2020年11月 9日 (月)

元FBI特別捜査官の語る暴露話

元FBI特別捜査官ジョン・デソーザとシャランの対談本、『真実はここにある!』(VOICE)を読んだ。

デソーザは、ドラマ『X-ファイル』の主人公のモデルとなった人物で、実際に、FBIには、UFOや宇宙人関係、奇怪な超常現象などの事件を回されて来る部署があったという。デソーザはその部署で、特別捜査官をしていた者である。

そのデソーザの語る暴露話は、実際、ドラマ『X-ファイル』を超えるほどのもので、どれも興味深く、改めて、事態はここまで来ていることを確認できるものだった。

内容は、非常に多岐にわたるが、デソーザは、9・11事件の調査にも携わっている。あのとき、タワーに突入した旅客機については、丹念に調査しても、一切破片がみつからなかったという。それは、実際に突入していれば、あり得ないことなので、あの映像は、「ホログラム」だったとする説もある。しかし、デソーザは、旅客機自体は、明らかに存在していたもので、あの旅客機は、高度のテクノロジーにより、別の次元に転送されたのだという。

タワー自体は、他の方法で爆破されており、それも単なる爆弾ではなく、高度のテクノロジーである、ある種の液体が使われている。演出したのは、悪魔主義者である支配層の核「カバール」で、9・11という日付も、キリストの本当の生誕の日が選ばれている。実利的な効果を狙ったというよりも、彼らのエネルギー源となる、「恐怖の演出」という意味合いが強いという。

これに限らず、デソーザの話は、私の見方とも大方合致しており、共感できるものが多い。それは、デソーザ自身が、異次元的(霊的)な体験や宇宙人に関わる多くの体験があり、それらに関することが、自然と違和感なく、受け入れられているからでもある。

少年時代にも、UFOと宇宙人との遭遇体験があり、アブダクションされそうになった(但し、家族はされた)こともある。さらに、FBI時代にも、事件との関係で、様々な異次元的な体験をしたり、UFOや宇宙人についての様々な情報と接していて、こういったことが、日常と化しているごとくである。

UFOと宇宙人については、FBIの機密解除文書も公開されていて、その中には、「UFOと宇宙人は、宇宙からではなく、別次元から来る」という、科学者の考察が記されたものもある。(トカナの記事 https://tocana.jp/2017/02/post_12244_entry.html で扱われているので参照)

デソーザも基本、その線で考えているが、たとえば、ときたま話題になる、宇宙人のミイラなどとされるものは、宇宙人ではなく、地球ネイティブの超自然的な存在のものだとしている。イエティやビッグフット、あるいは、各種の精霊などの類いである。

恐らく、宇宙人は、異次元的な存在だとしても、地球起源の超自然的な存在とは区別する趣旨であり、この点も私と同じである。宇宙人は、異次元的な存在としても(物質的な意味での惑星そのものではないが)、宇宙起源の存在ではあり得るのである。

さらに、デソーザは、MIB(黒服の男)とも遭遇しており、それについても興味深い解釈をしている。MIBと接した人は、生命の欠けた、死人のような感じと報告することが多く、「人間とは思えない」奇妙な振る舞いをしたり、あるいは、ある話題には通じていても、誰でも知っている日常的な事柄については、全く知らなかったりする。

私も、当時は、ハイブリッドと思われた、「つきまとった存在」について、同様な感じを抱いたことは、最近の記事『「MIB」/「集スト」と「想念形態」 』でも述べていた。

それで、デソーザは(これは、ブッシュマン博士という彼のよく知る人の説でもあるのだが)、「MIBは、宇宙人が高度のテクノロジーで、死人を生き返らせて、ロボットのように操っている」ものと考えている。まさに、ゾンビである。まあ、その可能性もないわけではないが、この点は、私が、『ラー文書』を参照に述べたとおり、宇宙人の操る「想念形態(エレメンタル)」と解する方が、しっくり来るばすだ。

