デービィッド・アイク(『ムーン・マトリックス』など)、プレアデス系のチャネリングものである、バ−バラ・マ−シニアックプレアデス+かく語りき』、ミナミ・A・アシュタール(ブログ や『新・日本列島から日本人が消える日』)などに詳しい。

これらは、レプティリアンが、人間の発する特に恐怖等のネガティブな感情エネルギーを食糧としていて、そのために人間を組織的に管理・支配し、常にネガティブな感情を起こさせる施策をとっていることをかなり詳しく説明している。さらに、レプティリアンと人間との関りを、宇宙及び地球の歴史から説き起こし、人間の上に君臨するようになった経緯も明らかにしている。

特に、ミナミ・A・アシュタールは、現在の状況を踏まえて、それらがいかにピラミッド社会の頂点にいるレプティリアンとの関りで生じているかを、分かり易く説明していて貴重である。

カスタネダのドン・ファンも、「捕食者」が、人間の感情エネルギーを捕食するために、人間を組織的に管理・支配していること、「捕食者」は「宇宙の深奥」からやって来たことを述べているから、これらは、ドン・ファンの説明とも十分重なるものである。

また、これらは、レプティリアンが、地球で人間を遺伝子操作的に作り出したものとし、人間のいわば「生みの親」(創造者)なのだとする。『プレアデス+かく語りき』では、その遺伝子操作の内容を、12本のDNA対を切って、2対とし、人間の本来持っていた(超感覚的な)能力を大幅に削減したうえ、自分らの遺伝子を組み込むことで、従順で、支配に適する存在にしたと説明する。

このことも、ドン・ファンでは、人間を支配する最大の戦略は、「人間に捕食者の心そのものを与えた」ことだとして説明されていた。「捕食者の心を与える」ということを、現代的な技術の方面から説明すると、「遺伝子操作」ということになるわけである。

ドン・ファンでは、人間がいかに「捕食者」に支配されているか説明がされつつ、それを脱する方法についても述べられていた。これについても、特にミナミ・A・アシュタールでは、「そっと離れる」、「波動領域を変える」という言い方で、説かれている。

ドン・ファンでは、その方法は、端的には、「内的対話を止める」、「予期してもいない困難な事態に平然と立ち向かって行く能力」ということで言われていた。後者は、捕食者に敵対するのではなく、「(捕食者のことを宇宙の一部として受け容れつつ)畏敬の念をもってひるまずに立ち向かう」ということであった。

この点も、ミナミ・A・アシュタールでは、「ぼーっとする時間をとる」、「(対立するのではなく)無関心でいる」、「感情的に巻き込まれずに、俯瞰してみる」、「(引かないで)すーっと立つ」という風に、共通することが、より分かり易く、親しみやすい言葉で説明されている。

このように、最近の、地球上の支配の頂点にいる捕食者的な存在として、レプティリアンという宇宙人を受け止めるという行き方は、より具体的で、(特定の者ではなく)誰もの「現実状況」(利害)と密接に関わるものであり、よりイメージしやすく、受け止めやすいという意味でも、適切なものと思われる。

現在は、コロナ騒動にしても、ウクライナ戦争にしても、レプティリアンの戦略が、より「分かり易い」形で、目に見えるようになっているから、よりこれらの捉え方が、現実味をもって捉えられるようになっている。

UFOなどの目撃例が飛躍的に増え、米国防省が研究機関の新設を発表したように、「宇宙人」そのものが、我々にとって現実的な関心の対象になりつつあることにも、適っている。

そして、これらは、これまでみて来たように、カスタネダのドン・ファンの「捕食者」の説明とも、十分通じているものなのである。

もちろん、これまでのように、「捕食者」として捉えることでも、十分要を果たすし、レプティリアンの本質をより理解する手立てになるが、「捕食者」という捉え方には、今一つ馴染めないでいる人は、先に上げたような本やブログなどを通して、具体的にレプティリアンとしての捉え方をしてみるとよいだろう。

2022年4月13日 (水)

「共通感覚的に<あり得ない>」

前回述べたように、「<あり得ない>ということは<あり得ない>」のだった。が、だとすれば、「統合失調症」や「集団ストーカー被害」の人が訴える「妄想」的な事柄も、「あり得ない」などとは言えないことになる。

それは、実際にそうで、そういった「妄想」も、(論理的に)「絶対にあり得ない」ということではないのである。

そういった「妄想」は、記事『「常識」ではなく「共通感覚」からの逸脱』でも述べたように、言うならば、「共通感覚的に<あり得ない>」のである。(論理的に)「絶対にあり得ない」わけではないが、多くの人が、共通感覚として、そんなことは「あり得ない」と感じる、というよりも、そういうことを、疑いもなく確信して行動することを、「おかしい」と感じるということである。

その理由は、論理的に明確には説明しにくいが、あえて言葉で説明するならば、次のようになることを、記事でも述べていた。

1「組織に迫害される」と言うが、そんなことは、あり得るとしても、余程のことであるが、その者に、それだけの理由があるとはとても思えない。
2「組織」に迫害されるという方法が、そのような高度な組織のやり方としては、あまりにもちぐはぐで、現実離れしている。
3  何よりも、それだけ、普通はどう考えても「あり得ない」事柄を、単に可能性としてではなく、事実として、信じ切って疑わないのが、信じ難いことで、「おかしい」。

注意すべきは、この「共通感覚」というのも、それが「正しい」のではなく、要は、多数の者が共通して感覚することであって、多くの者の背景となる、文化や時代の影響を受けるものである。

しかし、精神医学は、「妄想」を、「間違った信念を確信して、訂正できないこと」と定義している。

これは、それ自体が、物事を「あり得ない」と決めつける発想に基づいている。「間違っている」というのは、「あり得ない」と判断することから来る評価で、多分に決めつけ的なのである。

