2024年3月 2日 (土)

「精神病理学」と、結局は「了解」の問題であること 1

「精神病理学」については、哲学的で晦渋なイメージがあって、興味があっても、とっつきにくいと思っている人が多いであろう。それは、確かにそう言える面があり、だからこそ敬遠されて、表面上「分かりやす」く、一般化しやすい、生物学的な精神医学の方に、多くの注目や期待が寄せられることにもなるのだろう。

私自身も、精神病理学には晦渋なイメージはあったが、最近、松本雅彦著『精神病理学とは何だろうか』(星和書店)や、松本卓也著『症例でわかる精神病理学』(誠信書房)という、明解で分かりやすく書かれた本を読んでみて、改めて、「統合失調」と「精神病理学」について確認できたことがある。(この二つの本は、それぞれよく書かれた本で、「精神病理学」に興味があるなら、ぜひ読んでみてほしい。)

それは、端的に言うと、次のとおりである。

まず前提として、「統合失調」を巡る問題とは、結局は、「了解」を巡る問題であるということ。そして、「精神病理学」は、一般の(生物学的)精神医学とは異なり、「了解不能」とするのではなく、それに鋭い視点から迫ろうとしていて、それぞれにみるべきものがあるということ。しかし、残念ながら、それは結局は、「統合失調状況に入る契機」を明らかにするものであっても、「統合失調状況そのもの」を明らかにするものではない、ということである。

このことは、前から述べていたことではあるが、今回改めて、強く確認されたので、それについて述べる。

まず初めに、私自身の立場をはっきりさせておくと、私にとっては、自分の体験からして、「統合失調」には「了解しかできない」ということになる。

「統合失調」に陥る人にも、さまざまなパターンや現れの違いがあるだろうから、「了解しかできない」というのは、おこがましいようだが、そこには本質的なレベルで共通の要素があるのは確かで、そこが具体的に「了解」できれば、それらの違いも、十分「了解」的に推察できてしまうのである。

精神科医のあげる症例や本人の手記などを読んでも、自分の体験に照らして、「あの状況でこのような反応をしてしまっているからこうなるのだな」等の理解が、具体的に、できるのである。

精神病理学でいう「了解」は、客観的な「説明」ではなく、主観的に「感情移入」して「了解」できることを言うのだが、もちろん、そのような状況での「出口の見えない」「どうしようもない」苦悩を体験しているから、同じような状況にある者に対して、いやでも「感情移入」的な理解になる。

ところが逆に、自分がそのような体験をする前を振り返ってみれば、「統合失調」に対して特に知識があったわけではないが(一通りのイメージは持っていた)、そこには、「了解などできない」という確かな壁ないし断絶が、はっきりとあったと言える。それは、(「分裂気質」というものに対して親近性は感じていたのだが)自分が実際に「統合失調」という状態に陥ることは、とても現実的に考えられることではないという思いと、言い換えることもできる。

現在でも、「統合失調」には、実際に体験してみないと分かり様のない面が、多分にあると思わざるを得ない。体験していない者に「了解」してもらうことなど、期待しようがないと思わざるを得ないところがあるのである。

だから、精神病理学が、自ら体験したわけでもないのに、それなりに鋭く、「了解」に迫ろうとするものがあることには、感心と驚きの方が大きいのである。少なくとも、「了解不能」として切り捨てて、「脳の病気」として「分かった」ことにし、薬で治療すべきものとする生物学的精神医学とは、大きな違いである。

精神病理学は、近代が前提として立てる発想に疑問を付し、それらをかっこに入れて、「意識に現れるままを観察する」という「現象学」の方法に則るものが多い。特に、デカルトが立てた「近代的自我」とか心身二元論的な発想を予めの前提としない。だから、「統合失調」を単純に、「自我の崩壊」とか、心身二元論の発想に基づく、「脳の病気」などとはみない。

フロイト的な精神分析についても、無意識という意識に現れていないものに対する「解釈」に過ぎないということで、取り入れないものが多い。

そうした中で、それぞれに、近代社会の中で「正常」とみなされる者を含めて、人間が生きるということはどういうことかを探って行き、その中のある種「逸脱」的な生き方をしてしまっている「統合失調」の者の意識のあり様を、何とか「了解」していこうとするのである。

それは、初めに述べたように、それぞれにみるべきものがあるし、「統合失調に陥る契機」としては、本質を明らかにするものがかなりある。

しかし、この点については、次回に具体的に述べることにし、今回は、私の場合との相違についてさらにはっきりとさせておきたい。

私は、「統合失調状況」そのものは、「霊界の境域」などとも言ったように、この世界に通常の感覚においては捉えられない「霊的」な領域のものが侵入し、両者が混交している状況であるとした。そこには、はっきりと、それまでの(通常の感覚に基づく)体験とは異なる「未知」の要素が入り込み、特に「自我」が弱いわけでもなくとも、混乱させる要素が多くあるのである。

精神病理学は、近代の前提とする発想を疑い、かっこに入れるのだが、それは、「霊的」または「オカルト」的なものにまでは向けられていない。つまり、これまでみて来たように、近代が内的な「排除」の欲求に基づいて、「霊的」「オカルト的」なものを存在しないことにしたという発想までを問うものではない。だから、精神病理学では、「統合失調状況」にそのような新たに侵入した「未知」の要素までをも、みようとすることがない。

それで、「統合失調状況」というのも、結局は、「統合失調に入る契機」の延長で(多くは自己の成り立ちにくさや未熟なあり様のため)、混乱が極まった状況とみることになるのである。中には、新たな「未知」の要素を何らかの形で示唆するようなものもあるが、それは、「霊的」「オカルト的」とみなせるようなものではない。

ただし、それには、精神病理学が、「意識に現れたままを観察して記述する」という「現象学」の方法に則ることから来る、当然の限界もあると言える。「無意識」の領域すら、意識に現れないものの「解釈」として切り捨てるのだから、多くの者には意識に現れているわけではない、「霊的」「オカルト的」なものの存在や働きなど、認めることができないのは当然ということにもなる。

しかし、この点は、「それ」が「現に意識に現れた者」の側からすれば、全く異なることになる。私は、まさに体験のさ中でも、様々な妄想的解釈や葛藤の果てにだが、最終的には、「意識に現れたままを観察する」ことしかできないことに気づき、それを実践することにした。それは、どうしてもつきまとう、混乱や迷いの中での、危ういものではあっただろうけれども、まさに、意識せずとも、「現象学」的な方法を実践していたのと同じことになる

また、「無意識」領域で体験していたものについても、何度か述べたように、「思い出す」という仕方で意識に上るものになったから、それは、まさに「意識に現れるままを観察」することを可能にするものとなったのである。

先に言ったように、それらは、当時の体験のさ中においては、かなり危うい、不確かな面も多かったかもしれない。しかし、それは、現在においては、それらを通り越して通常の意識状態にある中において改めて観察されたり考察されたうえで、様々な統合失調に対する考えとも照らし合わせて提示されているもので、私としては、まさに「現象学的な方法」そのものと言えるのではないかと思う。その意味でも、精神病理学には、親近性を感じるのである。

ただし、先に言ったように、統合失調を体験したわけでもない精神病理学者の「了解」との間には、壁や断絶をも感じざるを得ないのは事実である。そしてそれは、致し方のないことでもある。

しかし、多くの人は、統合失調を体験したわけではないので、同じ立場から、精神病理学を通して、「統合失調」を「了解」しようという意図を共有することは、しやすいと思う。「了解」しようという意思を失い、「了解不能」ということで、「分かった」ことにしてしまえば、もはや一般に浸透している、生物学的な精神医学を「妄信」するしか途がなくなると思う。

そこで、最初にあげた精神病理学の基本的な本や、このブログで取り上げた、R.D.レインの『引き裂かれた自己』や、特に、新書という形にまとめられた、木村敏の『心の病理を考える』などの本を、ぜひ読んでみてほしいと思う。

もちろん、私のこのブログの記述に、十分の共感や理解を感じられる人がいるなら、それに越したことはないのであるが。

次回は、精神病理学のいくつかの説をとりあげつつ、もう少し具体的に述べてみたいと思う。

 

2024年2月 9日 (金)

「シャーマン的巫病」と「統合失調」の相違 まとめ

前に、記事『6 他の「幻覚」の場合との比較』や、『「成人儀礼」としての分裂病』で、統合失調状況は、シャーマンの候補者がシャーマンになる前に体験する、「シャーマン的巫病」と酷似すること。しかし、さまざまな理由で、その「巫病」を「死と再生のイニシエーション」として乗り越えることができずに、その状況をさまようことに終始してしまう状態であることを説明した。

精神科医でユング派の分析家でもある武野俊弥という著者の、『分裂病の神話』(新曜社)という本で、ほぼ同様のことが、非常に的確にまとめて説明されていたので、今回はそれを紹介したい。

このところ、精神病理学の本を読んでいたのだが、それぞれ、「統合失調状況に入る契機」の説明としては、鋭いものがあり、本質に迫ろうとするものがあるが、「統合失調状況そのもの」の説明には届かないのを、いぶかしく思っていた(この点については、次回にでも改めて述べる)。

この本では、さすがに、「統合失調状況」を、あくまで「普遍的無意識」としてだが、自我を越えたものの現れとみて、それとどのように関わるかという視点をもつユングの意義を、改めて確認することになった。この本の著者の、多少割り切り過ぎる傾向はあるものの、分かりやすく的確な説明も、そう思わせることに寄与した。

他にも、統合失調全体について、とりあげる意義のあるものがいくつかあるが、それはいずれの機会にして、今回は、「シャーマン的巫病」との関係についてのみ述べる。この点に関しては、ユングというよりも、先住民文化の「シャーマニズム」という伝統にこそ、統合失調の本質を明らかにする大きな要素が、含まれているわけだが。

まずは、「シャーマン的巫病」では、分裂病の場合と同様の「解体のモチーフ」が現れるが、その意味がユングの普遍的(集合的)無意識に照らして次のように述べられる

「この断片化すなわち人格の完全な分裂・崩壊は象徴的には死に相当するが、その象徴的な死はまた宇宙が創造される以前の混沌(カオス)、すなわち宇宙の創造に先立つ名状しがたい無定形な状態への象徴的な回帰と等価でもある。つまり象徴的な混沌(カオス)への回帰は新たな創造への準備でもある。ユング心理学のことばで表現すると、この混沌状態は、無意識の蒼古的な構成要素すなわち集合的無意識を体験する機会をわれわれに与え、それによって無意識を統合する可能性をわれわれにもたらしてもくれる。」

シャーマンは、その状態を「死と再生のイニシエーション」として乗り越えることで、病的状態が克服されるが、統合失調症(分裂病)では、その状態が越えられることがないために、病的状態に終始してしまうことについて、次のように述べられる。

「シャーマンの入巫の病の場合、解体ないし分解、すなわち象徴的な死のモチーフにひきつづいて再生のモチーフが現れ、それが優位を占めるようになる。そしてその再生のモチーフは、病に引きつづく本来のイニシエーションを儀礼をとおして現実のなかに実現させる。他方分裂病の場合、再生ないし新生のモチーフはほとんど見いだされることも現実化されることもない。」