もう一つ、UFO関係では、私も記事でとりあげた、最近の、米国防総省による「海軍戦闘機によるUFO映像の公開」についても、言及している。UFOを肯定する人にとっては、むしろ意外なことだろうが、デソーザは、あの映像は、宇宙人のUFOではなく、カバールの所有する最新兵器のドローンなのだという。カバールは、敵意ある宇宙人の地球への襲来の演出を準備する(暗示的に予期させる)べく、この映像を公開したのだという。

私も、この映像については、UFOではないのではないか、という予感を持っていたので、可能性として十分あると思う。カバールは、本物のUFOのことは隠し続けつつ、暗に、UFOと見間違うほどの高度の技術を所有していることを、自己顕示的に示してもいるわけで、いかにも、彼らのやりそうなことではある。ただし、こういったことがなされるのも、UFOや宇宙人の存在が、徐々に隠し切れなくなっているからこそなのではある。

この他にも、カバールとそれに対抗するアライアンスとの抗争(トランプも一応アライアンスの側の人物とされる)のことや、カバールの世界に向けた戦争そのものである、新型コロナ騒動についてなど、現在進行形の問題についても、興味深い話がいろいろある。

しかし、デソーザは、こういった領域に限らず、話自体が面白く、全体を通して、興味深く読めるので、興味のある人は、ぜひ読んでみたらよいだろう。

2020年10月12日 (月)

一般の精神医学との相違を端的に示す図

「狂気」または「統合失調」について、一般の精神医学と私の説との相違を、端的に示す図を作ったので、掲げます。

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この図を通して、示したかったことは、「一般の精神医学」と「私の説」では、根本的と言っていい、方向性の違いがあるということです。それは、いかんともし難いもので、その溝は、以下に見るような、精神医学の前提が変わらない限り、埋めようがないものです。

一般の精神医学の前提は、「声」などの幻覚は、(客観的には)「存在しないもの」であるということです。それを、統合失調の者は、「存在する」もののように知覚するので、それ自体が、「病的」であり、病気の現われとしての症状だとするのです。

それが「病的」であるとは、それは、「虚偽」であり、「害悪」であり、「取り除かなければならないもの」ということです。そこで、その「原因」を探って、それを「取り除く」ための方法を、「治療法」として、確立しようとするのです。()

その原因を、「脳」の異常とみるのが、主流である、「生物学的精神医学」であり、それは精神領域の問題とするのが、精神分析や実存分析などの精神医学です。

主流である、「生物学的精神医学」では、現在も、統合失調者の脳や遺伝子に何らかの特徴をみつけることに血眼になり、それを「原因」とみなそうとします。しかし、本来、統合失調の者の脳や遺伝子に何らかの特徴がみつかったとしても、それが「原因」である必然性はないですし、そのことが、「病気」または「病理性」の証明になるわけでもありません。

ただ、「幻覚」とは「病的」なもので、「取り除かなくてはならない」もので、それは、「脳が原因」で生じているという前提を当然のものとして疑わないとき、そのような特徴が、「原因」として見出されたものとして、即断されてしまうのです。

それに対して、私の説は、「声」のような幻覚は、物質的な存在ではないが、「客観的に存在する」ものであるということです。図では、「非物質的存在」としていますが、「霊的存在」としてもいいです。

いずれにしても、それ自体は、存在するもので、それがあること自体が、「病的」なことでも、「取り除かなくてはならない」「害悪」でもないとみなします。

ただ、その客観的に存在するからこそ、人を捕らえる、大きな「力」を有する「幻覚」に、振り回されて、混乱し、あるいは、それに基づいて「妄想」を構築して、それを行動にも現すようであれば、確かに、「病的な振る舞い」となるということです。

そして、この場合は、「治療法」ではなく、「対処法」こそが問題なのであり、それは、「病的な振る舞い」をできる限り、抑えるということに尽きます。それには、「声」として現れている「幻覚」に、ただ振り回されるのではなく、見極めていき、その性質を十分に捉えることができるようにならなければなりません。何しろ、「取り除く」ことが問題なのではなく、「振り回されない」ことが問題なのです。

「声」は、客観的に生じているもので、現に「病的な振る舞い」を生じさせる、とりあえずの、はっきりした「原因」として、非常に重要な「とっかかり」です。それを、「見極める」ようにすることから、それまで知らないでいた、様々なものが、「見え」てきますし、さらにそれをとっかかりにして、それをもたらす内的な原因にまで踏み込むことも可能です。