「妄想」は、本当は、「間違っている」かどうかよりも、「共通感覚からずれる事柄を、確信して、他の可能性を顧みず、他の者に対しても、それが当然の事実であるかのように行動して来る」ということの、理解しがたさに重点がある。

「訂正不能」というのは、一応それに近いが、やはり多分に決めつけ的であり、「あり得ない」という発想が元になっているから出て来る表現である。

このように、精神医学は、そういった状態に陥った者を、「病気」と規定して、多分に強制的で、身体に多大な影響を与える「治療」を施す必要から、「妄想」の病的な性格を際立たせようとする。それで、(「あり得ない」という発想で)「間違っている」、「訂正不能」という、強固な、「決めつけ」的な内容を与えるのである。

ところが、実際には、そうやって決めつけるから、相手にも反発を招き、余計に頑なにさせてしまうのである。「妄想」に陥った者も、ますます「決めつけ」的に、その共通感覚からずれた事柄を、事実として、確信することになる。

いずれにしても、「妄想」を「事実」と訴える側も、「病気」だから治療しろ、という側も、ともに、「あり得ない」という旧態依然たる発想をしているのである。

「あり得ない」という発想同士が、お互いに、ぶつかり合って、対立しているということである。

これを図に示すと、次のようになる。

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記事でも述べたが、「妄想」を訴える側が、「実際に起こっている」というのは、感覚レベルで、多くの人が自分につきまとったり、いやがらせをして来るなどと、「感じる」ということである。感覚的なことなので、実際には、これを言葉で説明することは難しい。あえて言えば、「<それ>が起こっている」とでも言うしかない。

ところが、この<それ>を、既成の観念で、短絡的な解釈をして、その解釈をそのまま確信してしまうのが、「妄想」なのである。「組織に狙われる」とか、「集団ストーカーにつけ狙われる」などである。これらが、感覚としての、<それ>に入れ替わって、事実であるかのように、確信されてしまっている。そして、そこには、そうでしか「あり得ない」という発想が、強く働いている。

病気という側も、先にみたように、「共通感覚的にあり得ない」という感覚を、論理的な問題、あるいは、事実そのものの問題にすり替えて、「間違っている」、「病気」などとして、押しつけているのである。

だから、「妄想」を訴える側にしても、「病気」として治療を押しつける側にしても、このような、「あり得ない」という、硬直した発想が、問題を起こしているという面が大きい。                                                            

これを、前回みたように、現代の若者の感覚として行き渡りつつある、「そんなことある?」くらいの、柔軟な発想で捉えることができれば、事態は大分、軽減するのである。

「病気」と決めつけずに、「組織に狙われる」、「集団ストーカーにつけ狙われる」なんてこと「ある?」くらいに、軽く問い返せば、本人も、改めて、ことを問い直す余地(余裕)が生まれるかもしれない。あるいは、少なくとも、自分の訴えが、多くの人にとって、共通感覚的には、「あり得ない」ことであることを、改めて自覚するきっかけになるかもしれない。

妄想を訴える側も、実際に起こっているのに、「病気なんてことある?」と軽く問い返せば、多くの人も、この人は、訴えの内容の信じ難さはとりあえずおいても、何事かを実際に起こっていることと感じていることを、改めて感じることができる。そして、何が実際に起こっているのか、に興味を移し、なぜ、そのような感覚が生じるのかについて、互いに、考えることができるようになるかもしれない。

「妄想」を訴える側は、実際に、切迫した危機を感じるからこそ、そのような妄想を訴えるのだし、「病気」という側も、そのような者を前にして、動揺し、混乱するからこそ、病気として納得しようとする。

互いに余裕がないから、「あり得ない」という硬直した発想をするわけで、確かに、それを変える、柔軟性をもつことは難しい状況である。

しかし、社会全体が、少しずつでも、「<あり得ない>ということは<あり得ない>」という発想。「そんなことある?」くらいの柔軟な発想に移行できれば、このようなことも、さほど難しいことではなくなるだろう。

2022年4月 2日 (土)

「そんなことある?」

記事『「あり得ない」という言葉も死語』で述べたように、かつて若者によく使われた「あり得ねぇ」という言葉は、もはや死語となり、使われなくなった。そして、最近それに代わって、同じような意味合いで使われ出した言葉がある。それは、「そんなことある?」というものである。

かつての「あり得ねぇ」という言葉の使われ方や、それが使われなくなったことについて、記事では次のように述べていた。

ここでは、「あり得ない」は、もはや「絶対あり得ない」ことではなくなっている。言い換えると、「あり得ない」と言っても、もはや「絶対あり得ない」などということは、「あり得ない」ので、「あり得ない」という言葉が、実際には、「あり得る」ことに対して使われているのである。それは、反語的な強調の意味だとしても、そこには、「あり得ない」ということの、それ自体の「危うさ」、「相対性」のようなものが、はっきりと塗りこめられている。つまり、この世代の若者にとって、「あり得ない」という感覚は、もはや「自明」のものではなく、「あやふや」なもの、「みかけ」上のものでしかなくなっているのである。

それは、明確に意識されたものではないにしても、かつて、「絶対あり得ない」などということが、容易に信じられたことからすれば、むしろ、真をついた、一つの感性的な「進化」といえる。

ただし、ここでは、まだ一応、「あり得ない」という言葉が使われてはいる。それは、もはや、「揺ら」ぎ、「あやふや」なものにはなっているけれども、「あり得ない」という感覚自体は、まだ「あり得る」かのように使われているのだ。