つまりは、分裂病の場合は、解体ないし分解をもたらすような、死のモチーフはあっても、再生のモチーフがなく、その状態から抜け出せないでいる、ということである。

そしてその理由についても、次のように述べられている。

「シャーマンは二つの世界、すなわち意識の世界と無意識の世界、あるいは外的現実の世界と内的イメージの世界の両方に住み、両者のあいだを自由に行き来している。シャーマンは二つの世界の価値と妥当性を同等に認めつつ、しかもその二つの世界を混同させないところにその卓越性がある。他方、分裂病者はこれら二つの世界を混同させ、あるいはそのどちらか一方だけにしか住めない。」

「シャーマンは能動的かつ任意に精霊を「見」そして「話しかけ」る。一方分裂病者は精霊の声を受動的に「聞き」、そしてしばしば不本意にそうすべきでないときに精霊を「見」あるいは「感じて」しまう。すなわちシャーマンは自ら精霊の世界(無意識の世界)に能動的かつ意識的に関わり、分裂病者は受動的かつ盲目的にその世界に巻き込まれとらわれてしまっている。」

「より高次の存在として再生されるためには、シャーマンはその解体のさなかにあっても自らの基本的アイデンティティだけはけっして失ってはならないのである。…分裂病者では再生のしいずえとなるべきこの骨の種子、すなわち基本的アイデンティティですら破壊的解体の対象となりそれを失ってしまう。」

「分裂病者の場合は、集合的無意識と出会うだけで、それとの創造的で相互的な関係はけっして確立しない。それゆえにいつまでも分裂病のままにとどまらざるをえないことになる。このような関係性の欠如がまさに分裂病の中心病理といえるのである。」

ただし、私も、このような違いが生じることには、そもそも伝統文化では、シャーマンを育てるためのノウハウが保持され、周りが集団的にそのような文化を共有していることが大きいことを指摘していた。著者も、そのような文化的理由にも、触れられている。

ただ、それにしても、先の著者の指摘のように、文化的理由はあるにしても、統合失調になる人は、そのような普遍的無意識の「元型」的な現れとうまく関わることができず、飲み込まれてしまうだけの、「自我の弱さ」や、「未熟さ」を抱えている場合が多いことは確かであろう。

しかし、ユングも言うように、普遍的無意識の「力」は、自我に対して強力に働くので、自我が強ければ、影響を受けないというものではけっしてない。シャーマンの候補者でも、巫病を経験した者が皆シャーマンになれるのではなく、それを本当に克服した一部の者がなれるのである。

ただ、自我が弱い場合は、その克服がより難しくなり、結果として、統合失調状況にさまようことになる可能性も高まるということは、間違いないであろう。

著者も、もはや文化あるいは集団として、そのような事態に関わって行く道は閉ざされているし、現代には必ずしもふさわしくもないので、いかに個人として、普遍的無意識と関わり、「個人神話」を生きて行くかが問題としている。ユング派の精神療法も、そのような視点から構成されている。

しかし、この「普遍的無意識」という捉え方も、それに飲み込まれないための距離の取り方としては意義がある(自我を越えたものでも、「無意識」という理解において、「他者」的な恐怖を緩和しつつ関わることができる)のは事実である。が、私は前から言っているように、実際の、統合失調状況をより具体的に理解し、乗り越えていくためには、やはり、先住民文化の「シャーマニズム」そのまままの、「霊的」な捉え方(精霊等の存在を実際に存在する「実体的」なものとして捉える)が必要になる、と思わざるを得ないのである。

なお、イニシエーションの具体的な内容については、記事『「<癒し>のダンス」』や『ぼくのイニシエーション体験』に詳しいので、参照してほしい。

 

2024年1月16日 (火)

本年度の動向と昨年度ページビュー数ランキング

1  本年も、初っ端からガツンと挨拶をかまされた感がありますが、これは、本年は、これまで以上に大きな変動があることの「宣言」ないし「象徴」と受け取っていいでしょう。

特に、本年は、支配層が、憲法改正、緊急事態条項の発議を是非ともしたいと考えていることの現れだと思います。安倍派の一掃は、既定路線と思われますが、あまりの支持率の低下の流れを止めて、憲法改正、緊急事態条項の追加の必要を大きく訴えかけようとする意図があるのだと思われます。

2025年辺りから、明らかに目に見えるような形で、本格的な変動が起こることは、『日月神示』を初め、各方面で言われていることなので、いずれ記事でもそれについて述べたいと思います。

 

2  こんな時勢ではありますが、本年は、延び延びになっていた、統合失調に関する分かり易いまとめ的なプログを始めたいと思います。

当初、霊的、オカルト的な観点から、結論的なことを端的に分かり易く述べるだけにしようと思っていましたが、精神病理学など、それになりに統合失調の本質に迫ろうとするものとの関係にも、触れておきたいと思っています。多少、読む本も増えているので、始めるのはもうしばらく後になると思われます。

 

3  恒例の昨年度ベージビュー数ランキング、トップ5を掲載しておきます。

1『魂の体外旅行』-「ルーシュ」の生産: 狂気をくぐり抜ける

2 新たな神示『よひとやむみな』: 狂気をくぐり抜ける

3「捕食者」についての本―『無限の本質』: 狂気をくぐり抜ける

4『精神病の日本近代』―「憑く心身」から「病む心身」へ: 狂気をくぐり抜ける

5 「虚無感」は根源的なものであること 2: 狂気をくぐり抜ける

 

1,2.3は、かつてからずっと上位のものですが、45は、昨年の新しい記事になります。

 

2023年12月24日 (日)

『病める心の記録』再読及びメモ

前回同様に、西丸四方著『病める心の記録(中公新書)も、大分前に読んで内容を忘れかけていたので、読み直した。

こちらは、ヒロシという日本の統合失調から回復した者の記録であり、『分裂病の少女の手記』に劣らず、インパクトのある内容である。また、精神科医である西丸の解説が、非常に分かり易く、的確と思うので、その意味でも貴重である。

今回も、感想と考えたことをメモ風に書き留めておくだけにするので、本の内容の説明自体はほとんどしないことにする。本を読んでいない人には、理解できないことが多いだろうが、了承されたい。

ヒロシは15歳のときに統合失調の発病により「発狂」し、精神病院に収容され、薬物治療をも含む治療で回復したが、著者との出会いを通じて、その体験の記録が表されることになった。

 『分裂病の少女の手記』は、垂直的な方向の「虚無」の色合いが濃く、「深み」のあるものだったが、その分「単調」との見方もできる。ところが、こちらは、「闇」や「人間ロボット」など、垂直的方向の色合いもあるものの、様々な「現実」の出来事と重なり合いながら、水平的な方向への展開があって、小説のような「物語」性がある。現実と夢想が交錯しながら進展し、どこまでが現実で、どこからが非現実なのか分からないような、まさに一つの「夢幻的な体験」なのである。

私の場合は、この両面があったので、両方ともよく理解できるし、共感できる。特に、一連の体験の前半は、このような「夢幻的体験」が多くを占めていた。

この記録は、西丸の補助もあってだろうが、文学者のような読ませる文章で、よくその時点での思考や感情、自分に現れ出たままの「出来事」を再現しており、引き込まれる要素が多い。そもそもが、著者にも現実か非現実か区別のできない、一種の「中間的現象」なのであって、それを回復後も忠実に再現的に表現していることから、そのような内容になっているとも言える。

『分裂病の少女の手記』が、サルトルの『嘔吐』にも似た、一つの「実存的体験」だとすれば、こちらは、記事『「幻覚世界」を表した本 2-統合失調的「夢幻世界」』で述べた、ヘッセの小説『荒野の狼』に出て来る「魔術劇場」そのものの体験である。

ケンジというミステリー好きの少年が、より幻想性を煽り、ヒロシの体験を媒介した面があるのだが、このケンジは、やはりヘッセの小説『デミアン』のデミアンの役を果たしているかのようである。

ヒロシが恐れ、迫害妄想の中心となる骨董屋の旦那に「食われる」という妄想など、統合失調体験につきものの、「捕食者」的な面もある。徐々に追い込まれて行き、ついには「発狂」して、裸で骨董屋の家に侵入し、病院に連れていかれるまでの、思考過程の描写は、非常に迫真的である。病院に連れて行かれてからの、医師や看護婦とのやり取りと、その者らを敵の一味とみるヒロシの妄想のありようの記述も、とてもリアルである。

治癒に向かった面については、病院で医師が、自分はロボットになったと思っているヒロシに、「苦しんで、抵抗していたとき、君は本当の自分だったんじゃないか」、「大変だが、本当の自分を取り戻そう」と言ったことが、大きなきっかけになっている。病院においても、「失われた自分」を取り戻せるように力づけられるか、無視や虐待的な扱いにより、それがますます壊されていくかが、一つの大きなポイントなのだと言える。

また、治癒に向けて、決定的なきっかけになったのが、寺の和尚が渡してくれた「聖書」と、とりわけ北原白秋の詩集『雀の生活』なのである。それを読んで、ヒロシは、「ロボットが、雀になり、犬になり、人間になった」と感じる。そして、ヒロシは、「雀に餌をやるのを忘れていた」という大きな気づきを得る。

この「雀」について、西丸は、「治癒におもむけば、本当の自分はどこにでもいる、<青い鳥>であることを見出す。」「…自然の小さな一部の雀に餌をやる、自然の一部の自分である。」と言っている。まさに、「雀」は、自然の一部である小さき「生命」の象徴であり、それに餌をやることでこそ、育てられるものなのだ。

この記録の最後も、「ぼくは雀に餌をやるのを忘れていたんだ」という言葉で、閉じられている。

私も、夢幻的な体験のさ中、アニマと名づけた精霊と交錯する形で、「雀」と出会うことで、大きな癒しを得たし、今も「小鳥」との不思議な縁は感じているから、この事態の重要性がよく分かる。ユングの患者も、エジプトの神話に出て来る黄金虫の話をしているときに、窓をたたく黄金虫と出会って、それが治癒に向けて大きく影響しているが、まさに、一種の「共時性の体験」と言える。

西丸の、この事例についての解説は、その他の点でも、とても的確だと思うし、統合失調一般についても、とても分かり易く、的確な説明をしているのも見逃せない。

そもそも、精神病については、次のように言われている。

「精神病のなかにこそ本当の人間を見つけることができることがある。…人間の心の奥にひそむ希望、恐れ、自覚が、精神病になると非常にはっきりした形をとって出現する。それは健康な人間に思いも及ばないような形をとる。象徴的に非常に誇張される。それで私たちにはそれの示す意味がよくわからないとさえ思われる。」

「精神病の世界はなんと美しく、汚なく、哀しいものであるかがわかる。美しく、汚なく、哀しいのは人間の普遍的な性質であるが、精神病においては、それがカリカチュア的に誇張され、象徴的に比喩されて私たちの目の前に現れてくるのである。」

私も、記事『人工的に「分裂」を作り出すことは可能か』で、この極限的な状況で現れ出るのは、誰もが持つ人間の「愚かさの集大成」のようなものと言っていた。「愚かさ」というのは、実際に、その面が特に強調的に現れるのに違いないが、春日武彦著『私たちはなぜ狂わずにいるのか』に引き寄せる形で述べたからでもある。西丸の言うように、実際には,美しく、汚なく、哀しい、人間のあらゆる面が、誇張されて現れるのだと言える。

