2021年2月26日 (金)

『R.D.レインと反精神医学の道』と隠喩としての「精神の病」

R.D.レインについては、私も、「最も分裂病理解に近づいた一人」として、記事『「自己の脆弱性」/『ひき裂かれた自己』 』及び『「疎外」からの「逸脱」/『経験の政治学』』でとり上げている。

『「自己の脆弱性」/『ひき裂かれた自己』』では、主著である『引き裂かれた自己』をかなり詳しく解説し、それは、分裂気質の者のあり方を、これ以上ない程に内面深く切り込んで、鋭く分析していることを明かにしている。ただし、それは、否定的な面のみに偏り過ぎて、問題もあることを指摘した。

そして、『「疎外」からの「逸脱」/『経験の政治学』 』では、レインが、その問題を大きく修正し、分裂病体験は、「霊的な旅路」として、現状の行き詰まりの突破となり得ることを明確に示したことを、大きく評価した。そこには、レインの、「正常」といわれる状態こそ、現代の「疎外された社会」での適応状態に過ぎず、そこからの逸脱は、むしろ、その疎外された状態の突破の契機となる、という認識も大きく働いている。

とは言え、レインは、『引き裂かれた自己』でみた分裂気質の者のあり方を否定したわけではなく、分裂病体験の否定的側面も十分認めているのである。だから、決して、「狂気を美化」したのでもなく、分裂病が、単に、「家族や社会によって作られたもの」に過ぎないとしたわけでもない

このように、レインには、分裂病そのものへの深く鋭い視点が厳としてあり、その点で、他の反精神医学者とは一線を画す、ということも述べていた。

この度、ズビグニェフ・コトヴィチ著『R.D.レインと反精神医学の道』(日本評論社 )という本が出ていたので、読んでみた。これは、レインの思想の移り変わりや、その背景、他の反精神医学者との相違、キングスレイホールのような実践のあり様、レインへの批判などが、簡要にまとめられていて、参考になる。レインを読んだことがない人には、理解が難しいかもしれないが、読んだことがある人には、理解を深めてくれるものになるはずである。

著者の視点も、上のような私の考えに近く、大枠で納得できるものでもある。レインへの批判も紹介しつつ、それらの多くが、的を得ないものであることが、指摘されている。

主著『引き裂かれた自己』を高く評価する人は、後のレインの転換を、後退とみる人が多いが、決してそうとは言えないことも、指摘されている。ただし、著者が、後の転換の方を高く評価するのかどうかは、曖昧である。

病者と分け隔てなく共同生活をするキングスレイホールの実践も、失敗に帰したとみる人が多いが、レインにとっては、それは文字通り、社会の中での「実験的意味」だったので、何も、治療できることを標榜したわけではない。

晩年、レインは、分裂病の解説や治療からは離れて、詩人あるいは文学者に帰した観があるが、これも、レインにとっては、「分裂病者」よりも、「疎外された社会」の方が、絶望的に問題となっていたということで、理解できるはずである。

ところで、この本では、レインではないが、サースという反精神医学者の「病気」に対する見方が紹介されていた。サースは、レインのように、分裂病そのものへの深い切り込みはないようだが、「病気」という見方については、レイン以上に鋭い突っ込みがあったようである。

私の考えていたこととも重なる、重要なものなので、とりあげてみる。

サースは、「精神疾患」という言葉が隠喩に過ぎないと論じている。冗談の「趣味が悪い」(シック)とか経済が不振(シック)とかの意味でのみ、こころは病気(シック)となりうるのだ。」

端的に、「精神疾患」の本質をついた言葉と言うべきである。要するに、精神の病気というときの「病気」とは、身体医学で病気というときの「病気」を、精神の領域に比喩として借用した、「隠喩」に過ぎないということである。

例えば、経済が不振であるとか、冗談の趣味がよくないなどのときに、英語では、病気を意味する「sick(シック)」」が「隠喩」として使われるが、それと同じような意味で、精神の領域にも、「sick(シック)」 が使われるに過ぎないということなのである。

日本でも、同じように、「不調」とか、「具合が悪い」という意味で、「病気」や「病的」という言葉が、いろいろな方面で使われるから、これは理解しやすいことだろう。

何しろ、経済そのものや人の冗談に、何か実体として、「病気」というものがあるわけではない。それと同じように、精神の領域にも、「病気」なるものがあるわけではないのである。ただ、「隠喩」として使われているに過ぎないのだが、精神医学は、それを、実体としてあるかのように、みなしてしまったのである(あるいは、「敢えてみなした」のである)。

私も、「精神の病気」に言う「病気」とは、「たとえ」であるということを、記事で述べようと思っていたところなので、これは、まさしく、我が意を得たりというものであった。

ただ、私に言わせれば、そもそも「身体医学」にいう「病気」というのも、決して「実体」とは言い難く、相当に怪しい「観念」に過ぎない。ただ、仮に、身体医学に言う「病気」を認めたとしても、精神の領域でそれが使われるのは、その「隠喩」に過ぎないのだ、ということで理解してほしい。

 

2021年2月17日 (水)

お笑い系?宇宙人シャーの語り

チャネリングで降ろされる宇宙人といえば、日本で有名なのは、バシャールやアシュタールであろう。

ところが、最近は、チャネリングのできる人も増えて、さまざまな宇宙人が、人の体を借りて情報を発信するようになっている。もちろん、玉石混淆で、すべてが本物とは解せないが、中には、注目すべきものもある。

そんな中でも、異色でユニークな存在が、宇宙人シャーである。私と年齢も近い、インパクトあるおばさんが降ろしているのも、異色である。

まずは、最近のユーチューブの動画をあげておく(https://www.youtube.com/watch?v=Mx362eJyVTg) 。前に紹介した、レインボーチルドレンのまりなちゃんとの対談もある(https://www.youtube.com/watch?v=xMrl4G27bIg&list=PUfGB7AgCeD8fic0hykbWViA&index=32)。

「シャー」と言っても、別に勝俣の生き霊ではない(笑)。惑星ゼロというところから、次元転換して、地球に来ているそうだ。(「ただ座るだけ」というシンプルな座禅を伝えた、あの道元禅師も同じ出身というのにはちょっと衝撃!)

テンションの高いノリで、5歳児のしゃべりを入れたり、パフォーマンスを交えながら、ユーモアたっぷりにいろんなことを語る。まあ面白いし、ついつい引き込まれてしまう。

おばさんの井戸端会議に定番の、手を前に降っての「そーなのよ-、奥さん!」と、女子中高生のリアクションの定番、手に口を当てての「キャー!」が好きなようで、話の合間に、うまく入れて来る。それが、的確だし、身振りもよくとらえていて、感心してしまう(ときどき、「しょーなのよ、奥さん」って、5歳児のしゃべりでおばさんまねやってるのは、愛嬌(笑))。

地球人のことを、いろいろ興味をもってよく観察しているのが分かるし、その身振り、行動を面白がっているのだろう。

もちろん、まじめな話もときにはするし、それはそれで、奥深いことをさらりと言っている。

宇宙人というと、どうしても距離を感じて、警戒したり、あるいは崇拝する人もいるだろうが、シャーは、親しみやすさでは、随一だろう。

今はまだ、マイナーだろうけど、そのうちブレイクしても、おかしくないだろうと思う。特に、女性には人気が高まりそうだ。

そんなことを通して、宇宙人に対する見方が変わるとともに、宇宙人の語りにも耳を傾けてみようという人が増えるならば、結構なことだ。

私も、前の日記で書いたように、夢の中でだが、身体能力系?の異色の宇宙人と出会ったことがある。ペガサスから来たという、肩の筋肉が異様に張って、ジャミラのような格好をした、赤い肌の宇宙人である。自分が持っていた、宇宙人のイメージとあまりにも違うので、面食らったのだった。