しかし、その後最近は、もはやこの「あり得ない」という言葉自体が使われることもなくなった。ほとんど死語になったと言ってもいい。

つまり、この流れは、ここに至って、ついに、「あり得ない」などということ自体が、「あり得ない」ことになったのだ。言い換えれば、「どんなことでもあり得る」という感覚の方が、現在では、むしろ、多くの若者の感覚に沿うものになっているのだ。

この「あり得ない」などということ自体が、「あり得ない」という感覚は、その後さらに進んで今に至っている。そこで、かつての「あり得ねぇ」という言葉に代わって、それと同じような意味合いで、「そんなことある?」という言葉が使われ出しているのだ。

もはや、「あり得ない」などということが、「あり得ない」だけではない。そこには、「ある物事が<ある>か<ない>かなどを、容易に決められるものではない」という感覚がある。そんなことは、客観的に確定できるようなものではなくなっているのだ。

だから、この言葉を使う側も、「ある」とも「ない」とも断定せずに、「そんなことある?」と、疑問形で人に問う形になっている。そんなことは、「なかなかない」というレア感、あるいは、あるにしても可能性の薄い感じはありつつも、それ以上のことは言えないので、疑問形で、人に問うことしかできないのだ。

要は、この言葉は、「ある物事が、<ある>か<ない>かなどは、結局、人のものの見方、感じ方によるしかない」ということを指し示しているのである。

このような若者の感性は、かつて以上に、「ある」とか「ない」ということの「真実」をつかんだ、適切なものと言うべきだ。

私のこのブログで述べていることも、当初は、「そんなこと(絶対)あり得ない」という思いで読んでいた人が多かったに違いない。しかし、記事『「あり得ない」という言葉も死語』を書いた頃には、もはや時代は進み、必ずしも「あり得ない」という意味ではなく、「あり得ねぇ」というくらいの感覚で、受け取られ始めていたのでもあろう。

そして、現在はというと、……そう。「そんなことある?」という感じで受け取っている人が多くなっているはずなのだ。

2022年2月23日 (水)

統合失調に関する質問の募集

記事『ページビュー数ベスト5、新ブログの予定等』で述べたように、本年は、シーサーブログの方で、統合失調に関する、端的で分かりやすい説明のブログを始めようと思っています。

そのブログでは、初めに、多くの人が疑問に持つであろう質問を立てて、次に、それに対する端的な回答を示し、最後に、簡単な解説を付するというスタイルを考えています。

この初めに立てる質問は、私が、多くの人が持つであろう疑問を想定して、立てることにしますが、それでは、十分に多くの人の疑問を拾えない可能性があります。

そこで、こちらのブログで、読者の方から統合失調に関する質問を募集したいと思います。

統合失調に関して、疑問に思っていることや、その他どんな質問でもよいので、コメント欄にコメントして頂くと幸いです。

もちろん質問だけでも構いませんが、どのような理由でそのような質問をするかの趣旨も添えて頂くと、より有り難いです。

投稿された質問については、そのままの形とは限りませんが、なるべくその趣意を汲んで、新しいブログの方でとり上げていきたいと思います。多くの人から同内容のものを頂いた場合は、優先的にとりあげるつもりです。

ただ、このブログでの回答や解説は、あくまで一般的なもので、端的な分かりやすさを目指すため、あまり詳しいものにはできません。

質問によっては、私の判断で、こちらのブログで、より詳しい回答をすることになるものもあると思います。

どうぞよろしくお願いします。

2022年2月 6日 (日)

新たな神示『よひとやむみな』

記事『「神示」が語る「悪の仕組み」』で、日月神示の現代版とも言える新たな神示、『大日月地神示』を紹介した。  

ところが、最近もう一つ、同様の新たな神示が出されていることに気づき、読んでみた。穂乃子著『よひとやむみな』(ナチュラルスピリット)という本である。

穂乃子というのは、神示を降ろした側の存在で、瀬織津姫ということである。「日月神示」では、クニトコタチノ神とされていたが、(当時は明かせなかったものの)それは、実際には、瀬織津姫だったのだという。神示を媒介した人は、公開されていない。

内容的には、『大日月地神示』同様、確かに、『日月神示』につらなる内容で、訴えかける力も強く、十分頷けるものがある。端的で明確な、分かり易い表現になっているのも、同様である。「日月神示」の言葉を、より現代的に述べ直しているところも多い。

初め、『大日月地神示』に比べて、よりマイルドで、若者や女性にも受け入れられやすいものと思ったが、やはり、同様の強烈さは、随所に現れている。

特に、強調されるのは、「日月神示」で言われた、すべてが「グレンとひっくりかえる大峠」が、今まさに起こっているのであることを、強く訴えかけていることである。そして、それを乗り越えるための「身魂磨き」を強く求めている

現在は、「日月神示」で言われた「北から来る」とか、「世界中総がかりで攻めてくる」ということが、まさに起こらんとしている状況である。今年は本当に、疑いないほどに、それが迫っていることを、改めて感じさせる年になっている。

神示では、「一日に10万人死すようになったら、いよいよと思え」と言う。

タイトルの『よひとやむみな』とは、「世の人が皆止む」ということである。の度の大峠は、人間の世界だけでなく、三千世界(霊界、神界を含めた全世界)の大洗濯で、「天地が混ぜこぜ」のところまで、即ち、創造の大元のところまで帰らなければ、なされない。だから、その過程では、「よひとやむみな」ということが起こることにもなる。

カスタネダのドンファンも、「世界を止める」ということを言っていて、それは、「それまでの世界を組み立てていた流れを止める」ことを意味した。まさにそれが、すべての者に起こる状況ということである。