ただし、それは、単に「極限状況」だからと言うのではなく、日常的には表に現れない「オカルト的」な面も絡む「未知の状況」だからこその、独特の反応なのである。

このような反応を、「了解不能」などとして、手に負えない「病気」のように決めつけることは、それこそ「愚かな反応」と言うべきである。

また、西丸の説明で、非常に分かり易いのは、このような精神病の世界は、日常の意識の力が弱まるので、それを形成する「バックグラウンド」から浮かび上がるものが前景に出て来て、現実と重なるようにして現れ出ることから来るもの、と言っていることである。

「バックグラウンド」とは、我々の認識や判断、行動などの材料となる、精神活動の裏側に横たわっているもので、そこには、過去の経験、希望、恐れ、期待、欲望などが、混沌として潜んでいる。目が覚めてしっかりしているときは、現実の状況に合うように、その混沌から材料が適格に選ばれるが、日常の意識が弱まると、夢の中のように、この「バックグラウンド」の混沌としたものが現れ出て来る。

そして、「バックグラウンドのものが、現実世界のかたちをとって出て来る。」あるいは、「外界のものを認識するときに、バックグラウンドからよけいなものがひょいと飛び出して付着する。」ということになる。それが、「幻覚」や「妄想」のもととなるわけである。

この「バックグラウンド」を、フロイト流の「無意識」、あるいはユング風の「無意識」、さらには、シュタイナーや私のように、「霊的、オカルト的な背景」をも含ませてみるかで、その内容はかなり違って来る。しかし、ごく一般化して大まかに言えば、西丸の言うように、「バックグラウンド」のものが現れるということで、よく理解できるはずのものである。

西丸がバックグラウンドとして、どのようなものを想定するかは分からないが、いずれにしても、それは、なにか訳の分からない、「了解不能」のものが、現れ出ているのではなく、誰にもある「バックグラウンド」が、混沌の様相のままに、誇張されて出て来ているだけである。

ただ、「バックグラウンド」が強く現れ出るのは、単に「日常の意識が弱まった」だけでなく、経験上理解できない「未知の状況」を迎えているので、積極的に「バッググラウンド」をフル回転して活性化することで、何とかその状況を理解しようと、躍起になっているのである。

そこにどうしても起こってしまう、「飛躍」や「矛盾」が、「了解不能」との見方をもたらすのだろうが、「未知の状況」を迎えていることに思いが及べば、その反応の全体を「了解」することは、けっして難しくないはずである。

西丸も、「未知の状況」にあることまで、積極的に認めるものではないにしても、感性的に、それとなく、そのような状況にあることをつかんでいるものと解される。

このように、体験者の体験の記録としても、それを通しての「統合失調」の説明としても、とても分かり易くて意義のある本なのだが、残念ながら、現在は、品切れになっているようである。是非、文庫などの形で、復刊してほしいものである。

 

2023年12月11日 (月)

『分裂病の少女の手記』再読及びメモ

大分前に読んでいたので、内容もほとんど忘れてしまっていた、セシュエー著『分裂病の少女の手記(みすず書房)を読み直した。

最初読んだときのようなインパクトはなかったが、主観に偏らない客観的で印象的な記述で、体験がつづられており、統合失調体験者の手記として、貴重な記録だと改めて思った。もちろん、私自身の体験と似たところも多く、共感し、頷けるところが多い。

今回は、その感想と考えたことをメモ風に書き留めておくだけにするので、本の内容の説明自体はほとんどしないことにする。本を読んでいない人には、理解できないことが多いだろうが、了承されたい。

ルネは、18歳のとき、統合失調症を発病し精神病院に入院したが、心理療法士である著者の献身的な、精神療法的な治療によって回復した。当時は、薬物療法がまだ始まる前で、統合失調は回復不能であるように思われていたので、この事例は多くのインパクトを与えたようだ。

精神医学者の間では、心理療法士の精神療法で回復したということが信じられず、この事例を統合失調ではないと疑う人もいるようだが、幻覚や妄想、さらに世界の変容などを伴う、明らかに、統合失調的な体験である。そして、むしろ、薬物などではなく、「的確な」精神療法が施されたからこそ、回復できたというべき事例である。

ルネは、母からまともに乳も与えられず、基本的な生命的欲求がかなえられていない。だから、著者の言うように、生命的な欲求が満たされていないことが、自我の解体をもたらした第一の原因というのには理由がある。そして、ルネが幼児的退行を起しているときに、母の代わりをして、その基本的欲求を満たしてあげたこと、幼児が世界に適応していくのと同じ様に、投射や模倣という「象徴的な実現」の方法を通して、新たに世界との関りをもたらしていったことは、全く的確な方法だったと言える。

ラカンは、統合失調の原因として、父との関りを通して、第三項的な「言語」の世界へと移行できなかったことを理由にあげるが、ルネの父も、虐待まがいの扱いをしていて、確かにその意味での不適応も起こしている。しかし、ルネの場合は、明らかにそれ以前の母との問題が大きく、それだけに不適応度も大きい。

そのような場合は、ルネ以外の事例でもままあるだろうし、幼児への退行というのは、私もそうだが、統合失調状況では、多くの場合に起こることだろうから、「象徴的実現」という方法は、かなりの場合に有効なものと思われる。ただ、事実上、あまりに大変だし、個人の能力にかかることで、やり方を間違えれば、むしろより酷い状態を招いてしまいかねないということはある。

ルネの体験で、興味深いのは、ルネが「光の国」や「組織」と呼ぶ、非現実的で圧倒的な、機械仕掛けの世界の体験である。ルネは、それを、たとえば次のように表現している。

「それはむしろ、現実界に対抗する一つの世界、無慈悲な、目もくらむ、影になる場所もあたえない光が支配し、果てしもない広漠たる空間や、無限に続く、平べったい、鉱物的な、冷たい月光に照らされた、北極の荒地のように荒涼とした国でした。このはりつめた空虚さの中で、すべてのものは不変であり、不動であり、凝結し、結晶していました。物体は意味もない幾何学的立方体として、そこここに配置された舞台の小道具のようでした。

 人々は薄きみ悪く振り返り、身振りをし、意味もなく動いていました。その人たちは無慈悲な電光におしひしがれ、果てしもないプランに従って、ぐるぐる回転している幽霊のようでした。そして私は、—私はその光のもとに、切り離され、冷え切って、裸にされ、目的もなく、失われてしまっていました。真鍮の壁がすべての人や、すべてのものから私をひき離していました。」

著者は、このような事態を、自我の解体による「幻覚」ないし「妄想」としかみないので、そこに取り立てて意味を認めてはいない。しかし、これは、まさに、私が述べて来た、(「不適応」による自我の揺らぎにより露になった)「霊界の境域」がこの世界へと重なるように侵入し、世界が変容してしまっている状況であるのが分かる。

これは、多かれ少なかれ、統合失調状況に入った人が体験するものと言えるが、垂直的方向の「虚無」に彩られる面が強いという意味で、私の体験した状況とかなり近い。実際、ルネは、水平的方向よりも、垂直的方向により進んで行って、「虚無」を間近にしていたものと解される。

ルネは、不適応のため、なまじっか、世間的なものを身に着けなかっただけに、水平的方向への妄想に絡めとられる度合いが少なかったのだと言える。水平的な方向の妄想は、起こっている事態を、世間的なものへと適合する形へ解釈することから生じるからである。それで、ルネの体験は、水平的方向の「陳腐な」妄想に終始する一般の事例より、よほど深い、「統合失調らしい」体験になっていると言える。

訳者もあとがきで、ルネの体験を、サルトルの『嘔吐』に記載された体験と非常に似ていると言っているが、まさに、一つの「実存的な体験」である。

垂直的方向の深みに入ることは、破壊性が強く、解体がより進む事態であることには違いない。しかし、同時に、「死と再生」の「イニシエーション」的な過程も起こりやすいのである。ルネが、幼児まで退行しつつも、回復できたというのは、まさに、一つの「イニシエーション」的な過程が成就したということである。

さらに言うと、これはまた、記事『「幻覚世界」を表した本 1-天国と地獄』で示した、オルダス・ハクスリーが自己の幻覚剤の体験を通して理解する、統合失調の世界そのものと言える。

ハクスリーは、幻覚剤によって、「事物そのものが、内から光り輝くような、強烈なリアリティと意味のもとに蘇る」という、禅の悟りにも似た体験をしたのだが、その体験を通して、それが恐怖のもとに受け入れられないときには、その体験は反転し、まさに統合失調的な地獄的体験となる、とした。

ルネの、強烈なリアリティを伴う、怖れに満ちた、「光の国」の記述は、まさにそのようなものであるのが分かるだろう。

あるいは、同じ記事で、ジョン・C・リリーが、やはり禅の悟りとも似た、天国的な体験の裏返しとして被った、地獄的な体験、「コズミックコンピューター」の世界とも非常に近い。それは、「宇宙」を、「いかなる意味も愛も人間的価値もまったくないこの巨大な宇宙的陰謀、このエネルギー物質のコズミック・ダンスにおける従属的プログラム」として見る体験だったが、ルネの表現するものと、非常に近いのが分かる。

まさに、それらは、強烈なリアリティの体験ではあるが、それが、恐怖のため(著者の言うように、「生命的な感情」を欠いたためでもあるが)、自己を脅かす、無機的な、「悪意に満ちたもの」として迫って来るのである。それこそが、ルネの体験した「光の国」であり「組織」であったと言える。

ルネは、「光の国」や「組織」を、この世界やこの世界の住人である人間を通して現れるものとしては見ていたが、「現実界に対抗する世界」と表現されているように、この世そのものの現実とは、単純に同一視していなかったとみられる。また、その「組織」の一味の「声」を聞いたりするのだが、それも、単純にこの世の者の現実の声そのものとして聞いたのではないと言っている。

これらのことも、ルネが回復できたことの大きな理由と言える。私は、「声」と「現実の物理的声」を区別できることが、統合失調状況で無暗にさまようことにならないための、大きな要因となると言っていたが、ルネはこのことを、自然となしていたのである。

前回、統合失調体験は、「切り離された個」としての意識で、「関係と繋がりのもとにある世界」を見たり感じたりすることで起こると言ったが、ルネの「光の国」の記述にも、「切り離された」という表現が何度か出て来るように、やはりこの要素があるのが分かる。

ルネは、「切り離された個」としての周りの集団の世界に適応できなかったのだから、「切り離された個」としての意識はほとんど身に着けなかったものと言える。しかし、それでも、やはりその「切り離された個」の意識は、少なくとも、潜在的には、内部に醸成されていたと言え、それが、本来は、「切り離されていない」、繋がりの世界であるはずの、「光の国」の体験のリアリティに照らされる形で、より強調されて、投影的に現れ出ていたのが分かる。

但し、通常の「切り離された個」がとるような、それを守るための防衛的な妄想に終始するような方向には、行かなかったということである。

何しろ、ルネは、母や父との健全な関係がなかったため、言語的な秩序や世間的なものを身に着ける度合いが少なかったのだが、むしろ逆説的に、だからこそ、垂直的方向の体験を比較的「純粋」にし、水平的な方向にさまようことにはならなかった。そして、著者のような精神療法家と出会い、その献身的な努力により、幼児的な退行から、新たに再生して、この世的なものと関わり適応していく方向へと、回復することができた。