このように、宇宙人と言っても、いろんなタイプがあることが、これからはますます知られて来ることになるのだろう。

※  このような、チャネラーの降ろす宇宙人は、チャネラーの「解離した別人格」ではないかと思う人もいることだろう。確かに、そういう場合も、結構あるかもしれない。

しかし、バシャールなどはもちろん、シャーの場合にしても、とても、この世的な経験の結果としての「人格」の一部などとは、解せないのが明かと思う。ただし、何度か言っているように、「自己」の枠組みを大きくとれば、それは、ある意味で、そこから解離した人格という見方はできるものである。

「宇宙人」と言っても、そのような「大きな自己」または「高次の自己」(「ハイアーセルフ」とも言われる)そのものの現れと言えるような場合もあるし、そうでなくとも、多くの場合、その「自己」とのつながりにおいて、存在しているものであるのが普通だからである。

バシャールも、チャネラーであるダリルアンカの「未来生」ということで、まさに、「高次の自己」そのもののような存在である。シャーも、チャネラーは何人かの候補から選ばれたということだが、やはり、見るからに(笑)、両者の間に関わりを思わせるものがある。

 

2021年2月 6日 (土)

支配層の今後に向けてのワクチンの利用価値

前回は、支配層にとっての、ワクチンの「利用価値」には、次の3つの面があることを明かにした。

1  人体、精神、さらに霊的な面も含めた、「人間の弱体化」=「精神薬」の延長上にあるもの
2  人体に「異物」を挿入することの慣例化、抵抗の削減=将来的に、チップや人工臓器など、情報管理や操作の可能な技術と結びついた物質を挿入させるための、伏線(「人間のロボット化」)
3  宇宙人の技術による、超科学的な、支配-操作の可能性

1については前回述べたので、今回は、2と3について、述べることにする。

まずは、2について。

ワクチンは、「毒」であり、「異物」であるものだが、特定の病原に対して、抗体を作り、免疫を獲得できるということで、人体に注入することが正当化される。感染症に対する恐怖が蔓延するほど、その需要も高まる。

そのような「異物」を体内に入れることには、本来、抵抗もある。しかし、それが、必要なことということで、「慣例化」すると、ワクチンに限らず、人体に「異物」を入れるということ自体への抵抗も薄れて来る。

将来的には、ワクチンに限らず、チップ、人工臓器その他、人体に入れることで、「便宜」が図られる技術がいろいろと発展して来る。「便宜」というのは、表向き、それを入れる本人にとってということが強調される。しかし、実際には、それを通して、その人物に関する情報を一元的に管理し、さらに外から操作することも可能になる、支配層にとってのものである。

チップについては、既に、マイクロレベルの超小型のものが開発され、家畜用のものや人間用のものも、実用化されている。現在、世界レベルで、オンライン化、デジタル化の波は進み、日本政府もそれに力を入れることが、公言されている。当分は、パンコンやスマホを通して、そのような情報管理が、徹底されるだろうが、それらが、繁雑で、不便になれば、いずれ、チップにそれらを一元的に集約し、人体に入れることで、便宜が図られるということになって来る。

ワクチンによって、異物の挿入が慣例化していれば、そのときには、それに対する抵抗も薄れて来る、ということである。そればかりか、それがかなりの人に広まれば、人々は、自ら望んで、チップを挿入することを受け入れるようにもなる。

ワクチンについては、感染症に対する恐怖が蔓延すれば、社会的な意味で、ワクチンを打ったということの「証明」も重視されるようになって来る。その証明がなければ、公的な施設に入ることや、店で買い物もできなくなるということも考えられる。そして、その証明も、デジタル化されるとともに、常に身にしている必要があるので、チップとして人体に入れることで、便宜が図られるということにもなる。

チップは、その人物に関する様々な情報を、外から読む(あるいは中から発信する)ことが可能となるばかりか、外から、そのチップを通して、人体や脳に働きかけて、行動や思考、感情を操作することも見込まれるものである(1)。現時点では、そこまでの技術があるとは思えないが、将来的には、十分可能性があると言わねばならない。もちろん、セキュリティは重視され、「安全」は謳われるだろうが、そんなものは、いくらでも、くぐられる可能性がある。

さらに、人体の様々な臓器については、老朽化せず、高度の機能が保てる、人工臓器の開発が進んで来る。もともと臓器に病気のある人ばかりか、健康な人でも、そのような人工臓器に魅力を感じる人が増えて来る。そのような人工臓器も、今後は、チップ同様、抵抗なく受け入れられるようになって来る。その人工臓器にも、当然チップは詰め込まれるから、外部からの情報の読み込みや操作に利用できるものとなる。

さらに、様々な、臓器がそのように人工化すれば、いずれは、脳そのものもそのような人工化の対象となり得る。そうなれば、もはや、人間という生命体としての自然な機能などは失われ、新たに作り直された、ロボット、あるいは、サイボーグのごときものとなる。それは、一見、便宜なようで、支配層によって、いいように操作できる、ロボット、あるいはサイボーグということである。

支配層としては、恐らく、このようなことを、将来的に目論んでいて、今回のコロナ騒動も、ワクチンの慣例化に向けての大きな一歩として、演出したものと思われる。

これは、決して、実現の望みの薄い、非現実的な発想ではなく、非常に現実的で、着実に事を進めて行く方向での、企みである。そして、「支配層」の中でも、「人間の支配層」の多くが、現実に、そのシステムを技術的に利用できる方向でのものである。

恐らく、このようなことが、第一次的な路線として、企図されていると思われるのである。

このような方向性については、大枠で重なることを、内海医師も述べている(https://www.youtube.com/watch?v=lI5Y3_gp5xg 参照)し、宇宙人のさくやさんも述べている(https://www.youtube.com/watch?v=8TYKIzi1ZCA&feature=emb_title 参照)。

しかし、「支配層」でも、最上部の「捕食者」あるいは「宇宙人」、また、人間でも、特に過激な者たちは、上のような着実なやり方でなく、今回のコロナ騒動という絶好の機会に、多くのことを一気に成し遂げたいと考えていると思われるのである。言い換えれば、人間が、彼らの支配を脱する可能性を強く危惧する者(存在)たちであり、それだけ切羽詰まっているということである。

そこで、これは、上の3、「宇宙人の技術による、超科学的な、支配-操作の可能性」につながって来る。これを、一気に成し遂げるために、「地球上の技術を超えた技術」、あるいは、「宇宙人の技術」との結びつきのうえに、なされるものとなって来るということである。

「宇宙人の技術」については、記事『「宇宙人」と「宇宙人の技術」』で大枠を述べている。また、たとえばHAARPの延長上にあるような、電磁的技術を利用しての、マインドコントロール装置については、記事『観念の問い直し 3-戦略の理解と対処法』で述べた。

今回問題にしている、チップを通しての情報管理と操作という点でも、これらの技術と結びついてなされ得るし、チップの性能や、情報管理の仕方、外部からの操作の仕方が、現在の地球上のものより格段に優れたものというのを想定できる。たとえば、チップ自体、マイクロレベルを超えた、ナノレベルの「見えない」もので、とてもチップとしてみつけることの難しいものということである。

この、宇宙人の技術による、チップを通しての情報管理と操作については、何度かとりあげた、チャネラー、A・ジョルジェ・C・Rが次のように言っている。(『令和元年からの「地球:人類」』より)