「声」は、内的にあるものとの関連で生じているので、内的なものをみつめるきっかけにもなるのです。

それに対して、一般の精神医学は、ただ「幻覚」を取り除くことに一生懸命で、現に統合失調の者が、振り回されている、「幻覚」の内容に興味を示すことも、理解しようとすることもありません(ただの「虚偽」なので、その必要もないことになります)。それでは、なぜ、統合失調の者が、そんなにも、信じがたいほど、「振り回されている」のか、つまり、統合失調の者の陥っている状態そのものも、何ら理解しようとしないことになります。

今回は、一般の精神医学との相違を、端的かつ明確にするために述べているので、詳しくは述べないですが、結局は、その相違は、「声」=「幻覚」の捉え方が、180度異なることから、来ているということです。そして、それは、それが変わらない限り、溝が埋まらないような、根本的なことということです。

※ 11月2日 

 「幻覚」は、存在するのであろうと、存在しないものをあると知覚するのであろうと、「害悪」であることに違いないから、「取り除く」のが適切な処置であることは疑いない、と思う人も多いかもしれません。しかし、「幻覚または妄想という現象自体」を取り除くなどということは不可能なことで、「取り除く」(「修正する」というのも同じこと)とすれば、「幻覚や妄想を生む脳の部分または機能」ということになります。その発想は、結局は、ロボトミー(前頭葉摘出手術)と同じであり、幻覚や妄想を含む思考や感覚の働きの多くを「取り除く」ことにならざるを得ないのです。精神薬も、発想としては、その延長上にあるもので、実際に、幻覚や妄想というだけでなく、思考や感覚の多くの働きを鈍らせてしまうのです。

生物学的精神医学は、その精度をより精密にすべく、「原因」となる脳の部分や機能の探究を続けているのでしょうが、発想としては、やはりそれらの延長上にあるもので、厳密に「幻覚や妄想」という「害悪」だけを取り除くなどということは、あり得ないことです。

ところが、それでも、一般に、幻覚や妄想は、そのような「犠牲」を差し引いても、「取り除くべき」という、強い「忌避」の意識があるので、そのようなことが顧みられることはないというのが、現状です。この、「幻覚や妄想」に対する「忌避」の意識の背後には、「オカルト的なもの」への「忌避」の意識があるということも、何度も述べているとおりです。

 

2020年9月 8日 (火)

ブログを読むときのBGM 推奨曲

ブログ『趣味的話題のブログ』の記事『人間椅子』で、私が若い頃に出て、今も活躍する、おじさん3人組のロックバンド、「人間椅子」のことを述べた。

聴いてもらえば分かるが、このバンドの曲には、私のこの「狂気」をテーマにしたブログの記事内容とも関わり、BGMとして聴くのにピッタリと言えそうな曲がいくつかあるので、紹介してみます。

1  「虚無」や「闇」に関わる記事
    例  『「虚無」・「闇」あるいは「無限」 』
         『「虚無」・「闇」との出会われ方-3種』など

  曲   『虚無の声』(https://www.youtube.com/watch?v=tYs_-BWwMkI )

        般若心経の言葉が効いている。
      詩も、私の体験を代弁してくれるかのようなものがある。

                              
2  「捕食者」に関わる記事
    例  『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』
         『「捕食者」と「分裂病的状況」』など


  曲   『宇宙からの色』(https://www.youtube.com/watch?v=1JY89ZxVqEg )

      「色」(colour)というのは、「見えないエネルギー」で、「オーラ」あるいは「気配」のようなものと思えばいいでしょう。私は、全体を 「捕食者」に関連させて受け取りました。

3  「なまはげ」に関わる記事
    例  『「なまはげ」の「鬼」 』
         『「儀式」としての「なまはげ」』  など

  曲  もちろん 『なまはげ』(https://www.youtube.com/watch?v=CLoUY1kA4ZY )
        