もちろん、それは、喜ばしいことに違いない。そうでなければ、ルネはこの世界への適応の道を断たれて、途方に暮れるしかなかったであろう。しかし、ルネが適応することになったこの世界とは、「切り離された個の世界」であり、それは、ルネが体験した、「光の国」や「組織」において、強烈なリアリティに照らし出され、強調的に反映されることとなった世界でもある

ある意味において、ルネはそのような世界へと、帰って行ってしまったのである。私としては、そこに、幾分の、皮肉な結果をみないわけにはいかない。

2023年11月23日 (木)

「切り離された個」とドンファンの言葉及び「タブー」の意識との関係

1 前回までの一連の記事でみてきた、<憑く心身>から<病む心身>へという世界観の根本的変化は、<「繋がり」や「関係」のもとにある個>から、<切り離された個> への変化ということも言えた。

近代に至って、人びとは、周囲の世界から<切り離された個>となったわけである。

記事『『総まとめ(旧「闇を超えて」より)』』でドンファンの言葉をあげていたが、これはまさに、<切り離された個>としてしか世界を見ることのできないカスタネダに対し、ドンファンが鋭く指摘した言葉である。

それを、再び掲げる。

○「おまえが、自分は世界中で一番大事なものだなぞと思っとる限り、まわりの世界を本当に理解することはできん。おまえは目隠しされた馬みたいなもんだ。あらゆるものから切り離された自分しか見えんのだ。

ところで、この観点からは、統合失調とは、世界から<切り離された個>が、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界へと、(再び)侵入する体験であるとも言えるのである。世界から<切り離された個>という立ち位置から、そのような<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界へと侵入することで、<切り離された個>には混乱が生じ、その個が「解体」の危機を迎えているのである。

また、<切り離された個>の視点から、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界を見るから、自己の個の中にあるはずのものと外にあるはずのものが、融合し、浸透し合うように感じたり、全てが、自己と関係するように思えたりするのである。

<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界に入っても、<切り離された個>の視点を脱することができないままに、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界を見たり、感じたりしている、ということがポイントである。

「妄想」というのも、<切り離された個>の視点を(守ろうとして)脱することができないため、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界を、<切り離された個>の視点に沿うように、無理やり解釈してしまっているのである。「組織に狙われる」というタイプの妄想が典型的である。そこには当然、はた目には、「無理」や「矛盾」、「違和感」が現れてしまうが、本人は、そうするしか方途がないのである。

 

2 かつて一連の記事『「タブー」の意識とオカルト 1』から『「タブー」の意識とオカルト 3』までで、オカルト的なものが「タブー化」された理由を考察したが、「タブー化」とは、まさに「恐れからそれに触れないようにする」ことだから、「迷信として否定」することとも重なっている。だから、今回の一連の記事は、その記事とも照らし合わせて読んでもらえると、より理解ができると思う。

また、その記事の最後にまとめた、タブー化された理由は、「迷信として否定」された理由としても当てはまる、重要なものである。それを再びあげておく。

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 ただし、3の「「神々」を含めて、全体として葬り去ったことの後ろめたさとタブー感」というのは、「捕食者的なもの」「オカルト的なもの」を「迷信として否定」した後、「霊的なもの」や「神々」に対する信仰をも失うことになって、「オカルト的なもの」一般に対する感情として残されたもののことである。

 

2023年10月31日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 6-総括及び結論

私は、記事『なぜ1—「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』において、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化はなぜ起こったのか」の理由の結論を、次のように述べていた。

「後に改めて再説するが、とりあえず、結論として、「迷信の否定」は、(科学の発展その他の外部的な状況の変化によるのではなく)それまでの世界観の中には、何とか組み込まれていた、「オカルト的なもの」、より直接的には、「捕食者的なもの」を、多くの者が、否定したかったからこそ起こったということが、本質的な理由と言わねばならないのである。」

既に述べたように、伝統文化のあり様を「迷信として否定」することこそが、「世界観の根本的な変化」そのものなのであるから、これは、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化がなぜ起こったのか」の、端的な理由であり、結論なのである。

西洋の場合は、「魔女狩り」という大々的な事件が起こったので、「魔女」に集約する形で、そのような「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」ことは見えやすい。しかし、日本の場合も、多かれ少なかれ、同じように、「狐憑き」に集約する形で、「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」のである。

ただし、それは、様々な状況の変化によって、そのように望まざるを得なかった部分も多く、それを可能とする状況が整うことにもよっていた。明治以降、支配層や知識人、メディア等が押し進めた開化の推進や、それまでの伝統文化を迷信として否定する扇動などは、その方向を受け容れざるを得ない流れを作り出したし、変わらず出現する「狐憑き」様の状態を示す人々を、隔離、収容して厄介払いする、「精神病院」のシステムが整う必要もあった。

しかし、それら、外的状況の変化は、多くの人々の「世界観の根本的変化」をもたらす「必然的」な理由とは言えない。それらも、結局は、世界観の根本的な変化を志向し、受け入れる、内的動機の形成に与る限りで、理由として作用したのである。

そして、何よりも、「恐ろしく」「認めがたい」、「オカルト的なもの」、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという欲求には、これらの理由とは別に、一種本能的な、逆らい難い、独自のものがあった。そして、それこそがこの時期に、外的な状況の変化にも促されて、強く発現することになったと言うべきなのである。

 

だから、(外的な状況ではなく)そのような内的な欲求こそが、より本質的で、根源的な理由なのである。

 

記事『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』でみたように、カスタネダのドンファンは、「捕食者」について、「みんな子供の頃にそいつを見て、あんまり恐ろしいものだから、それについて考えるのを止めてしまう」と言っていた。つまり、本当は、誰もが、「潜在的」には、「捕食者」の存在と恐ろしさを知っているが、それを抑圧しているため、意識レベルでは否定しているということである。

しかも、我々は、「捕食者」から、「捕食者の心」を与えられているから、それは我々の内部にもあるのだが、それを認めることができないため、我々はその「捕食者的なもの」を、「他者」に投影しようとする。そして、その他者を「魔女」などとして、攻撃し、排除するのである。それは、「狐憑き」の場合にも、多かれ少なかれ、言えることである。

伝統文化では、「捕食者」という存在の「恐ろしさ」を認めつつも、その存在を否定することなく、何とか世界観の中に組み込んで、折り合いをつけていた。しかし、そのようなことも難しくなって、新たに、伝統文化を否定して、「捕食者的なもの」を「ないこと」とし、それによって再出発できるかのようになされたのが、「世界観の根本的変化」の核心だということになる。

ところが、それを実効的ならしめるためには、結局、「おどろおどろしい」「捕食者的なもの」だけでなく、「オカルト的なもの」あるいは「霊的なもの」一般、さらには、「神や神々に対する信仰」など、これまで生活の中心にあって、益をなすとされて来たものをも、否定することを迫られたのである。まずは、「オカルト的なもの」「霊的なもの」に関して、自分らにとって都合の悪い、「闇の部分」を否定することになったが、結局は、必然の流れとして、その「光の部分」をも否定することになったとも言える。

そうして、「オカルト的なもの」「霊的なもの」を否定した、残りの(表面的な)部分で構成された、「物質的なもの」のみを存在するものとして、「世界観」の基盤に置くことによって、「科学技術」に基づく「発展」を推し進めて来たのが、現在に至る近代社会の流れである。

いずれにしても、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたかった、そんなものとは、「手を切りたかった」という、内的な欲求こそが、第一の動機なのである。

ところが、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしても、それは実際になくなるわけではないから、その「投影」は、「魔女」や「狐憑き」としてではなくとも、実質同様なものとして繰り返されることになる。特に日本では、以後、「精神病者」こそが、そのような投影の対象となる。

また、「闇の部分」を否定したつもりになっても、実際にはそんなことはできていないのだから、我々は戦争や犯罪、その他の殺戮を、より技術的に発展したレベルで、繰り返すことになる。

そして実際、「捕食者的なもの」が表面上否定されていて、それを顧みることのない、近代社会ほど、「捕食者」の暗躍しやすい社会もないのである。

ボードレールの名言に、「悪魔の最も見事な狡猾さは、『悪魔はいない』と信じ込ませることだ」というのがあるが、これは実際に、「捕食者」の戦略としてなされたことなのである。

「世界観の根本的変化」は、「捕食者」の戦略に基づき、人間の支配層や知識人、精神科医、メディアなどが主導して引っ張って来たことではあるのだが、既にみたとおり、我々の多くが集合意識的に、「受け入れた」からこそ、起こったことなのである。

ジャーナリストの船瀬俊介氏は、『幽体離脱 量子論が“謎”を、とく!』(ビジネス社)という本で、「近代から現代にかけて、人類の「知」は、完全に悪魔勢力に乗っ取られて、今日に至るのである。すなわち、そのほとんどは狡猾な〝 洗脳〟の産物にすぎない」と言っている。また、「暗黒の近代」という言い方もしている。

近代社会は、「魔女狩り」を例に挙げ、「暗黒の中世」などと言い、自分らの社会をそれを克服した希望の社会のように見せかけたが、その「魔女狩り」自体が、既にみたとおり、実は近代の草創期に起こっているのであり、近代社会とは、その継続以外の何ものでもないのである。

記事『「虚偽への意志」と「精神医学」』でみたとおり、ニーチェも、(近代の)全ての学問は「虚偽への意志」に基づいていると喝破したが、これは要するに、学問構築の土台となる「世界観」が、「虚偽」に基づいているということである。その「世界観」とは、これまでみて来たとおり、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという、まさに「虚偽」の意志に発しているのだから、その上に構築された学問体系が、結局は「虚偽」に染められるのは当然のことと言わねばならない。

伝統文化の世界観が、決して丸ごと正しいということではないが、しかし、その認めたくない部分を否定したいがために、実質、それを丸ごと否定した世界観は、「虚偽」以外の何ものでもあり得ないし、そこから正しいものが生まれて来るとはみなし難い。

近代社会が生んだ、代表的な知と言える、「科学」というのも、「物質的なもの」という制限された内部においては、それなりに緻密に知識を深めたものがあるし、科学技術という強力な方法も生み出したが、それが「すべて」において当てはまるかのごとくみなす「世界観」に基づいている限り、やはり「間違い」であり、「虚偽」以外のものではない。

「世界観の根本的変化」が起こって、それが常識として浸透する現在の社会の中にいる限り、なかなか、このような「世界観」そのものを俎上に上らせること自体が、難しい。私自身もそうであるが、記事『カスタネダと「ヤノマミ」の著者の例』でも述べたように、そのためには、単なるカルチャーショックのようなものではなく、それを根底から疑問に付すだけの、強烈な体験が必要になる場合も多いだろう。

しかし、何らかのきっかけで、それを問題にすることがひとたび可能になるなら、現代の問題は、その「世界観」そのものから、全てが連動して生じていることなのが分かり、その世界観を問題にしない限り、なんら解決の方向へ向かいようがないことが分かるはずである。

すなわち、「オカルトを否定する世界観の根本的変化はなぜ起こったのか」を明らかにすることこそが、求められている、必要なことなのである。それは、結局、我々の「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を否定したいという内的欲求から来ているのだから、我々一人一人がそのことを自覚するなしには、何の解決の方向もあり得ないということである。

 

2023年10月19日 (木)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 5-「迷信」及び「妄想」とそれらを否定することの意味