「今まで地球外生命体は、人類の不安定なスピリチュアリティを利用し、人々のメンタルをコントロールしてきましたが、それだけでは満足しない時がやってきました。現在、人類のクローン化計画を実行に移しつつあります。
 そのため、アメリカなどの国々でチップが生産されるようになりました。それらのチップはあなた方をコントロールし、クローン化を推進する以外の何ものでもありません。チップの中にはあなた方の寿命も存在しています。
 チップを自分の体内に入れた瞬間から、自分の寿命、自分が肉体を失うまでどうなるのか、どんな問題があるのかなど決定をゆだねることになります。そして、肉体を失えば、自動的にクローンの世界へ移行していくことになるでしょう。クローンの世界とは、地球外生命体が働いているラボラトリー(実験施設)の世界です。」

「彼らは、ロボット化に向けてあなた方が考えないように、意識がないように、エモーションが発現しないように、スピリチュアリティに触れないように、チップの全ての記録に対して指令を出しています。そのため、あなた方の技術者を通して、人類の望む「便利」を全て小さな機器の中に集中させているのです。
 体内にチップを受け取った週間からクローンになったも同然の条件下に置かれます。あなた方の情報は地球外生命体の世界で共有されるようになるからです。」

ただし、これについては、現段階で一気に実施しようとしたとしても、どの程度有効利用できるものなのか、疑問も多くある。どれほどの精度となり得るかという点とともに、たとえ、宇宙人がこのような技術を施したとしても、支配層の人間がそれを使いこなせるはずのないものである(地球製UFO等、その他の宇宙起源の技術についてもそれは言える)。だから、その利用価値は、将来の発展を見込んだ、上の着実な路線と比べても、かなり限定的なものとなるはずなのである。

たとえば、今回のコロナワクチンでチップを挿入することは考えられるが、それが直ちに、支配の装置として利用可能となるものとは思えない。だから、それは、「先行的」に入れるということになるばすである。あるいは、「捕食者」が特に好むように、「象徴的な意味」として、あるいは一種の「宣言」として、挿入するということになる。現在、チップが家畜動物に利用されているように、「お前らは、家畜なのだ」という意味ないし宣言としてである。

また、記事『観念の問い直し 3-戦略の理解と対処法』でも述べたように、このような情報管理や、操作の絡む技術は、単純に物理的な作用なのではなく、我々の意識のあり様に左右されるので、我々の意識がしっかりしていれば、そう大きな影響は受けないとも考えられる。

上に引用したように、(霊的な能力による操作の)そのような曖昧さを嫌う(2)からこそ、より物理的な方向に近づけた技術で、補強しようとするのだろうが、それにしても、本来、意識の影響を受けることには変わりないのである。

A・ジョルジェ・C・Rも、次のように言っている。

「そのプロジェクトに陥ることがないようにするには、スビリチュアルレベルの高まりが必要です。自分の心、感情やエモーションを豊かにすることに注意を向け、その小さな機器に決してコントロールされることがないようにしてください。」

いずれにしても、このような「宇宙人の技術」絡みの操作には、我々としては、技術レベルでの対応はできないに等しく、意識面でのあり様で対抗するしか手立てはないのである。

それに対し、2のような、人間の支配層が利用可能となる、現実レベルの路線での企図には、我々も、現実レベルでしっかり対応する必要がある。ワクチンや各種化学物質、デジタル的な情報機器についての知識をちゃんと持ったうえで、それらをどのように避けるかということを、考える必要があるのである。

 

1  この点についても、前にもとりあげたシリウス系のチャネラー、パトリシア・コーリの述べていることをあげておく。(『あなたはいまスターシードとして目覚める』より)

半導体を人直接人間の神経回路網に移植することを含むコンピュータバイオニクス的現実が、あなた方を待ち受けているのです。これは現在政府お抱えの科学者たちによって「検査」として実行されていますが、その技術はすでに諜報機関の研究室で完成されており、すぐに一般人の間にも普及するでしょう。このロボット利用技術には、神経線維の束をとらえるために電磁ワイヤー束を移植することが含まれています。

それはいったん配置されると、人間の神経系からのありとあらゆるメッセージを受け取り、それらを解読し、暗号化し、監視し、―さらには作動させるために、中央コンピュータシステムに送るようにプログラムできるのです。

2  但し、反面で、そのような能力による操作は、意識が巻き込まれれば、より強力で抜け出し難い影響を与え得る。それは、物理的な技術によるものの比ではない。その典型が、統合失調状況である。

2021年1月26日 (火)

支配層にとってのワクチンの意味

支配層にとっての「精神医療」や「精神薬」の意味については、記事『「支配層」と「精神医学」「製薬会社」の結びつき』等で、かなり詳しく述べた。ワクチンについても、何度か触れたが、この機会に改めて述べることにする。

支配層にとって、ワクチンは、とりあえず、「精神薬」の延長上にあるものである。しかし、そもそも、ワクチンとは、人の体内に、「毒」であり、「異物」であるものを、正当に、さらには、望まれて、「注入」できるものである。それには、明らかに、精神薬以上の「うまみ」がある。端的に言えば、支配層にとっては、ワクチンほど「おいしい」ものはなく、「使える」ものはないのである。

コロナ騒動により、現在、これだけ世界規模で、ワクチンの需要が高まっていて、義務化、強制化が正当化できる流れであることからも、それは分かるはずである。(1)

支配層にとっては、もちろん、「精神医療」や「精神薬」も、記事で述べたように、使えるものだがらこそ、目をつけ、力を入れたのである。しかし、もともと、あるいは、最近は特に、かなりの人にとって、疑いの目も向けられている。

ところが、ワクチンとなると、一種の「信仰」があり、必要性や期待の思いが、相当に強いのである。

さらに、「精神医療」や「精神薬」は、あくまで、「精神疾患」、あるいは、少なくとも、「精神的な不調」ということがあって、初めて使えるものである。この、「精神疾患」なるものは、いくらも拡張できるし、「精神的な不調」なるものも、いかようにも、「作り出され」得るものである。しかし、通常の健康の人までを、巻き込むのは、無理なのである。

ところが、ワクチンは、感染症の予防のためということで、多くの健康の人こそを、対象にできる。それは、人からうつる恐怖、人にうつす恐怖があればあるほど、広く必要性を訴え、正当化できる。

実際の効果がどうというよりも、それを打ったという事実そのものが、「対応策」をとったという意味で、安心をもたらす面も大きい(実際、そのプラシーボ効果も相当あると解される)。さらに、それは、世間に向けて、「やるべきこと」をやったことの証しとして、アピールできるという意味での安心をもたらす面も、大きいのである。

前に触れたが、私も、小学校のとき、学校の先生が、急に、ワクチンの仕組みと必要性について、妙に力を入れて、説明したことがあったのを覚えている。内容は、ウイルスから作られる、ワクチンによって、それに対応する抗体が作られ、免疫が獲得されるという、いわゆる「抗原-抗体反応」の簡単な説明だった。が、普段の授業では、自分で信じているのかどうかも分からないような、適当でとうでもいいような感じで、教えているのに、このときばかりは、本当に、力がこもっていて、明瞭に教えていたので、印象に残り、よく覚えているのである。

私も、かなりの説得力を感じ、多少とも衝撃を受けてしまった。

私の頃は、いくつかの予防接種が義務で、学校で行われたが、クラスの何人かは、接種後に倒れたり、不調になる人がいた。だから、予防接種の意味と必要性について、説明することを、上から指導されたのだと思う。その先生自身も、こればかりは、疑いないというほど、明瞭にその意義を信じているからこそ、そのような教え方になったと思われる。

いわゆる「抗原-抗体反応」というものは、「分かりやすい」ものだが、実際には、病原の体内への侵入経路が異なることや、ウイルスの遺伝子の変異の問題等により、効果があるのかどうか、疑わしいものである。さらに、病原のほかにも、混入される、補助剤や保存剤などは、人体や脳にとって、害毒となる可能性がある。