神示では、これに関して、次のようなことが言われている。

すべては無(ム)から有(ウ)まれ、有(ウ)から無(ム)まれる。

ウムを組み立てて、力が生まれる。

この度の大峠は、ムにならねば越せん。

「無(ム)になる」とは、すなわち「皆止む」ということである。

また、そのときの状況が、次のように幾分過激に示される。

いよいよとなったら、地震、雷ばかりでない。人々みな、頭が真っ白になり、「これはなんとした事ぞ」と口を開けたまま、どうする事も出来んようになる。

四つん這いになって、着る物も無く、獣となって、身動きできん者、自ら死を選ぶ者と二つにはっきり分かれる。

そのほかにも、私的にも、印象に残る言葉が多くあった。

たとえば、新たな世界は、人間界だけでなく、動物界も変えることが、次のように言われる。

動物界は、人間界の鏡ぞ。

五六七の世となれば、トラと羊が共に眠るぞ  

また、かつての「まことの神の国の民」の「死」とは、次のような、うらやましいものであったということが、述べられている。

昔は、残さず天に帰ったのじゃ。身体さえも残さずに逝ったのであるぞ。逝く時期も分かっていた

葬式も墓石も要らんかった。周りの者は、感謝を込めて見送った。そこには、悲しみや別れを惜しむ気持ちより、

感謝と喜びで満ちておったのじゃ。誰も死を恐れてはおらんかった。病で死ぬ者もおらんかった。それがまことの神国の民であった。

「身魂磨き」に関しては、次のようなことが言われる。

我が無くてもならず、我が有ってもならず。

我のない純粋な意識が主、我は従じゃ。

我は使うもので、使われるものではない。

我から離れることで、我でできる以上のことができるのじゃ 

我は、なくすものではなくて、我のないところから、使うものだと言う。我がなくては、何の「お役目」もできないのである。

我のない純粋な意識は、「中心」にあって、そこに意識がいれば、周辺の我の感情、エゴに巻き込まれずに、それらを観察し、理解することができる。そうして、それらに癒しをもたらし、慈悲や知恵へと変容させることができる。

しかし、

そなたたちの意識が周辺にある限り、エゴは止まれん。頭も身体も口も耳も、常に動かそうとする

悪の仕組みは、人間を止まれんようにすることぞ

さらに、

巨大な宇宙の内部は、すさまじい高速で螺旋を描きながら、絶対無、絶対空という根源神に向かって進んでおる。大宇宙の進化じゃなあ

心を無にして、空に生きよ。絶対無、絶対空である大宇宙の進化を意識した神人となれよ

先にも、「有と無による世界の組み立て」の言葉をあげたが、さらに「空」とか「絶対無」という根源的なことが、言われているのも大きな特徴である。

このように、この神示では、「大峠」を超える過程に重点を置いていて、「身魂磨き」の重要性を中心に述べている。「うれしうれし」の「ミロクの世」に移行することに重点を置いた、『大日月地神示』の最近の神示とは、ニュアンスを異にする部分も多い。

それぞれの需要の違いから、このように二つに分かれて、神示がくだされるようになったとみることもできよう

2022年1月22日 (土)

オミクロン株は低年令層と圧倒的感染者数の増加狙い

記事『衆院選とコロナの今後』で見込んでいたとおり、新型コロナの感染者数が、日々飛躍的に増加する状況になって来た。

オミクロン株は、感染力は強力だが、重症化する割合が低いとされ、無症状の者も多いとされる。また、感染者は、低年令層の若者や子供に多いのが特徴とされる。

デルタ株が、重症化率が高く、それまでの高齢者や持病のある者以外にも、その脅威を広めたことと比べると、かなり弱小な感はある。

しかし、オミクロン株の狙いは、これまであまり脅威の対象とできなかった、低年令層と、感染者の全体に占める割合を飛躍的に高めること(圧倒的な感染者数)にあると思われるのだ。

これらを達するためには、対象のかなり絞られる、重症化することよりも、症状はどうあれ、とにかく「感染者」を広めることが必要である。そのためには、あまり特定の症状に限定せず、無症状の者を含めて、広く感染の疑いを持たせることが必要だ。そして、広く検査を受けることを促し、検査数を大幅に増やすことが前提となる。

日本では、衆院選前に、一旦、検査数は相当減らされたので、その分を穴埋めしなければならないし、この方法は特に効果を発揮する。

コロナについては、重症化すると結構怖いということ、若者にも広く感染するということは、デルタ株で十分示せたので、重症化しにくいとされるオミクロン株にも、そのような潜在的な脅威は十分与えられるのだ。

ワクチンとの関係でも、オミクロン株のこのような性質には、意味がある

もし、オミクロン株がデルタ株以上に、症状的にも強力だった場合、もはやワクチンの意義は崩壊するだろう。ワクチンを打っても、そのような強力な株に感染するというのなら、ワクチンには何の意味もないのが明らかだからだ。

ところが、重症化しにくいオミクロン株なら、感染という点はともかく、ワクチンで重症化は抑えられるという点は、何とかみかけ上維持し得る。

そもそも、新型コロナ騒動を長い間継続し、ワクチンを何度も打たせようとする場合、ワクチンで感染症が防げるという「神話」が、ある程度崩れることは見込まざるを得ない。ワクチンの効果が強力にあって、一回のワクチン接種で感染症が収まるとするなら、コロナ騒動を長引かせることなど到底できない。

だから、「ワクチン神話」はある程度犠牲にしつつも、ワクチンの効果に頼らざるを得ないという程度には、ワクチンの効果を残存させつつ、巧みに騒動を長引かせているのだ。つまり。ワクチンを生かしつつ、騒動を長引かせるには、今回のオミクロン株のようなものである必然性があるということである。

実際、日本政府は、ワクチンの三回目接種ばかりか、ファイザー製のワクチンを511才の子供へ接種することをも承認した。ワクチンの効果を認め、半強制的な接種を促すことは、少しも緩めようとしていないのだ。