前回、次は締めくくりをすると言っていたが、その前に、「迷信」ということと、それを「迷信」として否定するということの意味を、それなりに踏み込んで明らかにしておく必要があるので、今回はそれを述べることにする。そうして、最後の締めくくりでは、端的に、総括と結論を述べるだけにしたい。

(この一連の記事では、しつこい位に、この「世界観の根本的変化」が行われた経緯や背景を明らかにしようとする意図がある。既に、結論はこれまでの記事でも、何度か述べているので、それで十分理解し、納得できる人は、あえて読む必要はないかもしれない。)

これまで述べてきたとおり、「狐憑き」を「迷信」として否定することとで、「憑く心身」から「病む心身」への「世界観の根本的変化」がなされたのだった。だが、そもそも「迷信」とは何か、「迷信として否定する」とはどういうことか、ということは、改めて問うてみると、容易でない問題で、少しも自明なことではない。

「迷信」であることが自明に思えるのは、「世界観の変化」した近代の中において、その「世界観」を疑うことなしに前提として、見るからであって、その「世界観の変化」自体を問題にするときには、決して自明ではなくなるのである。

Wikipediaによれば、「迷信」とは、

「人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの。一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や俗信などをこう呼ぶ。様々な俗信のうち、社会生活に実害を及ぼすものである」

とされている。

「人々に多く信じられている」ということ、「合理的な根拠を欠く」ということ、「社会生活をいとなむのに実害がある」「道徳に反する」ということがポイントのようである。しかし、このような抽象的な説明は、何ら、「迷信」の実質を、明らかにするものではない。

「合理的な根拠」とは何か、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」とはどういうことか、というのは、容易に判断できることではなく、また時代や文化の影響を大きく受ける。「合理的」ということそのものが、近代的な世界観を前提にして、初めて言えることでもある。

まさに、明治以降に、伝統文化の世界観の根本的な変化があったからこそ、それまでの伝統文化で信じられていたことが、「迷信」と解されるようになったことが分かる。というよりも、むしろ、伝統文化において信じられてきたことを否定することそのものが、「世界観の根本的な変化」なのであり、そのためにこそ、「迷信」ということが持ち出されているということなのである。

また、現代において、一般に、「迷信」ということで言われているのは、「夜に爪を切る と親の死に目に会えない」とか、「茶柱が立つと縁起がいい」など、一種の「戒め」や「縁起」に関わる、「言い伝え」が多く、特に、社会的に害があるとか、道徳に反するということはないものがほとんどである。

それは、そういった社会的に害があるものや、道徳に反するとみなされる「迷信」が、「狐憑き」に代表されるように、既に「迷信」として一般的に否定されて来たので、そういった害のないものが、今でも残っているからだということも言える。

しかし、一般的に、「迷信」と言われるものに、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」などということが、当然のように言えるはずもないことで、あえて、「迷信」ということに、そのような意味合いが含まれているのは、それを「否定する」という志向性が、既にそこに込められているからこそと言うことができる。

中村古峡という心理学者が、大正10年に書いた『迷信と邪教』という本(kindle)は、迷信を否定する立場から、迷信とはどういうことかについて、明解に説かれているので、参考になる。著者は、フロイト等の精神分析を日本に紹介し、また精神病院の院長として精神医学の普及にも大きく貢献した人物である。

中村の「迷信」に対する態度は、非常に攻撃的で、「根絶すべきもの」ということで一貫している。

中村によると、「迷信」とは、「一種の判断の錯誤に基くもので、その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信ずる現象である。」とされる。また、「迷信というのは 言葉は(ママ) 宗教的の迷える信念に名づけたものである。」とも言われる。

著者は、決して単純に、科学万能主義に立って、科学に反する事柄を「迷信」としているわけではなく、科学万能主義もまた害あるもので、科学によっても分からない未知の領域については、「哲学」や「宗教」などによって問われるべきものとしている。

しかし、結論としては、「科学に反する」ことが、「迷信」とされることの前提であることに変わりなく、それにいくつかの要素が加わっているだけである。また、明らかな「進歩主義」に立っていて、「信仰」については、未開の原始信仰は、遅れた「野蛮」なもので、組織的に高度化された「宗教」は、意義のあるものとする。従って、日本の伝統文化で信じられていることの多くは、「原始信仰」に基づくもので、遅れた「野蛮」なものとして、排斥すべきものとなるのである。

また、中村は、迷信に基づく行為が、社会的に危険で、道徳に反することが「普通」であることも指摘している。Wikipediaの、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」という記述は、恐らくこの中村の説に基づいていると思われる。

その部分を引用すると、次のようである。

「即ち、夜半の丑満時に 呪いをして、人に見つけられぬようにせなければならぬとか、寒中に水垢離を取れば願が叶うとか、大なり小なり何か難とする所を含ませる。これが或る場合には秩序を紊る道徳違反的行為となる」

また、「狐憑き」にも言及し、

「狐が憑くことは、 日本では広く普及している迷信であって、之が未だに退治されないのは情ない話である。」

まさに、「狐憑き」が退治すべき「迷信」の代表であるとしているが、大正10年当時、広く普及している状況だったことが分かる。

「之は改めていうまでもなく精神病者で、狐という観念が頭にあるために狐のような 挙動をするのである。」

記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』でみたように、多くの精神科医と同様、「狐憑き」が「精神病」にほかならぬこと、一種の「ヒステリー現象」であることを説いている。

さらに、興味深いことは、「迷信」が「病的に強く現れた」のが、「妄想」としていることである。そして、

「妄想になると、如何なる手段方法を以てするも今日までのところ矯正し得られないことになっている。」「こうなると最早や手のつけようがないものであるから、その矯正に骨折るよりは、 然るべく隔離して、他の者をそれにかぶれさせない工風を講ずることが肝要である。」

と、精神医学ないし精神病院を広く押し進めることの必要も、「迷信」との絡みで、説いているのである。

ただし、著者は心理学者らしく、「迷信」を信じることについての「心理」については、それなりに意義のあることを指摘している。

何事かを信じるということについての「心理」、「動機」を問題とし、「信仰」すべてを否定するのではなく、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」から信じられたものを、「迷信」とするとしているのである。

それは、誰の心にもある傾向とされ、「非合理的な方法によって本能を充足しようとする傾向が人々の心にある。これが、迷信を生み出す根本の動機となるものである。」と言われている。

「非合理」か「合理」かというのは、簡単に言えるはずもないことだし、近代的な世界観が前提になっていることだが、「迷信」の多くに、そのような面があることは、確かなこととして認められることである。

中村の説を総括してみると、中村は、「迷信」は、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信じる現象」としているが、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事」というのが、やはり曖昧に過ぎる。

「科学」だけでなく、「一般的な知識」もあげているが、そのような知識は、いくらでも移り変わるものだし、「真実でない或は合理的でないと分っている」というのは、誰がどの範囲で分かっているのか、不明である。「その時代」という限定をつけているようではあるが、「迷信」を「根絶する」ことを強く訴える態度とは、明らかに矛盾する言い方である。

実際にも、中村が代表的な例としてあげている「狐憑き」にしても、害のあるものの例として挙げている「丑三つ時の呪い」にしても、それらは、「科学」において明確に「否定」できるものではないし、否定されたこともない。もちろん、中村の論においても、そのようなことは、全くなされていない。

また、それらは、既にこれまでみて来たように、「その時代」と言われる、大正10年の当時において、「一般の知識」が「真実でないあるいは合理的でないと<分かっている>」などと言えるのかも、怪しいことである。(「狐に騙されることがなくなった」1965年頃なら、そう言えるかもしれないが、かなり、「霊的な事柄」が見直されている現在となると、またそれも怪しい。)

迷信に基づく行為」が危険であり、害をなすのが「普通」、また「道徳に反する」というのも、逆に、例えば「科学技術」に基づく行為が「危険」で「害をなす」、あるいは「道徳に反する」面があることと比して、それに勝ると言えるのかは疑問である。それは、「近代的な戦争」や、身近なところでは、「自動車事故」を顧みても、明らかだろう。

要は、「科学技術」には、全体として「意義」があるから、「危険」や「害のある面」は許容されるのであって、「迷信」には、何の意義もないとみなすから、「危険」や「害のある面」だけが浮かび上がるのである。しかし、これも、「世界観」の問題であって、伝統文化においては、それらに意義が認められていたから、危険の面が許容されていたということに過ぎない。

従って、全体としては、中村が「迷信」としてそれまで伝統文化で信じられてきたことを「否定したい」という思いは強く伝わるものの、「迷信」を「迷信とする」(迷信として否定する)ことについては、何ら明白な根拠らしいものは、見出せないのである。

ただ、「迷信」を信じるときの「心理」については、先に述べたとおり、受け容れられる面がある。ただし、その「心理」なるものも、実は、「迷信として否定」しようとする側の「心理」、「動機」についても、十分当てはまるものと言うべきものである。

ある事柄を「迷信として否定する」ということもまた、やはり、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」からなされていることに違いない、ということである。中村のように、「根絶」しようとするほどの欲求には、それが明らかに強く認められる。「迷信」として信じられていることに、怖れや嫌悪を抱いていて、自分の立場や信念が脅かされるから、それらを「ないもの」としたいのである。

そもそも、「迷信」とされるものを、丸ごと信じるか、丸ごと否定するかという二分法的な発想が問題なのである。

「迷信」には、伝統文化において、長い間培われた経験や知識に基づく一定の真実が含まれている。しかし、それがある時代や文化、あるいは特定の集団などにおいて、ある種の「誇張」や「拡張」を受けたり、あるいは「解釈」としてずらされたり、捻じ曲げられたりしたため、誤謬を含むようになったものと言うべきである。

たとえば、「狐憑き」の場合は、記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』で見たように、「狐」という精霊的存在が「憑く」という現象は、基本として確かに存在している。しかし、「狐」について、動物そのものの狐と混同されたり、それによって起こる錯乱的な状態と似た状況を、ことこどく「狐憑き」と拡張的に受け取ったりしたために、多くの誤謬を含むものになってしまったものと言うことができる。

そこには、「狐が憑く」という多分に「おどろおどろしい」事態に対する「怖れ」や、理解しがたい言動をするようになった者に対する「怖れ」があり、そのことから、自己や自分の属する集団を守りたいという、自己保存の欲求がある。つまり、「迷信」を生み出す「心理」や「動機」が確かに働いている。

しかし、この点は、「狐憑き」なるものを「迷信」として丸ごと否定しようとする側にも言えることである。そこには、やはり、「狐憑き」という「おどろおどろしい」(「捕食者的な」要素を多分に含む)現象に対する「怖れ」や、伝統文化と、新たに入って来た近代的世界観を信じることとの、「葛藤」や「不安」などから解消されたいという、自己保存の欲求がある。そのため、「迷信」として、丸ごと「ないこと」にして、きれいさっぱり解決したいと思うのである。

このような点は、現代にも残っている、一般的な言い伝えとしての「迷信」にもはっきり表れている

たとえば、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信が生まれた理由には、いくつかの説があるようだが、『なぜ夜に爪を切ってはいけないのか』(北山哲著、角川SSC新書)によれば、「かつて日本では、死者を埋葬する際に、その近親者が自分の髪や爪をともに埋めるという風習があった。この風習をきっかけとして、爪を切ると親の死に目に会えないという言い伝えが生まれた」ということである。