しかし、感染症に対する恐怖が蔓延するとき、そのような面に着目されることはほとんどなく、必要性や期待が、大きく上回るのである。多くの人が、好んで、自分から接種を望むことにもなる。

今回の、コロナ騒動も、世界規模で、このような流れが作り出されており、これだけ多くの人に、ワクチンを打てる機会というものは、そうはない。支配層にとって、この機会を利用しない手はないと思われるので、前回も触れたように、(先行的に)「チップ」のようなものを挿入することも、考えられるのである(この点については、次回にもう少し詳しく述べる予定)。

支配層にとっての、ワクチンの「利用価値」には、大きく、次の3つの面があると思う。

1  人体、精神、さらに霊的な面も含めた、全体としての、「人間の弱体化」=「精神薬」の延長上にあるもの
2  人体に「異物」を挿入することの慣例化、抵抗の削減=将来的に、チップや人工臓器など、情報管理や操作の可能な技術と結びついた物質を挿入させるための、伏線(「人間のロボット化」)
3  宇宙人の技術による、超科学的な、支配-操作の可能性

2,3は、次回以降に述べることにして、今回は、1の「「精神薬」の延長上にあるもの」について、もう少し述べる。

「精神薬」は、基本的に「麻薬」であり、一時的に精神的苦悩を感じさせない状態にすることがあっても、常用すれば、依存性を生み、思考、感情自体を荒廃させ、弱体化させることは、何度も述べた。

さらに、記事『身近に入り込んでいる「宇宙人の技術」』及び『チャネリング情報にみる薬の害毒と操作性 1』、『同2』では、チャネリング情報などもとりあげながら、精神薬は、ナノレベルの宇宙起源の技術も絡む、化学物質の混入により、さらに進んだ、「人間の弱体化」「クローン化」をもたらすことを述べた。

それは、単に、人体に対する害悪や、弱体化をもたらすだけでなく、エーテル体等の霊的人体、魂のレベルにまで作用するということである。それにより、人間の、より本質的な、「まるごとの弱体化」をもたらすとともに、精神的、霊的に、従順で、操作されやすくさせる。さらに、それらは、遺伝子レベルにまで作用し、子孫に受け継がれる形で、「クローン化」をもたらすのである。

ワクチンは、「麻薬」ではなく、依存性はないかもしれないが、様々な化学物質が混入され、精神薬と同様の効果をもたらし得る。先に見たように、補助剤、保存剤などは、それ自体、人体や脳の機能に害毒を与える可能性があるものである。

そして、それは、直接血液中に注入されるので、より強力な効果を及ぼす

ワクチンが、効果がないばかりか、様々な害毒をもたらすことについては、たとえば、内海医師のブログ記事にまとめられている。(http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-599.html )

また、ワクチンが、一時的には効果があったようでも、結局は害毒をもたらすことについては、前と同じチャネラーの情報をあげておく。(A・ジョルジェ・C・R『悟って<愛の波動へ>アセンション』より)

「注射による副作用は、内なるアセンションのプロセスを遅らせます。ウイルスと戦うためと言いますが、反対です。
医者自身知らない副作用のある薬、そのときだけの効果を考え、将来、頭や筋肉、神経系などに他の病を誘発するような薬を体内に注射します。国はワクチンを推進していますが、政府、製薬会社、病院が結託して動く国々の大きな誤りです。」

「ワクチンを打てば、ウイルスを拾わないだろうと喜んでいる人たちがいますが、間違っています。副作用のあるものを体内に入れれば、そのとき守ってくれるように感じます。しかし、時の経過の中で副作用の部分は「ウイルスのえさ」に変化します。ここに問題があります。

何らかの理由で免疫が下がった時、副作用のある物質を体内に注入していたために、体の中にウイルスを誘発します。そして、いつか薬が効かなくなる時が来ます。それは血管に直接入れた副作用物質によるものです。」 (2)

精神薬が、一時的には、精神的苦悩や不調を取り去る(紛らわす)ようにみえるが、結局は、より酷い効果をもたらすのと似たことが、ワクチンにも起こるということである。

さらに、先にみたとおり、ワクチンにも、精神薬や食品添加物の場合と同様に、霊的な面を含めた、まるごとの「弱体化」や「クローン化」の効果をもたらす、ナノレベルの添加物が混入され得る。それらの効果も、直接血液中に注入できる分、強力になるはずである。

さらに、私の視点からつけ加えると、ワクチンは、「毒をもって毒を制す」を地で行くいくもので、「毒」であることを大っぴらにしつつ、注入できるものであることに特徴がある。もちろん、抗原自体は、弱毒化され、または不活化されてはいるが、本来「毒」であることに変わりない。また、それを培養するのが、死んだ胎児の細胞だったり、ガの幼虫だったりと、「毒々しい」象徴的な意味に満ちている。それらは、本来「毒」であることを隠す必要もないことで、可能になっているものとも言える。

それらは、古来「呪術」にも利用されたもので、相手を「毒する」という呪術的な意図が、込められているかのようである。実際、それは、ワクチンが一種信仰の対象であることと、裏腹の関係にある。支配層というよりも、捕食者は、そうやって、人々の信仰の対象を「汚し」、「貶めつつ」、「利用する」ことを、ことのほか好む(喜ぶ)のである。

これまでも、様々な宗教的な教えや観念を、そのように貶めながら、利用することで、支配ー服従関係を築いて来た歴史がある。ワクチンについても、ある意味、それと同じこと、あるいは、より広く一般に広められるという意味で、より拡大されたことが、なされようとしているということである。

いずれにしても、ワクチンは、現時点においても、十分、現実的に、「危険」なものと言わざるを得ない。そして、支配層、捕食者の「意図」を示す、象徴的な意味にも満ちている。さらに、将来的には、より支配を徹底するための、伏線の意図が、込められていると言えるのだが、それについては次回述べることにする。

 

1 新型コロナワクチンは、病原そのものではなく、その遺伝子の一部を挿入するものだが、ここで述べることは基本当てはまるだけでなく、未知の要素が多く、生体の遺伝子に影響を与える可能性もある、より危険なものであることが明らかである。なお、新型コロナワクチンの危険性について、古谷医師にインタビューしたトカナの記事があるので、あげておく。(【必読】「新型コロナワクチンによってDNAが“いじられる”」「影響は未知数」医学博士で北里柴三郎の子孫が危機感表明!(渾身暴露インタビュー) (tocana.jp)

2 ワクチンに含まれる化学物質は、結局は、ウイルスのえさとなり、免疫が弱ったときに、かえって、ウイルスを呼び込んで病気をもたらすということだが、そもそもウイルスはどのように広まるのか、「ウイルスのえさ」とは何かについても、別のところに言及があるので、それも掲げておく。(『悟って<今ここで>アセンション』より)

「ウイルスは共振の法則により集まります。生き方、考え方、意識、感情、生活習慣などが関係します。彼らは人が良いエネルギーで振動しているか、良くないエネルギーで振動しているかが分かります。意識があり、とても賢いのです。彼らは、人が考えるように飛ぶ必要はありません。アストラル界、もしくはエーテル界から出現します。風も空気も必要ありません。

薬や添加物といった化学物質、甘いもの、動物性脂肪などは彼らの大好物です。波動が低いからです。そういったものはオーラや血液を汚し、胎内で毒素を作ります。彼らは毒素のエネルギーを食べます。毒素が多ければ多いほど、彼らにとっては天国です。エネルギーを多べるので、人体の良いエネルギーまで食べてしまいます。すると人は空っぽになり、もっともっと食べたくなります。彼らはそのようにしてエネルギーを吸収して、人の意識をコントロールします。」