一方、日本政府は、ワクチン二回接種の者にも感染が相次いでいるとして、ワクチン接種証明、陰性証明による制限緩和の措置は当面停止した。ただ、全員の陰性証明提出で、5人以上の会食を認めることは継続するという。ワクチンの効果をある程度犠牲にしてまで、陰性証明の方を重視する構えなのだ。

つまりは、現在は、検査を増やす=感染者を増やす方向を強く後押ししているということである。これには、衆院選の時期、検査数を減らしていたことの、挽回の意味もあろうし、実際、支配層から強く促されているのに違いない()。そして、実際にも、特に若者が、検査に行列をなしている状況だという。

支配層は、衆院選の時期はともかく、総体として、日本の感染者数が世界に比べてかなり少ないことを快く思っておらず、今度のオミクロン株には、特にそのような日本を意識して感染者数を増大させることも、狙われているという気がする。

実際、今後飛躍的に感染者が増えていき、様々な混乱をもたらすだろうが、やはり症状的にたいしたことがなければ、それほど恐怖をもたらすということにはならないだろう。今回は、とりあえず、それをも見越して、感染者数を圧倒的に増やすことが優先されているのである。

しかし、このオミクロン株の次に来るものとなれば、話は別である。もはや新型コロナとは限らないが、より強力な症状をもたらす、新しい株またはウイルスが、既に用意されている可能性がある。他のウイルスなら当然だが、新しい株でも、ワクチン接種から相当な期間が過ぎたからということで、何とか言い分けが立つ。

もっとも、今年は、新年あけて早々、紛争関係、人工の関与した疑いもあるトンガ沖海底火山の噴火など、「なんでもやるよ」の宣言をされているごとくなので、感染症騒動に拘るわけではないようだが。

 

※ 述べ忘れていましたが、日本が衆院選前、検査数=感染者数を大幅に減らすことを許されたのは、ワクチンについては高い接種率を実現し、「優等生」だったからというのもあるでしょう。しかし、何の見返りもなく、そういうことがなされるわけもなく、そこには、一種の「取引」があったとみるべきです。つまり、政権を確保した衆院選後には、大幅に検査数=感染者数を増やすことと、支配層の言うことを聞くことが約束されていたはずなのです。

 

2022年1月 7日 (金)

ページビュー数ベスト5、新ブログの予定等

本年はじめの投稿になります。

本年も、一昨年、昨年の継続であるのは間違いなく、何が起こっても不思議でない年になるでしょう。コロナだけでなく、新しい感染症、自然、人工の異常気象、地震、地域的な紛争、あるいは本格的な戦争などです。宇宙、宇宙人関係でも、新たな展開があるかもしれません。

ただ、本年は、変化に向けたはっきりとした兆しも現れる、というより、本年にそれが現れないようだと、もはや変化の望みは薄く、このままの状況がずっと続くということになるのでしょう。

 

恒例の昨年度ページビュー数ベスト5をあげておきます。

『魂の体外旅行』-「ルーシュ」の生産  

「例外」としての「回復」の意味  

「妄想」に振り回されること  

バシャールのウイルスと免疫に関する言葉  

「神示」が語る「悪の仕組み」  

 

1は前年と変わりませんが、2,3,は統合失調症、精神医学関係の記事にも拘わらず、新しく上位に入ったものです。

検索サイトに、たまたまこの記事がのっているということもあるのかもしれませんが、いすれも、私的にも、重要な記事ではあります。

2は、現代の社会の中で精神医療の果たす役割を示した図をとりあげて、改めてそこで、「例外としての回復」ということが、どのような意味をもつかを明らかにしたものです。

精神医療は、「例外」として、確かに見かけ上患者を「回復」させて社会に復帰させる場合があります。しかし、それは「治療のシステム」という「見かけ」の生命線ではあるし、支配層の支配する社会から逸脱する者を、一応なりとも社会に順応するように引き戻したのだから、支配層の利益のためのシステムとして何の不都合もないということが趣意となります。

図の端的な分かり易さと相まって、「回復」ということの意味を逆説的に明らかにしたことが、大きかったと思います。

3は、私の体験を綴った一連の記事の一つで、それまでの流れが変わり、新たな展開の始まる重要な場面です。それは、それまで無意識下に聞いていた「幻聴」を意識し始めることになったということで、その「声」を意識することから、それをもとにさまざまな「妄想」も膨らみ、それに振り回されるようになったのです。

しかし、同時に、この幻聴が意識され始めたことにより、起こっていることが、少しずつでも「見え」始め、対処のとっかかりもできて来たということができます。

統合失調状況での「幻聴」の影響力の大きさと、「妄想」との関係という点からも、重要な記事です。

 

これまでにも、何度か触れて来たように、統合失調についての、端的で分かりやすいまとめ的な記事を書いておきたいと思っていました。本年は、シーサーブログの方で、新たなブログとして、これをしたいと思っています。

オカルトの関わることですし、短絡的にとられたくもないので、あまりに端的で分かり易い表現は望ましくない面もあるのですが、こちらのブログでは、ある程度そういうことも考慮して、様々な観点から丁寧に、総合的に述べていますので、そのような欠点も、こちらのブログと合わせて読むことで、補えると思います。

まず、冒頭に一つの質問を設定し、次にそれに対する端的な回答を示し、最後に簡単な解説を付するというスタイルを考えています。統合失調は、近代の発想では理解の難しい問題ですが、どこまで分かり易くできるか、チャレンジしたいと思います。

 

2021年12月16日 (木)

『非認可の世界』と宇宙人の技術

記事『『非認可の世界』- UFO、宇宙人情報の開示』で、グリア博士の宇宙人の技術に関する解説については、次回に述べるとしていましたが、そのままだったので、今回それを述べることにします。