これは、「爪を切る」ということが、「死」を連想させるということで、「親の死に目に会えない」(自分の方が先に死ぬ)というかなり強い「不幸な出来事」の象徴のような事柄と結びつけられている。それは、それだけ、「夜に爪を切る」ことが、強く「戒められ」ているのである。このように、「死」を連想させることと、ある種の「戒め」が結び付けられる「迷信的言い伝え」というのは多くある。

私は、これは、「爪を切る音」にも関係していることだと思う。爪を切る音は、幽霊や悪霊が出るときの「ラップ音」と似ているのである。夜は、このような存在が出やすく、また「音」も響きやすい。似たような音が、幽霊や悪霊を呼び寄せる(出やすくさせる)ということを、恐れたため、「親の死に目に会えない」というかなり強い戒めと結びつけられて、このような言い伝えができたのだと思う。

このように、似た音が現象を引き寄せるというのは、ユングのいう「共時性」現象である。それは、意味的な関連で共鳴することから、現象を引き寄せるのであって、因果的に原因―結果の関係なのではない。しかし、それを、原因―結果として、因果的に捉えてしまうと、記事『「共時性」と「魔術的因果論」』で述べたように、「魔術的因果論」になり、「迷信」になってしまうのである。

つまり、「共時的」に解する限り、信実を含むのであるが、それが一般には理解しにくいため、「因果的」に解釈してしまったために、誤謬である「迷信」となってしまったものである。

「何々すると、何々する」という形の言い伝えは、このタイプのものが多い。

そして、「妄想」というのも、中村の指摘しているとおり、実はこの「迷信」と同じ構造をしている。そこには、感覚レベルにおいて「真実」が含まれるが、それが解釈において曲げられて、表現上誤謬となってしまったものである。

感覚レベルにおける「真実」が、未知の要素を含み、怖れをもたらすため、その解釈は、自己の経験から理解しやすいものへと、曲げられてしまっているのである。それは、自己保存の欲求(防衛反応)から来るもので、容易には訂正できないものとなる。中村が言うように、「迷信」が「病的に強く現れた」ものと言えるのである。

ただし、それは、決して、訂正できないものでも、「病気」として治療(隔離、収容)しなければならないものでもない。それは、(実際に、「捕食者」のような存在が関わっていて、「おどろおどろしい」要素をもつが故に、容易ではないことだが)、ただ、感覚レベルで起こっている「真実」というのを、ごまかさずに認められるかどうかにかかっているのである。

そして、この場合にもまた、「迷信」を丸ごと否定する側にも言えたことが、「妄想」として「精神病」とみなそうとする側にも言えるのである。「妄想」として「精神病」とみなすことも、「妄想」の裏返しとして、「妄想」と同じ構造を含むということである。「捕食者的」な「おどろおどろしい」ものを、「怖れ」、「ないこと」にしたいために、「妄想」とし、「精神病」として解決することを欲するのであるから。

そして、このように、「迷信」として否定するというあり方がとられたが故に、もはや、その真実に目を向けることは、「妄想」をもつ側にとっても、それを病気として否定する側にとっても、難しくなってしまった。それで、「妄想」は、一般に、訂正不能と解されるまでに、「手がつれられ」ず、強固なものとなってしまったのである。

前回、西洋の場合は、大々的な「魔女狩り」があったので、それを二度と起こさないために、「魔女」に集約する形で、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定する意思が生じたことは、見えやすいと述べた。

日本の場合も、「魔女」ほどではないが、「狐憑き」にも、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」の要素はある。特に、狐その他の「憑きもの筋」による「憑きもの」は、記事『「日本の憑きもの」』でも述べたように、「魔女狩り」にも比し得るほど、そのような「おどろおどろしい」要素が強くある。

その他にも、民衆による、解放令反対一揆に伴う「被差別民虐殺の事件」や、『なぜ1-「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』の記事でもみた、西洋人やキリシタンによる「血とり」や「膏とり」の風聞による騒動など、「魔女狩り」まがいの出来事は起こっているから、やはり、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定したいという意思は、かなり強く醸成されていたということができる。

しかし、既にみて来たように、日本の場合、そのような意思が全体として実現するのには、相当な紆余曲折を経て、長い年数がかかっている。「狐憑き」が迷信として否定されるのは、「精神病院」の体制が整い出す昭和10年頃から、戦後にかけてと言うべきだし、よりソフトな、「狐に騙される(化かされる)」に至っては、1965年頃まで生きていたのである。

もともと日本は長いこと、伝統文化の世界観の中で暮らしていたので、西洋という異文化から移入され世界観を、容易には受け入れ難かったのは当然である。しかし、そのような日本でも、「精神病院」の体制が整う頃には、「狐憑き」を「迷信」として否定することを受け入れるようになるのである。この「精神病院」の体制が整うことの果たした役割は、西洋の場合以上に、大きいと言わねばならない。

大々的な「魔女狩り」の起こった西洋では、「精神病院」は、「魔女狩り」そのものが止んだ後の、実質「魔女狩り」の継続として、「魔女」と同視される「精神病者」を、収容、隔離させるシステムと言えた。このシステムがあることで、「魔女」を「迷信」として否定すること、従って、人を「魔女そのものとして狩る」ことがなされないで済んだのである。

しかし、大々的な「魔女狩り」のなかった日本では、この「精神病院」こそが、実質「魔女狩り」そのものの役割を果たすようになるのである。「魔女狩り」への反省的視点がないため、それはかなりあからさまに、「魔女狩り」そのものの様相を呈する。そして、そのことによってこそ、「狐憑き」に反映されるような、「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」とすることができるようになるのである。

実際、『幻視する近代空間』や『精神病の日本近代』も指摘するように、それ以降、「精神病者」は、(状態としてではなく)存在として病む危険な者、遺伝する病の保持者、(社会を守るため)予め収容等の措置をすべき者として、精神科医だけでなく、メディアなどで、大々的に扇動される。そして、そのような「精神病者」として「告発」された者は、「精神病院」に隔離、収容される(「狩られる」)ことを余儀なくされるのである。

だから、日本において、「世界観の根本的変化」ということに、精神医学と精神病院の果たした役割は、あまりに大きいと言わねばならない。そして、その意義は、現在においても、継続しているのである。日本の精神病院には、世界1位の数の「病床」があり、圧倒的な数の「患者」が、現在も収容されている。そして、それは、表面上どう言おうと、多くの者が認める必要に基づいているからこそである。それがあってこそ、「世界観の根本的変化」が達成され、「狐憑き」のような「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」にできたのだから、それは容易に解消されるべくもない。

西洋の「魔女狩り」では、誰もが「魔女」として告発される可能性がみえることで、「魔女狩り」は終息に向かうことになった。そのことになぞらえて言えば、日本では、誰もが「精神病者」として告発される可能性が本当に認識されたとき、「精神病者」として、病院に「隔離、収容」することも、終息に向かうようになるのだろう。

 

2023年10月 3日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 4—「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味

今回は、端的に「なぜオカルトを否定する世界観の根本的変化が起こったのか」を明らかにする前に、前提として必要になる、西洋の「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味について、述べておくことにする。

何度か述べたように、西洋の場合には、「魔女狩り」という「迷信」に支配された事件が、近代の直前に大々的に起こっているので、「魔女」に集約する形で、「オカルト的なもの」を「迷信」として否定することになる理由は、見えやすい。

「魔女狩り」が沸騰する16-7世紀頃には、民衆同士が互いに「魔女」として告発することが多く起こり、そのまま拡大すれば、互いに「共倒れ」になることが見え出す。そうすると、「魔女狩り」も急速に終息に向かうのである。

終息に向かう理由には、様々な外部的状況の変化もあるだろうが、結局は、民衆自身が、「魔女狩り」を止める必要に迫られたことが大きいのである。(度会好一『魔女幻想』も、「将棋倒し」を止めるという言い方で、魔女狩りが止んだことが明らかな村について指摘しているが、これは、他の多くの場合にも当てはまると言うべきである。)

多くの民衆は、他人を「魔女」として告発することを、控えるとともに、このような「魔女狩り」を二度と起こさないためには、「魔女」ひいては、その背後にある「悪魔」を、「ないこと」として否定する必要に迫られたということである。

民衆は、それまでの伝統文化を根本から否定するつもりなどないし、できるはずもないのだが、少なくとも、「表面上」、と言っても、それを実効性をもってなさしめる程度には、「本気」(自分自身をも丸め込む形)で、現実には存在しないもの、つまり「迷信」として否定する見方を受け入れることを、指向して行くのである。

そもそも、「魔女狩り」における「魔女」とは、キリスト教的な概念であり、「魔女裁判」でも実際に審問に関った、キリスト教の指導者たちが作り上げた観念である。

初めは、単純に、異端や異教の者の行為がもとになっていたが、15-6世紀になると、いかにも、「おどろおどろしい」、魔女がするとされる典型的な行為ができあがる。それは、「サバト」(夜宴)と呼ばれる魔女の集会で、魔女たちは、ホウキ、あるいはヤギなどの動物に乗って、空を飛んでそこに集まり、そこでは、幼児を殺して食べる。あるいはその脂をとって、軟膏を作り、魔術に使う(飛行にも使われる)。悪魔との性交や性的乱行が行われる。動物のいけにえを捧げて、悪魔崇拝の儀式が行われる、などの行いをするとされた。それらが、「魔女裁判」では、実際に「自白」や「証言」によって、具体的に示されるのである。

一方、16世紀頃から、「魔女狩り」は、先に見たように、民衆が民衆を告発するような形で広がるが、それは前にみたように、民衆が、他の民衆による、「呪い」や「魔術による攻撃」を受けたとして、告発が広がることによっている。たとえば、自分の作物が不作になったり、子供が病気になったのは、隣の「魔女」が「魔術による攻撃」を仕掛けたからである、というようなことである。

ノーマン・コーンの『魔女狩りの社会史』(ちくま学芸文庫)も言うように、魔女狩りの「魔女」観念には、この二つの系統があって、それらが合体してできたところがある。

先の、いかにも、「おどろおどろしい」サバトの光景などは、キリスト教の指導者たちの、自分らの地位や信仰が脅かされる恐れから来る、「妄想」がもとになって、作られている部分が大きい。拷問による「自白」には、当然、それらの者の誘導が反映されるし、民衆の「証言」も、たとえば公開裁判などによって、「魔女」とはそのような行為をするものであるという観念が広まったことが影響している。実際に見たのだとしても、ある種のヒステリー的な「集団幻覚」ということである。(但し、そこに「捕食者」自体の影響があったと解されることは、記事『「魔女狩り」と「捕食者」』でも指摘したとおり。)

民衆による告発は、このような「魔女」観念というよりも、他の民衆による、「魔術的攻撃」を恐れることから来ているので、そこには、サバトのような観念は、本来本質的な要素として含まれない。しかし、サバトの観念が広く行き渡れば、民衆の「魔術的攻撃」への恐れにも、「サバト的」な「おどろおどろしい」要素が加わることになる。

そして、この「サバト」の光景には、典型的に「捕食者的なもの」が塗り込められているのが分かるだろう。幼児を殺害して食べるとか、膏をとるとか、悪魔にいけにえを捧げるなどは、「捕食者」の行いそのものと言える。

実は、このサバトの光景は、キリスト教の指導者の「妄想」や民衆の「集団幻覚」がもとになっていると言っても、それらは何もないところから出て来たのではない。伝統文化の基礎にある、普遍的なものであるが故に、キリスト教がずっと恐れて来た、「異教」の信仰、「シャーマニズム」の行いがもとになっているのである。