ウイルスは、それ自体が物質的に移動して感染するのではなく、ウイルスを呼び込む土壌があるところに、見えない領域から「物質化」することによって、広まるということだ。が、これは、記事『「感染症」に対する恐怖とウイルス  』でとりあげた、シュタイナーの考えとも近い。そして、その「ウイルスを呼び込む土壌」こそ、「ウイルスのえさ」ということである。それは、各種化学物質や甘味料、動物性脂肪などが作り出す「毒素」であり、「波動の低い」ものであることが指摘されている。これは、物質的なものについて言われているが、シュタイナーの言うように、病者に対する「同情」(同調)や、前に指摘したように、「恐怖」や「不安」といった感情エネルギーも、当然、その土壌となると考えられる。

 

2021年1月 8日 (金)

本年度の情勢と昨年のページビュー数ベスト5

本年は、コロナより断然怖い、(チップ挿入の疑いもある)ワクチンの義務化、強制化の動きが本格化するので、昨年に引き続き(というより、本年こそ)大変な年になることは間違いないでしょう。

ウイルスを使った騒動は、地域的な戦争の火種よりも、世界規模での働きかけができ、支配層にとって、ずっと効果のある「仕掛け」として、味を占めた感もあります。そうすると、今後も、コロナに限らず、似たことが何度も繰り返される懸念もあります。

そのような結果として、自由が徐々に制限され、管理が徹底されて、「超管理社会」に向けての本格的な流れが、変えようのないものとして、実現されてしまうことも考えられます。

各人が、しっかりした覚悟をもって対処しないと、その流れに逆らうことは難しいかもしれません。

しかし、支配層も、自分らの支配、管理を失うことの、差し迫った恐れと焦りの故に、そういったあがきをしているので、ここをくぐり抜ければ、全体として、変化の兆しも見えて来ると思います。

 

昨年のページビュー数ベスト5にも、大きな変化があったので、報告しておきます。

1 「『魂の体外旅行』-「ルーシュ」の生産」  

2 「「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」」  

3 「「注文の多い料理店」の犬の怪」  

4 「ニーチェと「狂気」」   

5 「記事『どぶろっくと「妄想」』推奨」 

自分で言うのも変ですが、いずれも衝撃度の高い、濃い内容のものなので、妥当というか納得のいくものになっています。私的には、直に、「狂気」「統合失調」について書かれた記事も、もっと読まれてほしい思いはありますが、5は、かろうじてそういった記事の一つです。

とは言え、いずれの記事も、「狂気」に関わるものではありますし、一般に、「狂気」「統合失調」についての記事よりも、興味をそそるのは当然のことでもあるでしょう。

1は、モンローの本に出てくる、人間に対する宇宙の「捕食」的なエネルギーシステムを分かり易く解説し、さらにそのような「宇宙の創造」ということの意味を原点から考え直すもの。それが、必ずしも、「捕食者」という存在によらずとも、人間が「狂気」に陥らざるを得ない根本的な事情を、明らかにすることにもなっています。

2は、シュタイナーの「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」との対比を私の観点から改めて捉え直し、それが「狂気」、特に「統合失調」とどのように関係するかを明らかにしたもの。

3は、宮沢賢治の有名な物語が、単なるファンタジーなどではなく、ユーモアを交えつつ、「捕食者」的なものを明らかに示すとともに、異次元的な現象、特にそれが現実に入り込んで、現実をかく乱する、「中間的な現象」を見事に結晶化していることを明らかにしたもの。

4は、ニーチェの「動機の心理学」と言われる、「鋭過ぎる」暴きの思想が、学問を初めとする人間の営為をことごとく暴き尽くすとともに、自ら、それを超えようとして、それが適わず、「狂気」に陥ったとみられることを明らかにしたもの。

それぞれ、容易に結論めいたものの出せない、根源的な問題提起になっていると思います。あまり、この問題に深く捕らわれると、「狂気」に陥って戻れなくなること請け合いの問題でもありますが…(笑)。

 

※1 ニーチェの例をみても分かるように、ここでは、「知の限界」というようなことが、「狂気」の状況となることを述べました。

これは、「統合失調」についても言い得ることです。ただし、この「知の限界」は、主観的または文化的な規定が大きく影響します。現代においては、「唯物論」という規定が、「統合失調」における「知の限界」に関わっています。その「限界」に関わる「未知」の現象に見舞われたとき、「知」がそれを認めずに「あがく」とき、「統合失調」的な反応をもたらすということです。これは、「集団ストーカー被害」においても、また言えることです。

※2 なお、私の一連の体験を綴った、記事『20 「宇宙の死」へ』 に、脱落している部分があることに気づいたので、その部分を挿入しておきました。

6行目の「私の場合」から、22行目の「ないではなかった。」までの部分です。

一連の体験の流れの中で、アーリマン存在の影響が大きく減退するとともに、「宇宙の死」、「虚無との遭遇」へと向かう契機となる重要な部分ですので、改めてここで報告しておきます。

(短いですが、この部分がないと、読んだ人は、唐突に流れが変わったように感じて、戸惑ってしまったことでしょう。どうもすみませんでした。)

※3 記事量子力学の観測問題」と「意識」1』、『コラム的に』、『意識と物質の関係―「知覚」と「現実」 1で参照としてリンクしていたサイトが移動したため、リンクできない状態でしたが、改めてリンクし直しました。分かり易い説明と思うので、ぜひ、参照ください。

2020年12月19日 (土)

『無限との衝突』と「空なるもの」

スザンヌ・シガール著『無限との衝突』(ナチュラルスピリット)という本を読んだ。

女性による体験記で、ある日バス停でバスを待っているとき、突然「無限」または「空」と「衝突」し、以後「自分という基点」を永遠に失ったという。ロバーツの「自己喪失の体験」と似ているが、ロバーツの体験とは違いも多くある。また、「狂気」との関りは、ロバーツ以上に深く、私の「闇」または「虚無」との遭遇体験と、重なる部分も多い。

著者は、この体験をする前には、スピリチュアルな傾向があったわけでも、特に修行をしたわけでもないが、TM瞑想に関わったことがある。が、マハリシというよりも組織のあり方に疑問を持ち、スピリチュアルそのものにもよくない印象をもったまま、結局離れることになる。だから、この体験は、望むことも、予期するこもなく起こったもので、まったく理解できないのである。特に、「覚醒」の体験なら、喜びがあるはずだと思っているので、恐怖しか感じないこの体験は、なにものなのかといぶかるのである。

その後も、思考や感情という「マインド」の活動自体は存続するが、そこに「自己という基点」は一切なくなり、そのことが、非常な恐怖と混乱をもたらす。著者は、「病的なもの」との疑いももち、何人かのセラピストに相談に行くが、そこでは、セラピストが、その体験を恐怖の故に頭から認めず、自分の「精神分析」的な解釈にただ無暗に当てはめて、「解離性障害」などと病的な規定をし、(洗脳的に)セラピーを施していくというあり方に接し、そこにも多くの疑問をもち、やはり離れていく。

その後、著者は、覚醒や悟りに関する指導者(いまや欧米にもそのような人は多い)と多く会う機会を得、また仏教などとも出会うに従い、自分の体験が、覚醒をもたらす、「空」の体験そのものであることを受け入れるようになっていく。また、多くの指導者も、それが真正の覚醒体験であることを保証してくれる。

そのようなことから、著者は、「自己の基点」は失うが、あらゆるものが「空」の広大さそのものの現われであり、「一なるもの」であることにも目覚めていく。「自己の基点」は、元々なかったもので、「マイント」が生み出した「幻想」のようなものと悟るのである。そして、それまで、「空」の体験が、覚醒の体験なら、喜びをもたらさず、恐怖をもたらすことに疑問を感じていたが、その疑問も解け、静かな喜びをもたらすことになる。