      「なまはげ」の肯定的な面を歌っている。
  「厳しさ」が愛、「激しさ」が慈悲で、「気心」が毒だそうだ。
    ギター演奏も、津軽三味線入ってるし…

   ほかにもあると思うけど、今回は、とりあえずのところの紹介です。

 

2020年8月29日 (土)

「MIB」/「集スト」と「想念形態」

前に、記事『要は「非-人間的なもの」/「MIB」』及び『「MIB」のその後と「集団ストーカー」』で、「MIB」(黒服の男)と呼ばれる存在は、オリオン星人の物質化したもので、現在は、「集団ストーカー」的な仕掛けを行っている可能性があることを述べました。

また、記事『「ハイブリッド」と「集団ストーカー」』では、ネガティブな宇宙人と地球人のハイブリッドが、「集団ストーカー」的な仕掛けに利用されるという可能性について述べました。

これに関連して、最近読んだ『ラー文書』(ドン・エルキンズ他著 ナチュラルスピリット )というチャネリングものの本に、「黒服の男」について、興味深いことが述べられており、それに、より説得力を感じたので、これを紹介しつつ、「集団ストーカー」的な仕掛けについても、改めて考察してみたいと思います。

「ラー」という存在は、名前のとおり、地球の古代エジプト文明にも多くの影響を与えた、宇宙の集合意識体ですが、このチャネリングセッションはかなり古くて、1960年代から80年代のものです。

全体の内容は、他のチャネリングものと比較しても、十分頷ける内容であり、年代的に近いこともあってか、ジーナ・レイクのチャネルする存在とも近いものがあります。ただ、これも時代的な制約もあるのでしょうが、説明が、抽象的で、簡潔に過ぎるものも多くあります。

「黒服の男」ついても、簡明、簡潔に述べられているだけですが、次のように言われています。

「オリオンの活動家たちは、いわゆる彼らの命令を実行する二種類の存在を使っています。ひとつは想念形態的な存在で、もう一つはある種のロボットです。

「黒服の男」は想念形態タイプの存在ですが、実在するかのような性質をいくつか持ち合わせています。彼らには付与された特定の物質的特徴がありますが、彼らの本当の波動的性質の中に第三密度の波動的特徴はありません。それで彼らは必要に応じて物質化や非物質化ができるのです。」

「黒服の男」は、(ネガティブな)オリオン星人が直接物質化した存在ではなく、オリオン星人が使用する、「想念形態的な存在」ということですが、こちらの方が正しいと思います。

宇宙人が、直接物質化すること自体はありますが、「黒服の男」という、人間をからかう「ゲーム感覚」の行いに、わざわざ直接物質化するのは、不必要なことであり、リスクが高過ぎることでもあるでしょう。

「想念形態」(「エレメンタル」)については、私も、記事で何度か述べています(たとえば『「分裂病」と「エレメンタル」(生き霊)』、あるいは『オカルトの基本を学ぶ』の『「生き霊」と「想念形態(エレメンタル)」 』)が、要は、霊的な領域に存在せしめられた、想念の実体化した存在です。

「黒服の男」も、本来、この第三密度的(物質的)な現実に実体を有するものではなく、ただ、創出された「想念形態」が、物質的な領域に、投影され、物質化されたものに過ぎないということです。それが、背後で、創出した、オリオン星人自身に操られているのです。

私は、記事『「ハイブリッド」と「集団ストーカー」で、宇宙人とのハイブリッドと思わしき存在と遭遇したことを述べましたが、この存在も、むしろ、「黒服の男」と同様、「想念形態的な存在」と解した方がピッタリ来ます。

記事では、人間とは異質にしても、どこか「虚弱な雰囲気が漂う」と言いましだか、本当に、物理的な実体というには、現実味が欠けており、儚い存在という感じだったのです。私に意識させるべく、明らかに「つきまとい」ましたが、話しかけるなどの現実的な行為は行っていないことも、そう思わせる理由の一つです。

ハイブリッドであれば、「半分」は人間であり、物理的な実体という面があるのですから、もっと、強い現実味があったと思います。

「想念形態」というのも、生命的な実体をもつもので、本人から分離した意識をもつのではありますが、それは、本来の存在に比べると、やはり、希薄なものです。人間の場合、「生き霊」というのが、これに当たることは前に述べました。