キリスト教は、そのような異教の行いを「悪魔の行い」として否定することで、自分らの信仰を正当化しようとするのだが、民衆は、キリスト教化された中世以降も、実質「シャーマニズム」的な信仰を捨てたりはしなかったので、その必要は、むしろ中世後期以降に、高まるのである。

 たとえば、「ほうきに乗って空を飛ぶ」というのも、シャーマンは実際に「空を飛ぶ」と信じられたし、カスタネダのドンファンも、「カラスとなって空を飛ぶ」という体験をしていた。あるいは、「空を飛ぶ」のは、脱魂型のシャーマニズムで、物理的にではなく、「体外離脱」をして、霊的な体で飛ぶのだという解釈もある。ヤギなどの動物に乗るというのにも、動物的な精霊を使役するシャーマンが反映されている。

いずれにしても、そのような観念の元は、シャーマニズムに発しているし、幼児を食べるというのは、直接には「捕食者」的だが、儀式において人肉を食べたり、人狩りをする民族というのは実際にある。性的乱交というのも、儀式によっては、いくらでも行われ得るものである。動物のいけにえは、多くのシャーマニズムの儀式でみられる。

記事『「シャーマニズム」への「違和感」の理由』でも述べたように、これらには、キリスト教ならずとも、「文明人」としては違和感を抱かざるを得ないものがあるのは確かである。しかし、シャーマニズム的には、伝統に根差した根拠のあるものであり、「おどろおどろしい」要素は、実際、「捕食者」の存在を認めつつ、それとのある種の折り合いをつけるということ、あるいは「捕食者的なもの」を試練として儀式に取り込むなどのことから来るものである。

しかし、キリスト教の指導者等は、そこに「恐怖」と「おどろおどろしさ」しかみないので、それらを「悪魔」の行いとして、彼ら側の「妄想」をさらにまとわせ、「魔女」の行う「サバト」として形成していったものと解される。

それは、一言で言い表すならば、「捕食者的なもの」を、自分らにとっての「他者」または「異人」である、異教の徒に、「投影」したのである。これは、「魔女」の観念について、キリスト教の指導者の場合を述べたものだが、こういったことは、民衆であれ、誰であれ、普遍的に起こり得ることであるのが分かるだろう。

つまり、魔女狩りの本質を、一言で言うならば、「他者」または「異人」への、「捕食者的なもの」の「投影」ということに尽きるのである

「投影」というのは、ユング的に言えば、自己の内にある「影」を自分の中にあるものと認めがたいために、誰か「他の者」へと投げかけ、その者自身の性質のようにみなすことである。そして、その「投影」をした「他者」を、「悪」として攻撃し、排除するのである。

「影」というのは、単に個人的なコンプレックスのようなものではなく、普遍的な「元型」に基づくもので、「捕食者的なもの」というのは、まさにそれにふさわしい。人間が共通して持つものでありなから、誰もが認めたくない「闇の部分」であり、個人的、あるいは人間的なものを超えた、「超越的」なものでもある。

「魔女」の背後の「悪魔」には、「捕食者」という存在そのものを「投影する」ということにもなろうが、「魔女」には、誰もが内にもつ「捕食者的なもの」が「投影」される。シュタイナーで言えば、「アーリマン的なもの」であり、カスタネダのドンファンでは、捕食者から与えられた、「捕食者の心」である。

この「捕食者的なもの」は、自分らとは異質とみなされる、「他者」や「異人」に投影されやすいわけだが、特に、特別な力を思わせ、「捕食者的なおどろおどろしさ」をみかけとしても有する、「シャーマニズム」的なものに投影されやすいわけである。

そのような伝統から、多かれ少なかれ切り離されたキリスト教を代表とする文化は、シャーマニズムに「捕食者的なもの」を投影し、悪魔や魔女の行いとして、排除の対象にしやすいことになる。

一方、民衆一般は、伝統文化の影響を多く残し、村や町に住むシャーマン的な者に、治療などにおいて身近に頼ることも多いので、キリスト教的な観念を入れていたとしても、そのような度合いは少ないと言える。それにしても、特別な力や知識をもったシャーマン的な者に、頼る反面、畏怖を持ち、恐れを抱くことは当然である。

民衆が、「魔女狩り」において、他の者に、「魔術的な攻撃」を受けることを恐れるのも、「シャーマンの特別の力」への怖れがもとにある。この「特別の力」は、特に「シャーマン」において強く現れるにしても、かつては、必ずしも「シャーマン」のみではなく、多くの者が持ち得るものと認識されていた。だから、それは、たとえば隣人のような他の民衆にも、広く「投影」される基盤があったのである。

柳田国男は、『妹の力』で、日本の伝統文化においてだが、多くの女性がいかに「シャーマン的な力」をもつものと思われていたかを明らかにしているが、これは西洋にいても同じでる。魔女の典型的なイメージは、薬草や呪術的治療の知識をもつ、「老婆」であることを何度か述べたが、これはまさに、「シャーマンの系譜に連なる者」なのである。

民衆の「魔女」イメージの「投影」は、必ずしも、あからさまに、「捕食者的なおどろおどろしい」ものではないにしても、シャーマンの力を、害を及ぼす「攻撃的な面」で捉えることに基づくもので、それは、「捕食者」の性質そのものとして、「捕食者的なもの」には違いない。そして、それは、キリスト教的な観念が入るに伴い、より「おどろおどろしい」要素を付加されて、強まって来たものと言える。

つまり、民衆による魔女狩りの「魔女」の観念にも、「捕食者的なもの」の「投影」という要素はやはりある。

このような「投影」を真に止めるには、その投影を自分自身に、「引き戻さ」なくてはならない。つまり、他者に「魔女」として投影している「捕食者的なもの」は、自分自身の内にあるものであることを認め、受け止めなければならない。

記事『「魔女狩り」と「捕食者」』でも述べたように、これだけ民衆の間で、「魔女」としての告発が広がることは、結局は、誰しも、自分自身が「魔女」であることに気づくチャンスでもあった。

しかし、そのようなことは実際にはなされず、人々は、「魔女」という存在を「ないもの」とすることによって、「魔女狩り」が止むこと、あるいはそのようなことが繰り返されないことを期したのである。

この「魔女という存在をないこと」にすることは、それに「投影」した、「捕食者的なものそのものをないこと」にすることにかかっていたし、実際、真に怖れをもたらすのは、この(自分の中にもあることが示唆される)「捕食者的なもの」なのだから、まさに、それを否定することこそが、強く望まれたのである。

だから、それは、単に「表面的」な対処ということではなく、それなりに真剣な試みであった。しかし、本当に心から、「捕食者的なもの」を否定し切れるはずもなく、また、その「投影」を自分自身に引き戻したわけでもないから、以後も、「捕食者的なもの」を「他者」へ投影することは、依然として続くことになる。

それは、「魔女」という形をとらなくなっただけで、実質「魔女」の場合と変わらないような「捕食者的なもの」を投影して、「他者」や「異人」を排除することで、そのようなことは、「魔女狩り」のり終息後も、いくらも起こり続けている。そして、その「狩られる」「魔女」のいわば「代役」として、最も典型的な対象となるのは、以後、「精神病者」となるのである。

既に述べたように、「魔女」という存在をないものとすることが、実効性を帯びるには、依然として「捕食者的なもの」を「投影」される存在を、「隔離」「収容」して、人々の前から「排除」するシステムを作り出す必要があった。

それが、「精神病」を誕生させた、「精神医学」のシステムであり、「精神病者」を収容する、「精神病院」という施設である。そこでは、収容される者に対して、当初から、魔女狩りの拷問にも負けないような、「虐待」的扱いが、ずっとなされて来た。まさに、実質「魔女狩り」の継続であるが、それをあからさまな形ではなく、合法的に行うシステムとして作られたのである。

そのようなわけで、「魔女狩り」のポイントは、「捕食者的なもの」を「他者」へと「投影」して、それを「排除」しようとすることである。それが、とどめなく拡大すると、結局は、誰もが「共倒れ」になるので、それを阻止するべく、「魔女」という存在を、「迷信」として「ないこと」にすることが、受け容れられることになった

それは、「投影の引き戻し」のような、真の対処ではなかったが、それまでの伝統文化のあり方を大きく変えるものであり、それなりに葛藤の伴う、真剣な試みである。しかし、それは、多くの人々にとって、単に外部的な存在としてだけでなく、自己の内にあるものとしても怖れられる、「捕食者的なもの」を「ないこと」にするという魅力的な試みでもあった。

もちろん、「捕食者的なもの」を否定したいという人々の欲望は、かつての伝統文化においてもあったが、それまでの伝統文化の世界観では、それに対処するシステムもあり、受容的に組み込まれていたので、それほど表面化しなかった。しかし、伝統文化を保存する「共同体」のシステムも緩み、「捕食者的なもの」を抱え込むことが難しくなると、人々の、「捕食者的なもの」を「ないこと」にして否定したいという欲求も強まることになる。

それは、「魔女」として他の者に「投影」することを、(「投影の引き戻し」をすることなく)止めるとした場合、どうしても、必要なことでもあったと言える。

そこで、この時期に、「魔女」を「迷信」として否定することが、「捕食者的なもの」を否定するという欲求を満たすものとして、受け容れられることになった、と言うことができる。

一言で言えば、「魔女」というよりも、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたかったのである。

しかし、「表面上」はともかく、真にそんな望みは適うわけもないから、相変わらず、「捕食者的なもの」は投影され続け、実質「魔女狩り」に相当するものは、その後もあり続けた。そして、その典型が、「魔女」の継続者とも言うべき、「精神病者」なのである。

そして、「魔女」あるいは「捕食者的なもの」を否定することは、(それによって本当には何も解決しなかったからこそだが)結局、「オカルト的なもの」一般を否定することに繋がり、さらには、「霊的なもの」や「神に対する信仰」等、それまでの伝統文化の核心的な部分をも、否定することにまで、拡大されて行くのである。

つまりは、「世界観の根本的な変化」をもたらした、ということである。これには、「近代的自我の確立」とか、「合理思想」、「科学」への志向など、いくつかの外的理由もあるけれども、根本的なところは、「捕食者的なもの」を否定したいという「内的欲求」にあったと言うべきなのである。

次回は、日本の場合に焦点を戻し、「なぜオカルト的なものが否定されたのか」を、端的に述べて、締めくくりとしたい。

 

2023年9月19日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 3—「狐憑き」の否定から「精神病」へ

日本の伝統的世界観の象徴とも言える「狐憑き」であるが、明治以降は、「迷信」として否定されるとともに、「精神病」という見方に取って変わられることになる。その者を取り巻く世界との、「見えない」繋がりを体現する「憑く心身」から、世界から切り離され、その者の内部に閉じ込められた、「病む心身」への転換がなされるわけである。

もっとも、記事『『精神病の日本近代』―「憑く心身」から「病む心身」へ』でも触れたように、江戸期にも、儒医等、「狐憑き」を狐が憑いたものとしては否定する者もいた。ただ、その場合も、心の乱れ、「気の狂い」など、やはり、世界との繋がりを媒介するものに着目しつつ、その乱れとして、一時的な回復し得る現象とみていたので、西洋医学で言う「精神病」と捉えるのとは異なる。