その後、「空」と「一なるもの」の関係、「空」の体験後も、「マインド」そのものは存続し、思考や感情を失うものではないことなどの洞察と解説がかなり詳しく展開される。それらは、非常に鋭く、的確なものと感じられる。「マインド」の存続、特にネガティブな思考や感情の存続ということには、私も、多くの疑問をもっていただけに、大いに参考になった。

著者の体験は、かなり特異ともみられようが、ロバーツさらに私の場合と比較すると、より明確に浮き彫りになると思われる。

まず、ロバーツの場合と比較すると、「自己の完成」あるいは、「統一意識」というものを、経たうえで、起こったのではないことが、大きく違っている。その点では、私の場合と同じである。だから、より受け入れるのが難しく、より恐怖や混乱をもたらすのである。しかし、著者は、その後、「一なるもの」としての「統一意識」も経験し、結果として、それを受け入れることができるようになる。ただ、ロバーツの場合と比較すると、やはり、最後まで、不安定で、危うい感じは、つきまとう。

ただし、私の場合と違うのは、その体験によって、「自己という基点」そのものは、明確に失ったと感じ、その後もそれがずっと続いていることである。私は、体験時には、明らかに「自己の基点」を失ったが、その後は、それがなくなったわけではない(希薄なものとは化したが)と感じている。それは、やはり、その体験に至るまでの経過の違いによるということができる。

私は、その体験が起こる前に、「統合失調状態」という「狂気」そのもののような状態にあったが、著者は、その体験前は通常の状態にあり、体験の後、自己の基点を失ってから、「狂気」まがいの恐怖と混乱に陥ったのである。

私の場合、「空の体験」は、それら「統合失調状態」で起こったことを、「幻想」のようなものとして、解消する役をなしてくれた。が、著者の場合は、その体験によってこそ、「自己」の状態を失って、「狂気」めいた状態に陥ったのである。

結局、「空」の体験そのものは、いかようにもパターン化できないし、色づけできないということを、改めて感じる。こうなったら現れるとか、こうでなければならないなどということとは、無縁なのである。

それは、著者も言うように、ただ、本来の「ありのまま」の状態であり、ただ「マインド」の作り出した「自己」という幻想が、それが現れることを遮っているに過ぎない。その「マインドの遮り」が、取り払われる状態でなら、それがいつ現れても不思議はないのである。ただ、それをどのように体験し、消化し、受け入れるかは、人それぞれのあり方によるとしか言いようがない。「マインド」の抵抗が激しければ、「狂気」となり得るし、「マインド」の抵抗がなければ、喜ばしい体験として、その状態に安住していられるということにもなる。

また、それは、その体験が起こるまでの経過にもよる。私のように、「狂気」の状態の果てに体験した場合、それは、その「狂気」を吹き払う、「治癒」的な働きをなすことにもなるが、著者のように、いきなり体験すれば、その体験の「異常」さが際立って、「狂気」をもたらすことにもなり得る。

ただ、総じて言うならば、ロバーツの場合のように、まず「自己の完成」または「統一意識」に至って、その「自己」を全体として抜け落とすということになるのが、最も危険が少なく、十全な結果をもたらしやすいことにもなるだろう。ただし、それは、そうでなければならないのではなく、あくまで、「事実上」のことである。

私の説明では、「自己」の完成の方向は、「水平的方向」であり、「空」による「自己の喪失」は、「垂直的方向」である。ところが、人は、この「空」の体験も、「水平的方向」の延長上にあるものと、みなしてしまいやすい。それで、「空」の体験も、人格の成長の果てにあるものとか、当然に、肯定的な結果をもたらす、喜ばしい体験であるとみなしてしまうことになる。しかし、それは、「空」を恐れるがゆえに、まさに「マインド」が、そうあってほしいと思っていることを信じているだけのことである。ところが、垂直的方向の体験は、本来、そういったこととは、一切関わりないのである。

著者を取り巻く人たちの、無理解の反応や、その体験を「病的」なものとみなそううとするセラピストたちも、まさに、そのような反応をしているだけということである。この本は、それらの人たちの反応の問題をも、よく浮き上がらせている。

著者の本自体は、このように、この体験を肯定的に受け入れられるようになったところで終わっている。が、実は、編集者によると、著者は、その後、またいくらか混乱をもよおし、幼少期の頃の、虐待の記憶が戻って、それが自分の体験にも影響していることを認めるようになったという。そして、その後、脳腫瘍を患い、まもなく死亡したという。

このようなことは、先にみたように、「空」の体験が喜ばしいものであるべきという「マインド」の視点でみると、疑問や矛盾と感じるかもしない。しかし、私は、ある意味で、多くの「覚者」の最晩年に、何らかの形でつきまとう、ある種の「悲哀」あるいは「味」とすら思う。ブッダの最晩年にも、このような要素は漂っている。

繰り返すが、そのような要素があってはならないと思うのは、「マインド」であって、それは事実とは関わりない。

私も、本を読んでいるとき、著者の体験は、「解離」または「離人症」的なところがあると思ったし、恐らく「虐待」と関係しているのではないかと思った。それは、実際、そういう面があったのだろうが、これまでみて来たとおり、「空」の体験自体、「狂気」の状態と、すなわち、「解離」のような状況とも併存し得るのである。私の場合は、「統合失調」状況との併存だったが、著者の場合は、おそらく、幼少期の虐待の影響もあって、「解離」との関りが強かったということである。

そもそもで言うと、「一なるもの」といわれる、根源的な「絶対的な存在」自体、記事『「神」も「解離」する!?』でもみたように、自分を取り巻く「未知なるもの」を意識し、それを探索したいとの思いから、「解離」のようにして、多くの「分身」を作り出したのだった。

そもそも、「空なるもの」は、あらゆる存在にとって、「解離」と本質的な関りがあると言えるのである。著者の体験は、ある意味で、それを踏襲しているだけである。

(また、「死」の点について言うと、「空なるもの」は、人間の肉体という枠組みとは、どうしても、共存し難いものがある。それで、いずれは、肉体の「死」ということに、向かわしめるものがあると言える。)

ただし、ロバーツの場合は、「自己喪失」の前に「統一意識」を体験していたので、「自己喪失」をもたらす「空なるもの」には、「一なるもの」をも超えたものがあることを、感じとっていたと解される。「一なるもの」にとっては、「未知なるもの」としか言いようのない要素である。ところが、著者の場合は、「空」の体験後に「一なるもの」の体験をして、肯定的に受け入れたので、両者が同等のものとして、混同されている節がある。

「空なるもの」には、「一なるもの」を超えたものがあること、「一なるもの」には汲みせないものがあることを、十分意識できていれば、その体験には、「解離」のような現象との併存もあり得ることも、受け入れやすかったかもしれない。

 

2020年12月 4日 (金)

「レインボーチルドレン」たちの発信

スピリチュアルなことがらを含めて、大人顔負けの知見をもち、才能を発揮する、子供たちがいる。最近は、明らかにそういう子供たちが増えて来ているとみられる。もっとも、昔から、そういう子供はいて、「神童」などと呼ばれていた。

クリスタルチルドレン」とか、「レインボーチルドレン」などと言われるが、要するに、「水晶のように透明な」、あるいは「虹のように全体色において輝いた」オーラをもった子供と思えばよい。