このような「想念形態」も、対する者が、これに、感情的な反応をするなど、力を注ぎ込むと、力を得て、強力な存在性を発揮します。が、そうでなければ、さほど強い存在性をもちません(それ自体は大したことがなくとも、対する者の想像や恐怖に訴えかけることで、力を発揮するようになるという意味では、これもコロナウイルスなどと同様、捕食者好みの存在と言えます)。

生命のない、ただの「ホログラム」の投影というのとは、異なりますが、それに力を与えない限り、実質は、それとあまり違わないものと思ってもいいものです。

ただ、知覚的には、物質的な存在と同様に見えるのだし、その振る舞いの奇妙さ、つきまといなどの嫌がらせ、怖がらせを受ければ、(現実の人間によるものとして)恐れたり、怒りをもってしまっても、不思議はありません。「想念形態」というものにも、しっかりとした知識をもち、このようなものを、見抜いていけるようになることが重要です。

このような存在は、「集団ストーカー」の仕掛けとしても、かなり利用されていると解されます。

何度も言っているように、この現象の基本は、観念を信じ込むことでなされる、錯覚や誤認。そうでなくとも、人間の操作や偶然を超えた共時性の演出、あるいは、引き寄せ的な現象による場合が多いことに、違いはありません。しかし、想念形態の物質化ということなら、現実に存在するハイブリッドの利用より、容易にでき、しかも、より直接的に意のままに操作できるので、現実に仕掛けられるという場合は、より多く見込まれるのです。

ハイブリッドの利用ということで想定した場合より、かなり多くを見込めることは確かということです。

ただ、このような「想念形態」では、こちらが反応して、力を与えないと、大した効果を発揮できないことを考えると、これからの可能性としては、やはり、現実のハイブリッドの利用ということも、考えておかなくてはならないことだとは思います。(「ラー文書」のセッションの頃には、まだこのような可能性は現実化していなかったので、それについては述べられていないと思われます。)

2020年8月14日 (金)

バシャールのウイルスと免疫に関する言葉

前回、新型コロナウイルスは、「感染しても、症状に現れない場合が多く、現れても、かぜまたはインフルエンザ程度のもので、重症化するのは、高齢者か、もともと持病があったり、免疫力を弱らせている場合」だと述べました。

要するに、ウイルス自体が直接重い症状をもたらすというのではなく、何らかの理由で、既に免疫等の体の機能が弱っている場合に、そこをついて、それを拡大させることによって、大きな症状をもたらすような性質のものということです。

実は、大分前になりますが、宇宙存在のバシャールが、コロナウイルスということではなく、ウイルス一般の性質として、そのあたりのことを見事に説明することを述べていますので、それをあげてみます。(『未来人に教えてもらった病気の秘密』おのころ心平×バシャール著 Voice)

「ウイルスにはインテリジェンス(知性)があり、すでに免疫系を弱くしている要因となっているものの波動をまねします。いってみれば、元からある原因となっている原因にただ乗りしているのです。その結果、ウイルスは少ない労力で人の免疫系を抑圧し、そのことで体内のより多くのエリアに蔓延することができるのです。

だからこそ、何によって免疫系が弱っているのかを知る必要があります。たとえば毒素なのか、ストレスなのか、あるいはその複合なのか、あるいは別の理由なのかがわかると、逆に、身体にとって必要なものがわかります。すると、ウイルスはあまり効果を発揮できなくなります。」

繰り返しますが、新型コロナウイルスだけでなく、ウイルス一般にこのような性質があるということです。その意味では、新型ウイルスは、特殊なウイルスというよりも、本来のウイルスの性質、本質を、より露にしているウイルスということができると思います。

そして、このように、内部の元々弱まっている部分に働きかけて、それを増幅させ、拡大し、外に現すことによって、混乱や問題を起こさせるというあり方は、これまでみて来たとおり、まさに「捕食者」のあり様そのものです。その意味でも、ウイルスには、「捕食者との本質的類似性」があるといえます。