ただ、既に、グリア博士の宇宙人の技術に関する解説については、記事『「宇宙人」と「宇宙人の技術」について』で、私の考えとともにかなり詳しく述べています。なので、今回は、博士が、『非認可の世界』の中で、簡単に説明していることを改めてとりあげつつ、コメントを付すだけのものとします。

記事で強調していたように、宇宙人の技術は、単に、地球上で「物理的な技術」として知られているものの延長上にあるのではなく、意識や精神と連動するものであるところに特徴があります。

本の中では、この点を明確にすることが、比較的分かりやすく述べられているので、多少長いですが、それをあげておきます。(元々グリア博士の説明は、明確で分かりやすいとは言い難いし、このような、地球上では「未知の領域」に属する事柄の説明が、明確になり難いのは当然のことでもあります。だから、あくまでも「比較的」分かりやすいということです。)

「ETの電子的コミュニケーションは、精神、思考およびコンピュータ制御された遠隔測定と連動するものです。何十年もの間、市民はUFOとの精神感応的な体験として片付けられて来たことを報告してきました。そのような報告がみとめられると、科学者や科学界は大笑いし、それらを却下します。……

この現象において52年の経験から明らかなことは、ETの通信プロトコルはAT&Tマイクロ波システムを使わずに星間距離の間をリアルタイムで通信していることです。彼らは、思考および意識と直接やり取りするのに十分に高度なシステムを利用し、そうすることで非局所的なエネルギースペクトルにアクセスし、線形時空を迂回しているのです。

これらのシステムと、現在人間が実現している脳波活動およびコンピュータとの繋がり、と混同してはいけません。これらは、今でも高速で移動するだけの電磁エネルギーを使っています。ここで言及されているETのシステムは、光が交差するポイントの反対側で作用しており、技術的に促進されていながら、思考および精神と直接連動します。このようなシステムを通すと、情報は同時に何百万光年を超えて伝達できるのです。なぜなら精神、思考およびエネルギーの非局所的側面を活用しているからです。……

とは言っても、これらは非常に実在的で形而下的なものです。……

ここでの要点は、ここで言及されているエネルギーおよびエネルギースペクトルは、自然に発生している創造の側面です。それらはすべて私たちの周り、そして内側に存在しています。

それは「他のもの」ではありません。それは超自然的なものでもありません。

それは形而上的なものではありません。それは単に、現代科学で十分に研究され理解されて来ていなかったのです。しかし、それは星間移動能力のある高度なET文明によって、研究し理解されてきました。……

この類いのETテクノロジーは一般的に、意識を使ったテクノロジー(CAT)およびテクノロジーを使った意識(TAC)と考えられています。

CATとは、個人(または集団)意識および思考が、受信装置を支援または連動することです。

TACとは、装置が個人または集団意識や思考を増大、投影または支援することです。」

霊的な現象との関係について

「この現象は、何十年もの間報告されてきており、これを「幽霊のようなもの」またはポルターガイストだと片付けてきた者もいます。実際にこれは、存在が深くて神妙なレベルで作動しているETテクノロジーが表現されているもう1つの例に過ぎません。……

上記から、なぜET現象がETではないが、同じ実現要素を持つアストラル現象と混同されるのか理解しやすいと思います。このため、資料がET、天使、幽霊およびあらゆる種類の怪現象について、混乱する話が一緒くたにされているのは不思議ではありません。……

それでも、宇宙は多くのレベルの存在を抱えていることを頭に入れておくことは重要です。アストラルおよびコーザル界にはETではない存在がいます。しかし捕らえにくい領域にある物理的宇宙の側面と連動し利用するETは存在します。すべてのETが、とても高度ではない可能性が有ることは覚えておくべきです。」

宇宙人の技術とは、地球上の物理的な技術とは違い(BMIのように電磁的に脳とコンピュータを繋げる技術とも異なり)、意識と装置を(空間を超えて)直接連動させる技術だということ。それは、幽霊や超能力などの霊的な現象と重なる部分はあるが、技術的な操作である点で、同じではないということ、が明確に説明されていると思います。

これは、逆に言えば、我々の地球上の技術というものは、世界から意識を除外して、物質的な現象の範囲に閉じることで、成り立っているものだということです。近代科学というものは、(一神教的な神の位置を受け継いで)意識を、「現象」の外に立つ、観察者の位置におき、「現象」そのものは、数学的な厳密さで規定される客観的なものという発想の下に、興されたものです。

それは、その見方の当てはまる範囲では、それなりにうまく機能し、技術の多大な発展をもたらしはしました。

しかし、量子力学の観測問題が提示したように、意識が、単に「現象」の外にいる、観察者に過ぎないとみることは、(少なくともミクロレベルでは)難しいことになって来て、限界もみえ始めています。

宇宙人の技術とは、この意識をも、単なる観察者としてではなく、現象に影響を与える主体として、内に含み込んだ上、その操作を高めることを追求したものということが言えます。

それを図に示すと次のようになります。

Photo_20211216000801

まずは、このような、本質的な違いを、押さえておく必要があります。

そのうえで、現在の地球上でも、このように、意識と現象を含めて、全体として統一的に理解する方向性を探ることはできます

たとえば、記事『「宇宙人」と「霊的なもの」』でも述べたように、全体を「波動」として捉え、その波動の振動数の高低により、現象の「密度」または「次元」が異なる、様々な領域が生じるということ。我々の科学技術が対象とする、物質的な領域は、振動数の最も低く、凝縮した領域だということ。その振動数が高まると、物質的な領域を超えて、霊的な領域に移行するということ。それらの振動数に影響を与え、エネルギー的に操るのが、意識という主体だということ、などの捉え方です。