本来、子供とはそういうものとも言えるが、現在の地球の社会に生まれれば、普通は、この社会の「闇」にいくらかとも染まって、そのような性質は失われていく。ところが、「クリスタルチルドレン」や、「レインボーチルドレン」は、そのような元々の性質を、ある程度の年令になっても、保持している子供たちと言うこともできる。

最近は、そのような子供たちが、本やYoutubeの動画などで、自ら情報を発信したりしている。ほかにもいるだろうが、私が目にしたもので、確かに、「本物」と感じられるものを、いくつかあげてみる。

Youtubeの動画では、

クラリオン星から地球に転生して来たという そうた君
https://www.youtube.com/watch?v=91ZxR2s4TNk など

子供の「中間生」記憶の研究で有名な、池川明医師との対談 まりなちゃん
https://www.youtube.com/watch?v=rM-FZixUq7s など

本では、

ドクタードルフィンこと松久正医師との対談 かほなちゃん 
かほなちゃんは、宇宙が選んだ地球の先生』(ヒカルランド )

Youtubeでの紹介 https://www.youtube.com/watch?v=_5x0c0iZI-U

すみれちゃん    『かみさまは小学5年生』(サンマーク出版)

このようなことができているのは、かつては、大人たちに、「つぶされた」子供たちも、最近は、必ずしもつぶされずに、いることができるようになったということでもある。その知見や才能を見出し、その考えを聴くことには、多くの人にとっても、意義があることを認める大人も、かなりいるのである。

逆に、そういった大人に、いろいろ吹き込まれて、かつぎ出され、いいように利用されているだけ、という見方をする人もいることだろう。しかし、上にあげたような子供たちは、明らかに、自分自身で、主体的に考えを述べているし、その知見や対話における対応は、とても取ってつけた様なものではない。つまり、周りの大人が、吹き込んで可能となるようなことではない。もともと持って生まれたか、自分自身で、本当に身につけたものと言うしかないのである。

話は、それぞれに興味深く、全体に、共通するところは、当然あるが、それぞれに、個性的な違いもある。中には、首をかしげたくなるようなこともあるが、それも、独特の視点から(言葉が足りないために、異様さが際立ったとしても)、ユーモアを交えて、述べられていることが分かる。

ただし、だからと言って、彼らの言っていることが、すべて本当のこととか、真実であるということにはならないことには、注意を要する。これは、チャネリングなどでも同様だが、「言葉」を通して発信する以上、その「翻訳上」、「表現上」の制約は受けるし、子供の場合、経験的にも、より多くの制約があるのは当然のことだろう。

しかし、子供だからこそ、訴える力が多くあるのも事実で、その辺りは、人それぞれ感じ取ってもらえばよい。

まりなちゃんが言っているように、今後は、こういった子供たちがますます増えて来て、社会の構造も、大きく変わる方向に行くのかもしれない。が、それに脅威を感じる大人も多くいるので、ことはそう簡単ではないのも確かなことだ。しばらく(数十年あるいは百年くらい)は、そのせめぎ合いのようなことが、続くことだろう。

2020年11月 9日 (月)

元FBI特別捜査官の語る暴露話

元FBI特別捜査官ジョン・デソーザとシャランの対談本、『真実はここにある!』(VOICE)を読んだ。

デソーザは、ドラマ『X-ファイル』の主人公のモデルとなった人物で、実際に、FBIには、UFOや宇宙人関係、奇怪な超常現象などの事件を回されて来る部署があったという。デソーザはその部署で、特別捜査官をしていた者である。

そのデソーザの語る暴露話は、実際、ドラマ『X-ファイル』を超えるほどのもので、どれも興味深く、改めて、事態はここまで来ていることを確認できるものだった。

内容は、非常に多岐にわたるが、デソーザは、9・11事件の調査にも携わっている。あのとき、タワーに突入した旅客機については、丹念に調査しても、一切破片がみつからなかったという。それは、実際に突入していれば、あり得ないことなので、あの映像は、「ホログラム」だったとする説もある。しかし、デソーザは、旅客機自体は、明らかに存在していたもので、あの旅客機は、高度のテクノロジーにより、別の次元に転送されたのだという。

タワー自体は、他の方法で爆破されており、それも単なる爆弾ではなく、高度のテクノロジーである、ある種の液体が使われている。演出したのは、悪魔主義者である支配層の核「カバール」で、9・11という日付も、キリストの本当の生誕の日が選ばれている。実利的な効果を狙ったというよりも、彼らのエネルギー源となる、「恐怖の演出」という意味合いが強いという。

これに限らず、デソーザの話は、私の見方とも大方合致しており、共感できるものが多い。それは、デソーザ自身が、異次元的(霊的)な体験や宇宙人に関わる多くの体験があり、それらに関することが、自然と違和感なく、受け入れられているからでもある。

少年時代にも、UFOと宇宙人との遭遇体験があり、アブダクションされそうになった(但し、家族はされた)こともある。さらに、FBI時代にも、事件との関係で、様々な異次元的な体験をしたり、UFOや宇宙人についての様々な情報と接していて、こういったことが、日常と化しているごとくである。

UFOと宇宙人については、FBIの機密解除文書も公開されていて、その中には、「UFOと宇宙人は、宇宙からではなく、別次元から来る」という、科学者の考察が記されたものもある。(トカナの記事 https://tocana.jp/2017/02/post_12244_entry.html で扱われているので参照)

デソーザも基本、その線で考えているが、たとえば、ときたま話題になる、宇宙人のミイラなどとされるものは、宇宙人ではなく、地球ネイティブの超自然的な存在のものだとしている。イエティやビッグフット、あるいは、各種の精霊などの類いである。

恐らく、宇宙人は、異次元的な存在だとしても、地球起源の超自然的な存在とは区別する趣旨であり、この点も私と同じである。宇宙人は、異次元的な存在としても(物質的な意味での惑星そのものではないが)、宇宙起源の存在ではあり得るのである。

さらに、デソーザは、MIB(黒服の男)とも遭遇しており、それについても興味深い解釈をしている。MIBと接した人は、生命の欠けた、死人のような感じと報告することが多く、「人間とは思えない」奇妙な振る舞いをしたり、あるいは、ある話題には通じていても、誰でも知っている日常的な事柄については、全く知らなかったりする。

私も、当時は、ハイブリッドと思われた、「つきまとった存在」について、同様な感じを抱いたことは、最近の記事『「MIB」/「集スト」と「想念形態」 』でも述べていた。

それで、デソーザは(これは、ブッシュマン博士という彼のよく知る人の説でもあるのだが)、「MIBは、宇宙人が高度のテクノロジーで、死人を生き返らせて、ロボットのように操っている」ものと考えている。まさに、ゾンビである。まあ、その可能性もないわけではないが、この点は、私が、『ラー文書』を参照に述べたとおり、宇宙人の操る「想念形態(エレメンタル)」と解する方が、しっくり来るばすだ。

もう一つ、UFO関係では、私も記事でとりあげた、最近の、米国防総省による「海軍戦闘機によるUFO映像の公開」についても、言及している。UFOを肯定する人にとっては、むしろ意外なことだろうが、デソーザは、あの映像は、宇宙人のUFOではなく、カバールの所有する最新兵器のドローンなのだという。カバールは、敵意ある宇宙人の地球への襲来の演出を準備する(暗示的に予期させる)べく、この映像を公開したのだという。

私も、この映像については、UFOではないのではないか、という予感を持っていたので、可能性として十分あると思う。カバールは、本物のUFOのことは隠し続けつつ、暗に、UFOと見間違うほどの高度の技術を所有していることを、自己顕示的に示してもいるわけで、いかにも、彼らのやりそうなことではある。ただし、こういったことがなされるのも、UFOや宇宙人の存在が、徐々に隠し切れなくなっているからこそなのではある。