それは、ある意味で言うと、我々の気づかない内部の問題(原因)を、外に取り出すことによって、「見せてくれる」ものとも言えます。それに対処することができれば、捕食者にしても、ウイルスにしても、「あまり効果を発揮できなく」させることができるということです。

さらに、新型コロナウイルスでは、「サイトカインストーム」という免疫の暴走反応が引き起こされることが知られています。本来、侵入した異物を攻撃すべき免疫機構が、暴走し、自分自身の細胞を攻撃してしまう現象です。

バシャールは、さらに、これは、リウマチ等の自己免疫疾患について言われたものですが、この、ウイルスによる免疫の異常反応についても言えるはずのことで、注目すべきことを言っています。それを、あげてみます。

「自己の内側では自分自身に対する抵抗があるために、ウイルスやバクテリアという日和見的な病原体に抵抗するエネルギーが不足するのです。

自分が真実であると思い込んでいる観念を維持するためにエネルギーをたくさん使うので、自分の免疫系に回せるエネルギーの量が減り、その結果、免疫系が弱くなり、外の病原菌に対して弱くなるのです。」

「つまり。免疫系は、免疫系にエネルギーを送ってくれない<あなた>を攻撃して、<わたし(免疫系)>に必要なエネルギーが流れてくるようにしようとしているのです。

別の言い方をすると、<あなた>がものすごく調和に欠けた状態なので、<あなた>自信が病原体のようになってしまっているのです。しかも、どの病原体よりももっとも優先度の高い病原体と認識され、免疫系に攻撃されるのです。」

最後の、「免疫系に自分自身が<病原体>と認識されて、攻撃される」というのは、かなり衝撃的な言葉ですが、自己そのものが攻撃されるということに、「内部的な理由」があるとすれば、やはり、そういうことになるのでしょう。

これも、ウイルスそれ自体が引き起こしているというよりも、ウイルスが「内部的な原因」をついてくるということで、起こっているということがポイントです。

バシャールがあげているのは、「自分自身に対する抵抗」あるいは、それとも関連して、「自分が真実であると思い込んでいる観念を維持するためにエネルギーをたくさん使う」などの「不調和」の状態です。

最後に、病気または災害全般についても、バシャールらしく、ポジティブな意味を述べていますので、それもあげておきます。

「病気、あるいは災害を生き延びてきた人は、なんらかの形で、必ずその前より強くなっています。その結果、人類の進化に貢献するわけです。」

「奇跡的な治癒を果たした人は、かかる前とはまったく別人になります。治った後は、一度もその病気になっていなかった別人になるのです。」

私も、統合失調状態を「くぐり抜け」て、前の自分と100パーセントではないですが、多くの面で、「別人」になったと感じています。相変わらず、「どうしようもない」面が存続していることに気づいて、愕然とすることはありますが、それも一時的なもので終わることがほとんどで、概ね「変化」したといえると思うのです。

 

2020年7月30日 (木)

「捕食者好み」のウイルス

捕食者とウイルスの、本質的な類似性については、このブログの最近の記事でも、また、『オカルトの基本を学ぶ』の『「捕食者の心」と「ウイルス」』という記事でも、述べています。

それにしても、現在騒がれている、新型コロナウイルスは、格別に「捕食者好み」のウイルスということが、言えそうです。

捕食者は、それ自体の作用というよりも、人間に、実体のはっきりしない、曖昧な現象を仕掛けて、自ら、想像力とイメージを膨らませることにより、恐怖と不安に陥らせて、そこから抜け出られないような事態を創出することを好むことは、何度も述べたとおりです。

それは、「統合失調状況」においても、「集団ストーカー被害状況」においても、典型的に、みられることでした。

ところが、今回の、コロナウイルス騒動にも、この要素が、存分に発揮されているとみられるのです。

もともと、ウイルスは、「目に見えない」もので、どのように感染し、どのように作用するのか、実体の見えにくいものではあります。しかし、今回のコロナウイルスは、これまでのウイルスに比しても、より実体のはっきりしない、曖昧なものといえます。

感染しても、症状に現れない場合が多く、現れても、かぜまたはインフルエンザ程度のもので、重症化するのは、高齢者か、もともと持病があったり、免疫力を弱らせている場合です。(※1)