また、江戸期には、「狐憑き」の存在自体は否定しないが、多くの狐憑きは、実際に狐が憑いたものではなく、そう思い込むことから来る錯乱的な反応に過ぎない、と解する者も多かったようである。

ところが、明治になると、「狐憑き」そのものを、「迷信」として否定する流れが作られる

以下、川村邦光著『幻視する近代空間』の「Ⅱ 狐憑きから「脳病」「精神病」へ」を参照しつつ、その流れを追ってみる。 

前々回みたように、西洋人が、日本人をさらって、「血とり」や「脂とり」をするという風聞が広がり、庶民による一揆などの騒動が起こるが、それをきっかけに、メディアなどで、「迷信」を貶める運動が高まることになる。病気一般について、それまで伝統として伝えられた、「民間治療」も「迷信」として槍玉に上げられ、法律としても取り締まられ、西洋医学の療法によることが、押し進められる。

精神医学についても、基本的には、似たような道を歩むことにはなったが、一般の西洋医学の療法の場合以上に、簡単には進まなかった。「狐憑き」を「精神病」とする精神医学の見方は、なかなか一般に浸透しなかったし、精神病院ができて、その「治療」(隔離、収容)が実際に機能するようになるには、相当の年月を要している

それには、一つには、精神医学自体が、当初から、西洋医学の中でも、一種の差別的扱いを受けていて、発言力も低かったことがある。そのような立場にあって、精神医学の学者等が、なかなか、一般の者への啓蒙を果たすことができなかったということである。

それには、もっともな点があって、精神医学は、当初から、知識人の間でも、根拠のはっきりしない、「うさんくささ」をもってみられていて、また「狐憑き」を否定するものであるにも拘わらず、そういうものに関わること自体が、忌み嫌われたという面もあるだろう。

しかし、精神医学の見方が広まらないのは、それだけ伝統として伝えられた「狐憑き」という見方の威力が、庶民の間では、大きかったということでもある。

それでも、それを着実に「迷信」として否定し、精神医学の「精神病」という見方を通俗化して伝えるのに、大きな力を発揮したのは、精神医学の学者ではなく、メディアだったり、「民間の真只中での咄家や広告屋・コピーライター、また忌み嫌われた巡査や役人、さらに加えると、医療のプロセスそのものと開化の象徴的建造物である病院であった」(『幻視する近代空間』)ということである。

開化を押し進めようとする層や、行政的な権力の働きかけがありつつも、庶民の近いところでも、「狐憑き」を「精神病」とする見方、あるいは「病院に収容」することで解決しようとすることを、受け容れる流れができつつあったことが窺える。

メディアでの「狐憑き」は「迷信」であるという運動の例をあげると、たとえば、明治10年の新聞の、「狐憑き退治の迷信」という見出しの記事がある。そこでは、譫語(とりとめもない言葉)を発するようになった者を、周りの者たちが狐憑きとし、打ち叩くなどの手荒な方法で、狐を追い出すということがなされた事件をとりあげ、「一天万乗(天子)のお膝元に近き土地にも今の世なお此の様な空気があるから恐れます。しかも揃いも揃いて」と締めくくられている。

前回見たように、狐憑きの者に対する「狐落とし」の療法には多様なものがあったが、狐憑きの者に対して、狂乱状態を抑えたり、憑いた狐を「追い出す」ため、かなり手荒なことがされることがあったのも確かのようである。しかし、そのような手荒な対処は、むしろ精神病院に隔離されることが始まってこそ、強められているので、このような一方的な咎めは当たらないというべきである。

何しろ、ここでは、「狐憑き」及びそれを「落とす」という伝統的なあり方を、愚かで、野蛮な「迷信」として、「否定する」ことが明確に打ち出されている。一方で、「揃いも揃いて」と表現されているように、このような出来事が、今も多く行われている現実が示されている。

さらに、明治21年出版の落語家の話で、幽霊や狐に騙されることを「神経病」とする見方が、次のように皮肉られているのが興味深い。

「怪談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございません。幽霊というものは無い、全く神経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。……狐にばかされるという事はある訳のものでないから、神経病、また天狗に攫われるという事もないからやっぱり神経病と申して、何でも怖いものはみな神経病におっつけてしまいますが、現在開けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッといって尻餅をつくのは、やっぱり神経がちと怪しいのでございましょう。」

明治21年の段階で、「神経病」という見方が相当広まっていることが分かるが、一方で、庶民はこの話を笑うということは、その見方に決して与してなかったことも分かる。ただ、例として挙げられているのは、「狐憑き」ではなく、よりソフトな幽霊話と、「狐に騙される」ことであったことには、注意すべきである。

「狐憑き」の話では、重くなって、落語の話題としては相応しくないというのもあっただろうが、「狐憑き」そのものは、幽霊や「狐に騙される」ことに比べると、庶民の間でも、それほど信じられている状況ではなくなっていたことも、窺われるのである。いわば、中間段階的な状況をよく表していると言える。

一方、明治33年頃の状況が、門脇真枝という精神科医の『狐憑病新論』という著書の緒言の記述によく現れている。

「開明の芳香は到らぬ隈もなく、匂いわたり、幾多の妖怪的迷信の次第に失せ行くに拘わらず、今なお世人の脳裡に染印(せんいん)せるものは、その狐憑病ならん。あわれ狐憑病よ、こころなき俗人等のこれを信じるはとまれ、苟(いやしく)も日新の教育を受け、みずから社会の上流者をもってゆるせる人達にして、未だなお半信半疑の状態なるは、怪しむべきことというべし。」

迷信が失せ行く状況にあっても、狐憑きは世に広く残り、「上流の知識人」にあっても、半信半疑の状態としてあったことが嘆かれている。

伝統文化の中でも、「狐憑き」の特別さが露にされるとともに、知識人の間では、少なくとも、信じられるのではなく、「半信半疑」くらいの状況になっていることが、示されている。

精神科医たちの「狐憑き」は「精神病」という見方は、端的に言えば、狐憑きは「脳の病」または「神経の病」としての「精神病」なのであり、「狐憑き」なる「迷信」を信じるから、精神を弱らしめ、暗示にかかって、ヒステリー的に、そのとおりの言動をしてしまうのである。要は、「狐憑き」を信じること自体が、「妄想」なのである。

ベルツという精神科医は、「魔女」を信じることから来るヒステリー現象である、西洋の「魔女狩り」の場合と同様の現象としている。

だから、「狐憑き」という「迷信」を否定し、排することこそが、まずもって押し進められる。一般の西洋医学以上に、「伝統文化を迷信として否定」することが、精神医学の内容自体に、直接取り込まれているのである。多くの者にとって、「うさんくさい」ものではあっても、「迷信を否定する」という効果を直接もたらすうえでは、強力で欠かせない装置であったということである。

そこには、「精神病」は「脳病」であり「神経病」であって、「脳や神経の病である」という一つの根拠(というよりイデオロギー)があり、それこそが、「病む心身」という個人の内部に全てを閉じ込める見方の要となる要素である。しかし、結局は、「狐憑き」を「迷信として否定」することが、その直接に意図されることであることを鑑みれば、むしろ「迷信として否定」するためにこそ、「脳病」や「神経病」という見方が持ち出されているのが分かる。つまりは、それまでの伝統文化を否定すること、世界観の根本的変化をもたらすことが、意図されているということである。

但し、それが、達成されるのには、それまでの私宅監禁の制度を利用して、公的に監禁の制度をもたらすことを経て、精神病院が多く設立されて、「精神病者」を収容する制度が整うことを待たねばならなかった。

元々、私宅監禁の制度は、狐憑き等の精神を錯乱させた者について、私宅にそのための部屋を設けて監禁するものだが、あくまで錯乱による言動で周りを害することを抑えるために、一時的な措置としてなされたものである。しかし、明治政府は、この私宅監禁を、「精神病」を病む者に対して、つまりは、半永久的になされる監禁のための処置として利用したのである。

精神病院法(大正8) で、精神病院を積極的に建設し、患者を収容させる施策が打ち出されるが、遅々として進まず、昭和10年頃からいくつかの都市で精神病院への収容が進み、私宅監禁が廃止されることになる。しか、それが本格化したのは、戦後からのようである。

そのようにして、「精神病」という、「病む心身」に全てを閉じ込める、「世界観」の根本的変化も達成される。この段階に至って、多くの庶民も、それまでの「狐憑き」を「精神病」として「精神病院」へ収容し、監禁すること、つまりは、「厄介払い」することを、概ね受け入れたものと言うべきなのである。

「狐憑き」という現象は、「魔女」の場合ほどではないにしても、捕食者的な「おどろおどろしい」面をかなり含んでいる。特に、害悪の面が強調される、江戸期の「おさき」や「おこじょ」などによる憑き、あるいは「狐持ち筋」による狐を飛ばされる憑きなどには、それが顕著である。そこには、やはり、「捕食者的なもの」に対する恐れが、塗りこめられていると言うべきである。

これらを、「迷信」として否定するということには、それらの要素が、かつての世界観において、全体として包まれることが難しくなった状況の変化もあるが、この時期には、率直に、それを否定したいという欲求が強まったということができる。西洋の場合には、「魔女狩り」の再現を恐れるという、かなりはっきりした理由があるが、日本の場合にも、それに類した思いがその時期に高まっていると言うべきなのである。

庶民にとっては、精神医学の見方が浸透することよりも、「狐憑き」が迷信として否定されるという直接的な効果の方が重要で、そのことによって、精神医学の見方が浸透し、受け入れられるようになって行くのである。

但し、これは、「魔女狩り」の場合と同じで、ただ「迷信として否定」しておけば済むというのではなく、実質、「捕食者」的な面を依然として表す者に対する、何らかの排除の措置がなされなければ、その意味は薄い。その処置こそ、精神医療であり、病院による隔離であるということである。そのための制度が整うことで、庶民は、「狐憑きを迷信として否定」することを、いわば安心して受け入れることができる。

その意味では、「精神病」という見方を受け容れることも、「必然」の要素として伴っていたと言わねばならない。

もちろん、庶民にとっては、それまで信仰の対象であったのだから、「狐憑き」を迷信として否定することには、相当の抵抗も伴う。この点で、もう一つ、重要な点は、よりハードな「狐憑き」は否定されても、よりソフトで害の少ない「狐にだまされる(化かされる)」ということが、存続することで、狐に対する信仰は何とか保たれているということである。

「狐にだまされる(化かされる)」が残されることで、狐への申し訳ができつつ、ハードな「捕食者的な面」は、否定することができたのである。1965年頃には、それも解消されてしまうことになるにしてもである。

そして、このようなことを通して、むしろ、「精神病」とみなされることで、排除された「捕食者」的な面は、結果として、「精神病者」にこそ、より一層塗り込められることになる。実際、「精神病」と「精神病院」のイメージは、より「おどろおどろし」く、陰惨なものになっているのである。

『幻視する近代空間』が言うように、「「脳病」「神経病」は遺伝するものであり、不治で死を待つほかないという通念ができあがり、「精神病者」は「狂暴・不潔・無恥・非道徳」といった差別の言説・属性をまとうことになった。」

次回は、これまで見て来た経過を踏まえて、「魔女狩り」の意味を再び明らかにするとともに、「迷信の否定」とはどういうことかを、改めて、端的に説いてみたい。

 

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