ただし、このような捉え方は、まだまだ曖昧で抽象的なものでしかなく、今後、具体的に埋めて行くことによって、実際に使えるものにしていかなくてはなりません。「波動」というのも、スピリチュアル方面ではよく使われますが、必ずしも、内容の定まった、実質ある概念ではなく、言葉だけが、一人歩きする傾向があります。また、記事でも述べたように、この「波動」を物理的な波動の延長上に狭く捉えるなら、霊的な領域のことが捨象され、実質地球上の科学技術と変わらないものになってしまいます。

このような捉え方は、あくまでも、一つの可能性だということです。ただ、チャネリングその他の宇宙人情報では、このような捉え方は、今や、かなり一般的になりつつあるし、それで霊的な領域のことが十分意識されているなら、特に問題はないと思います。

私は、「霊界の境域」など、「霊的」として、伝統的な表現を多く使っていますが、これも、記事で述べたように、「物質的なもの」と「霊的なもの」の対立という時代的なものを反映する面があり、必ずしも、今後も普遍的に有効というわけではありません。

「物質的なもの」と「霊的なもの」が融合して行く、今後の状況に照らすと、先の「波動」や「振動数」、「次元」など、統一的な捉え方の方が、適している面もあるので、今後、私も、そのような表現を使って行く可能性はあります。

2021年11月29日 (月)

米UFO調査機関新設の意図

先般、米国防総省がUFO調査機関を新設したことを発表した。(BBCニュースの記事デジタル朝日の記事 参照)

記事『米メディアの報道記事2つ』でみたように、米国防総省は、2017年に海軍航空機の撮ったUFO動画を公開しており、それに伴って、2007年以来UFO調査を行っていたことを認めたのだった。それは、5年後に閉鎖されたというのだが、今回の発表では、改めて、再び、正式に、UFO調査機関を新設したということなのである。

今回の発表は、この海軍航空機の撮ったUFO動画の公開と、明らかに連動してなされており、言い換えれば、海軍航空機の撮ったUFO動画の公開は、今回の発表の伏線だったということになる。

そもそも、米国は、1952年に「プロジェクト・ブルーブック」という空軍のUFO調査機関を設置していた。しかし、1967年に、「UFOが米国の脅威となる証拠はなかった」等として、以後調査の必要なしとし、調査を打ち切ったことになっている。

しかし、記事でも述べたように、それは、表向きのことで、情報公開法に基づいて公開された資料からも、実際には、極秘にUFO調査を続けていたのが明らかである。つまり、表向きは、UFOは「脅威ではない」、「調査の必要はない」と言い、国民の関心を退けつつ、実際には、(独自の関心から、「脅威」と「必要性」を認めるからこそ)極秘の調査に切り換えたわけである。

このように、これまで米国は、独自のUFO調査を、かなり長い間行って来たのである。そして、グリア博士の「公開プロジェクト」で明らかにされたように、米国あるいは、少なくとも、超国家的な、「非認可」の特別プロジェクトのチームには、UFOは宇宙人の乗り物であり、宇宙人は既に地球にいて、様々な活動をしていることが、判明しているのである。(記事 『「公開プロジェクト摘要書」について』、『『非認可の世界』- UFO、宇宙人情報の開示』参照)       

このように、これまでUFO調査を極秘に行って来て、もはや多くのことが判明しているにも拘わらず、ここに来て、米国が、あえてUFO調査機関を新設する、あるいは、そう発表することの意図は何なのだろうか。

これは、明らかに、表向きのアピールであり、米国民さらには世界に向けてのアピールである。意図としては、2つの方向が考えられる。

1つは、もはや、UFOを極秘で扱うことが困難、あるいは、時代的にふさわしくなくなったので、今後UFO情報を公開するための伏線という方向

2つは、真にUFO情報を公開する意図などはなく、むしろ、米国民さらには世界に向けて、宇宙人の脅威を煽り、宇宙軍などの軍事的な拡張の必要と、さらに世界統一政府の必要を誇示するという方向。つまりは、支配層の政略的な意図。

1の方向であることが望まれるし、その可能性はないわけではないのだが、実際には、2の方向である可能性が高いと言わざるを得ない。

元FBI捜査官デソーザも、海軍航空機の撮ったUFO動画は、実際には地球製の秘密兵器ドローンで、その公開は、宇宙人の脅威を演出するためと言っていた。(記事『元FBI特別捜査官の語る暴露話参照)

また、最近、みなみさんのチャネルする宇宙人アシュタールも、米国のUFO調査機関の新設について、宇宙人の脅威を煽り、世界統一政府を目指すものということを言っている。( https://ameblo.jp/kuni-isle/entry-12712542162.html )

コロナ騒動でかなり長い間、支配層の権力強化(一般人への制限の強化)がなされ、さらに今後、新たな変異株による拡大が見込まれる状況だが、だからと言って、それだけで、現在、一気に、世界統一政府に結びつくというような状況ではない。

「UFO=宇宙人」は、世界全体に関わる、より強力な「脅威」として、いわば、取っておかれたもので、支配層は、今こそ、それを「解き放つ」ときと踏んでいるものと解される。冷静に対処されると、「UFO=宇宙人」の脅威などは、あまり功を奏さない可能性があるが、コロナ騒動の混乱下では、より恐怖を訴えかける効果が高まるのだ。

今回の、UFO調査機関新設の発表では、明確に、「関連する脅威を抑える」ためということが言われている。かつての調査機関「プロジェクト・ブルーブック」は、「脅威となる証拠はない」として閉じておきながら、ここに来て、明白にそれを翻したのである。