それ自体は、大したことがなく、騒ぎ立てるほどのことはないはずなのですが、今回は、様々な要素が絡んで(※2)、不気味な恐怖が膨らまされ、割とスムーズに、騒動に結びつけられていると思えるのです。また、収束しそうで、なかなか収束せず、長い間、じわじわと、実体のはっきりしない恐怖を醸し出し続けています。

もちろん、マスコミや政府機関、御用学者等の煽りの影響は大きいし、そこには、それぞれの思惑もあります。しかし、その背後には、捕食者の働きかけも大きくあり、それと相まって、元々、このウイルスの性質自体にも、「捕食者好み」の恐怖を煽らせる面が、多分にあると思うのです。

かつての、ペストや天然痘のように、強力で、はっきりした症状が現れるものも、もちろん、強烈なインパクトがあり、多大な恐怖をもたらします。しかし、それは、ある意味、「見たまま」、「そのまま」のものであり、そのとおり受け止めて、できる対処をするしかないものです。また、その恐怖は、「それ自体」がもたらすものなので、捕食者が、殊更作り出したものとは言えません。

ところが、今回のコロナウイルスは、一定の感染力はありますが、その症状はまちまちであり、はっきりしません。健康に自信がある人は、気にしないでしょうが、そうでない人は、不安になってもおかしくないものです。時代的、社会情勢的には、健康に不安な人が多くいるのも、不思議ではない状況です。

感染しても、症状に現れない人が多くいるということは、そこら辺の、普通に道行く人が、感染者かもしれないということでもあります。あるいは、自分自身も、症状に現れないでも、感染者として、人に移してしまう可能性があるということです。特定の症状に現れている人を、隔離すればよいというような、分かり易い対処の仕方では済まないものがあります。

それ自体が、大したことはなくても、人によっては、また長い間続く状況では、不安を駆り立てる要素には、事欠かないということです。さらに、そこには、ただでさえ人との関係にストレスを抱えている人を、ますますギスギスさせ、争いや疑いの種をもたらす要素が多くあります。マスクの着用や自粛の働きかけは、ますますそのような要素を、強めることになります。

実際、ストレスが免疫を弱めること、既にみたように、ウイルス自体も、恐怖の感情を自己増殖の促進材料にしていると考えられることからすると、そのような、不安や恐怖を駆り立てられること自体が、このウイルスが収束することなく、威力を発揮し続けることの、要因となっていることをうかがわせます。一種のループを形成しているということです。

その意味では、「集団ストーカー」という観念を広めて、人を疑心暗鬼に陥らせ、地獄的な事態から抜け出せなくすることと、非常に似たものがあります。

このように、それ自体は大したことなくても、人間自身の想像力に訴えかけることで、恐怖と不安を拡大させ、収拾のつかない事態を作出させてこそ、捕食者自身が、特別にもたらした事態と言えるのです。それは、捕食者の自己顕示欲を刺激するという意味でも、「捕食者好み」の事態です。あるいは、人間自身の「愚かさ」を殊更に拡大して、現出させているという意味で、「愉快」なのでもあるでしょう。

もちろん、そのもとには、捕食者自身が、人間から発する、ネガテイブな感情エネルギーを継続的に収奪するという、本来の目的があります。その目的によく適うという意味では、このウイルスは、「進化形」なのかもしれないということです。

※1 この点については、 バシャールにも、新型コロナに限らず、ウイルス全般に共通する本質的な作用として、述べたものがあります。が、それは次回にとり上げることにします。

※2  ウイルスの発生が、武漢という、中国の振興の都市で、レベル4のウイルス研究機関のあるところだったことも、影響しているでしょう。あるいは、コウモリのような野生動物が、食用として売られているところという、「野蛮」なイメージも影響しています(北京や上海というメジャーな都市だったら、もう少し違ったイメージだったかもしれません)。結果として、一地方だけでなくて、世界的に広まっていることも、大きな理由です。その他、様々な「イメージ的要因」が重なっていると思われます。

 

2020年7月 1日 (水)