この他にも、カバールとそれに対抗するアライアンスとの抗争(トランプも一応アライアンスの側の人物とされる)のことや、カバールの世界に向けた戦争そのものである、新型コロナ騒動についてなど、現在進行形の問題についても、興味深い話がいろいろある。

しかし、デソーザは、こういった領域に限らず、話自体が面白く、全体を通して、興味深く読めるので、興味のある人は、ぜひ読んでみたらよいだろう。

2020年10月12日 (月)

一般の精神医学との相違を端的に示す図

「狂気」または「統合失調」について、一般の精神医学と私の説との相違を、端的に示す図を作ったので、掲げます。

 Photo_20201011235101
この図を通して、示したかったことは、「一般の精神医学」と「私の説」では、根本的と言っていい、方向性の違いがあるということです。それは、いかんともし難いもので、その溝は、以下に見るような、精神医学の前提が変わらない限り、埋めようがないものです。

一般の精神医学の前提は、「声」などの幻覚は、(客観的には)「存在しないもの」であるということです。それを、統合失調の者は、「存在する」もののように知覚するので、それ自体が、「病的」であり、病気の現われとしての症状だとするのです。

それが「病的」であるとは、それは、「虚偽」であり、「害悪」であり、「取り除かなければならないもの」ということです。そこで、その「原因」を探って、それを「取り除く」ための方法を、「治療法」として、確立しようとするのです。()

その原因を、「脳」の異常とみるのが、主流である、「生物学的精神医学」であり、それは精神領域の問題とするのが、精神分析や実存分析などの精神医学です。

主流である、「生物学的精神医学」では、現在も、統合失調者の脳や遺伝子に何らかの特徴をみつけることに血眼になり、それを「原因」とみなそうとします。しかし、本来、統合失調の者の脳や遺伝子に何らかの特徴がみつかったとしても、それが「原因」である必然性はないですし、そのことが、「病気」または「病理性」の証明になるわけでもありません。

ただ、「幻覚」とは「病的」なもので、「取り除かなくてはならない」もので、それは、「脳が原因」で生じているという前提を当然のものとして疑わないとき、そのような特徴が、「原因」として見出されたものとして、即断されてしまうのです。

それに対して、私の説は、「声」のような幻覚は、物質的な存在ではないが、「客観的に存在する」ものであるということです。図では、「非物質的存在」としていますが、「霊的存在」としてもいいです。

いずれにしても、それ自体は、存在するもので、それがあること自体が、「病的」なことでも、「取り除かなくてはならない」「害悪」でもないとみなします。

ただ、その客観的に存在するからこそ、人を捕らえる、大きな「力」を有する「幻覚」に、振り回されて、混乱し、あるいは、それに基づいて「妄想」を構築して、それを行動にも現すようであれば、確かに、「病的な振る舞い」となるということです。

そして、この場合は、「治療法」ではなく、「対処法」こそが問題なのであり、それは、「病的な振る舞い」をできる限り、抑えるということに尽きます。それには、「声」として現れている「幻覚」に、ただ振り回されるのではなく、見極めていき、その性質を十分に捉えることができるようにならなければなりません。何しろ、「取り除く」ことが問題なのではなく、「振り回されない」ことが問題なのです。

「声」は、客観的に生じているもので、現に「病的な振る舞い」を生じさせる、とりあえずの、はっきりした「原因」として、非常に重要な「とっかかり」です。それを、「見極める」ようにすることから、それまで知らないでいた、様々なものが、「見え」てきますし、さらにそれをとっかかりにして、それをもたらす内的な原因にまで踏み込むことも可能です。

「声」は、内的にあるものとの関連で生じているので、内的なものをみつめるきっかけにもなるのです。

それに対して、一般の精神医学は、ただ「幻覚」を取り除くことに一生懸命で、現に統合失調の者が、振り回されている、「幻覚」の内容に興味を示すことも、理解しようとすることもありません(ただの「虚偽」なので、その必要もないことになります)。それでは、なぜ、統合失調の者が、そんなにも、信じがたいほど、「振り回されている」のか、つまり、統合失調の者の陥っている状態そのものも、何ら理解しようとしないことになります。

今回は、一般の精神医学との相違を、端的かつ明確にするために述べているので、詳しくは述べないですが、結局は、その相違は、「声」=「幻覚」の捉え方が、180度異なることから、来ているということです。そして、それは、それが変わらない限り、溝が埋まらないような、根本的なことということです。

※ 11月2日 

 「幻覚」は、存在するのであろうと、存在しないものをあると知覚するのであろうと、「害悪」であることに違いないから、「取り除く」のが適切な処置であることは疑いない、と思う人も多いかもしれません。しかし、「幻覚または妄想という現象自体」を取り除くなどということは不可能なことで、「取り除く」(「修正する」というのも同じこと)とすれば、「幻覚や妄想を生む脳の部分または機能」ということになります。その発想は、結局は、ロボトミー(前頭葉摘出手術)と同じであり、幻覚や妄想を含む思考や感覚の働きの多くを「取り除く」ことにならざるを得ないのです。精神薬も、発想としては、その延長上にあるもので、実際に、幻覚や妄想というだけでなく、思考や感覚の多くの働きを鈍らせてしまうのです。

生物学的精神医学は、その精度をより精密にすべく、「原因」となる脳の部分や機能の探究を続けているのでしょうが、発想としては、やはりそれらの延長上にあるもので、厳密に「幻覚や妄想」という「害悪」だけを取り除くなどということは、あり得ないことです。

ところが、それでも、一般に、幻覚や妄想は、そのような「犠牲」を差し引いても、「取り除くべき」という、強い「忌避」の意識があるので、そのようなことが顧みられることはないというのが、現状です。この、「幻覚や妄想」に対する「忌避」の意識の背後には、「オカルト的なもの」への「忌避」の意識があるということも、何度も述べているとおりです。

 

2020年9月 8日 (火)

ブログを読むときのBGM 推奨曲

ブログ『趣味的話題のブログ』の記事『人間椅子』で、私が若い頃に出て、今も活躍する、おじさん3人組のロックバンド、「人間椅子」のことを述べた。

聴いてもらえば分かるが、このバンドの曲には、私のこの「狂気」をテーマにしたブログの記事内容とも関わり、BGMとして聴くのにピッタリと言えそうな曲がいくつかあるので、紹介してみます。

1  「虚無」や「闇」に関わる記事
    例  『「虚無」・「闇」あるいは「無限」 』
         『「虚無」・「闇」との出会われ方-3種』など

  曲   『虚無の声』(https://www.youtube.com/watch?v=tYs_-BWwMkI )

        般若心経の言葉が効いている。
      詩も、私の体験を代弁してくれるかのようなものがある。

                              
2  「捕食者」に関わる記事
    例  『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』
         『「捕食者」と「分裂病的状況」』など


  曲   『宇宙からの色』(https://www.youtube.com/watch?v=1JY89ZxVqEg )

      「色」(colour)というのは、「見えないエネルギー」で、「オーラ」あるいは「気配」のようなものと思えばいいでしょう。私は、全体を 「捕食者」に関連させて受け取りました。

3  「なまはげ」に関わる記事
    例  『「なまはげ」の「鬼」 』
         『「儀式」としての「なまはげ」』  など

  曲  もちろん 『なまはげ』(https://www.youtube.com/watch?v=CLoUY1kA4ZY )
        
      「なまはげ」の肯定的な面を歌っている。
  「厳しさ」が愛、「激しさ」が慈悲で、「気心」が毒だそうだ。
    ギター演奏も、津軽三味線入ってるし…

   ほかにもあると思うけど、今回は、とりあえずのところの紹介です。

 

«「MIB」/「集スト」と「想念形態」

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