UFOとは、本来、「未確認飛行物体」の意味だから、そこには、敵国の正体不明の秘密兵器なども含まれる。現在、科学技術の飛躍的な発展により、中国やロシアなどの秘密兵器の脅威が改めて強調される事情があるのは確かだろう。しかし、既に述べたように、長年の調査で、少なくともUFOの一部は、「宇宙人」のものであることが分かっているし、UFOの調査と銘打たれる以上、多くの人が、「宇宙人」と関連づけて捉えることは当然である。

そこで、「関連する脅威を抑える」というのには、明らかに、「宇宙人」に対する脅威が、含意されることになる。

何度も言っていることだが、支配層は、現在、支配力を失う可能性に脅え、追い込まれている状況なので、ここで一気に、世界的な統一に向けて、支配力を強める策を打ちたいのである。

また、グリア博士も言うように、本来多くの「宇宙人」は、地球に敵対的なものではなく、むしろ、地球に敵対的な宇宙人を抑制しようとする勢力もあるから、支配層と結びついた宇宙人は、それらと地球人が手を結ぶことを恐れている。だから、記事『「人間の支配層の陰謀」と「地球外存在」の影響』でも述べたように、「宇宙人は敵対的なもの」というイメージを広めたいし、さらには、ホログラフィ技術などを用いて、「宇宙人が地球を侵略する」という「演出」をも、企てているようなのである。

今回の発表は、そのようなことに向けての伏線として、重要な意味があると言うべきなのである。

「宇宙人」について、地球に友好的なものと、期待して決めつけるのも愚かだが、敵対的なものと決めつけるのも、視野狭窄で、支配層の戦略に乗せられるだけである。私は、宇宙人のチャネリング情報をとり上げたりもしているが、それには、そういった、(地球に友好的というよりも、何らかのアドバイスを意図する)宇宙人もいることを知ることも、バランス上重要ということもあるのである。

2021年11月13日 (土)

『ブログの趣旨』の更新と「未知の状況と認める」ということ

サイドバー最上部の『ブログの趣旨』を、部分的に更新したので、報告しておきます。

私のブログの特徴として、これまで、自分の体験を詳しく述べていることと、それに基づいて、根源的、総合的な考察をしていることを、端的に挙げていました。

しかし、本当に私のブログの特徴、あるいは利点と言うべきなのは、私が、無意識領域で体験していたことも、後に意識化することによって、意識に上らせ、そこで明白になったことも、考察の基礎として参照していることです。そのようなことは、他では、なかなかないことであるし、そのことによってこそ、「統合失調」状況とはどういうものであるかが、明白になっているのです。

そして、もう一つは、(もちろん「治療」などではなく)それに基づいて、本人自身が、「統合失調」状況をくぐり抜けるにあたって、どのような「対処法」をとり得るかを、詳しく述べていることです。

これらのことを、初めて私のブログを訪れる人にも知っておいてもらいたいので、今回、書き加えておきました。

ところで、その対処法のところでは、「「(これまでの経験上、体験したことのない)未知の状況」であることを、率直に認めたうえで、できる限りの対処をしていく」という風に、述べています。そこでは、何よりも、「(これまでの経験上、体験したことのない)未知の状況」と認めることこそが、重要なポイントとなることを、改めて強調したいと思います。

「未知の状況と認める」とは、「これまでの経験上に、起こっていることを捉えようとしても、できない」ということ、つまりは、「分からない」状況であることを、率直に認めることです。

「組織に狙われる」とか「電波を仕掛けられる」、「思考を盗まれる」などの「妄想」は、起こっている状況を、「未知の状況」と認められずに、これまでの経験の延長上に解釈することから、起こっているのです。本当に、「未知の状況と認める」ことができれば、そのような解釈はとりようがなく、また、精神医療に委ねることにも意味がなく、ただ起こっていることを虚心坦懐に観察して、できる限りの対処をしていくしかないことに、嫌でもなるのです。

しかし、一般に、そうはならないのは、逆に言えば、そうすることが、いかに難しいことかということです。「未知の状況と認める」ことができないために、妄想のような「あがき」が起こり、また、精神薬のような物質的な手段で無理やり抑え込むしかないということになるのです。

そもそも、「これまでの経験上の捉え方」という枠組みを提供しているのは、近代社会の「ものの見方」あるいは「文化」です。それは、科学など、物質的なものに基づく、経験的、客観的な方法により、あらゆることが理解できるものであるかのような、発想に基づいています。精神医学というのも、その延長上にあります。

しかし、その枠組みこそが、実際に起こっていることを捉えるのに、大きな制約を課しているのです。だから、「未知の状況と認める」ということは、そういった枠組みを突き崩して、改めて状況そのものと、いわば「裸のまま」、向き合うことを意味するのです。しかし、それは、恐ろしいことなので、難しいことになるのです。

私のブログでも、考察の部分で、そのような近代の発想と、精神医学の発想が、 動機に基づいた、イデオロギー的なものとして、根源的に問われていますが、それをしないと、実際の状況下で、「未知の状況と認める」ということ自体が、起こり難いからです。

また、最近の記事『『精霊に捕まって倒れる』-精神の病と異文化の問題』でもみたように、「統合失調」状況を捉えるということは、まさに、「文化」の問題となるのです。近代という、一つの文化の発想自体が問われる事態ということです。

モン族などの先住民文化では、「統合失調」状況の捉え方が、近代の発想とは違って、物質を超えた霊的なものの視点を含んでいるし、排除されないので、経験上必ずしも,未知の状況とも言えないものになります。ただし、それも、一つの「文化」としての「見方」であることに変わりはないので、ただそれを、無批判に受け容れればよいということにはなりません。

やはり、近代という文化の中にいる限りは、一旦は、「未知の状況」と認めたうえで、その状況と虚心に向き合うことで、新たな捉え方を自ら見出していくしかないと思われるのです。

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