「常識」ではなく「共通感覚」からの逸脱

記事『「狂気」と「唯物論」』で、「組織に迫害される」などの「妄想」を信じることは、「何か、常識というか、一般の感覚を大きく逸脱して、「一線を超えてしまった」感じを与え」ると言いました。ここで、「常識というか、一般の感覚を大きく逸脱して」というのは、正確には、「常識<ではなく>、一般の感覚を大きく逸脱して」というのが正しいです。

「常識」というのは、実は、「妄想」というのと本質的には変わりなく、「一般に共有された妄想」とも言い得るものです。「妄想」というのは、端的には、一つの、「思い込み」であり、「決めつけ」ですが、それは「他の可能性を排除すべく、動機づけられ」て信じられる、ということがポイントでした。

「常識」というのも、まさに、そのように、「他の可能性を排除すべく、動機づけられ」るからこそ、あえて「形成」されるものです。そして、「決めつけ」的な作用を及ぼすのも同じで、一旦「常識」として形成されれば、周りの者にも、それこそが「正しい」ものとして、事実上押しつけられていきます。

ただ、それが、「妄想」のように、個人的なものではなく、他の多くの者と「共有」されているので、「妄想」とはみなされずに、強力に、その作用を発揮するのです。

だから、「妄想」の方も、そのように、他の多くの者に共有されて、「常識」のような位置へと近づくことを目指します。それで、ことさら人に訴えかけられるのですが、それゆえ、逆に、多くの者の、排除の抵抗を受けることにもなるのてす。

言い換えると、「常識」というのは、「感覚」レベルのものではなく、観念レベルで形成された、「固定化」されたものだということです。「組織に迫害される」などの「妄想」を聞いて、「おかしい」と感じるのは、このように観念的な「常識」によるのではなく、もっと「感覚的」なレベルでの(感性的な)反応と言うべきなのです。

中村雄二郎という哲学者は、『哲学の現在』(岩波新書)という本で、「常識」としてできあがったものは、固定化された融通の効かないものですが、その形成の元となるものに、「共通感覚」というものがあると言います。それ自体は、五感を超えた統合的、全体的な感覚で、「常識」として観念化される以前の、生きた働きです。「常識」という言葉の元となった、「コモンセンス」には、この意味があると言います。

「組織に迫害される」などの「妄想」を聞いて、「おかしい」と思うのも、このような意味の、「共通感覚」によると言っていいと思います。それは、必ずしも、明確に「観念化」して説明できないけれども、感覚的なレベルでは、「おかしい」ということを、明白に、動かし難いものとして感じるのです。

あえて、それを観念的な形に表現するとすれば、

1「組織に迫害される」と言うが、そんなことは、あり得るとしても、余程のことであるが、その者に、それだけの理由があるとはとても思えない。
2「組織」に迫害されるという方法が、そのような高度な組織のやり方としては、あまりにもちぐはぐで、現実離れしている。
3  何よりも、それだけ、普通はどう考えても「あり得ない」事柄を、単に可能性としてではなく、事実として、信じ切って疑わないのが、信じ難いことで、「おかしい」。

といったことになると思います。これは、統合失調的な 「妄想」だけでなく、最近の「集団ストーカー被害」を訴える人にも当てはまることでしょう。

ところが、「妄想」を訴える人は、自分の妄想を、「そういう組織には、それだけの技術があるのだから可能なのだ」というように、「観念的」なレベルで、つまり、「感覚」に訴えるのではなく、「常識」に寄せて、論理に訴える形で、説明しようとするのです。それで、ますます、多くの者にとっては、感覚的レベルとの齟齬が激しくなり、「おかしい」という思いを強めることになるのです。     

「妄想」が、このように「常識」に寄せて、観念レベルで訴えかけようとするのは、先にもみたとおり、必然のところがあり、まさに、「常識」に反すること、かけ離れてしまうことを、恐れるがゆえなのです。一見、常識から逸脱するようにみえても、実は、そうではなく、「常識」に適っているのだということを、躍起になって説明しようとするのです。

ところが、皮肉なことに、論理的に、常識レベルに訴えかけるほど、一般の「(共通)感覚」との齟齬を強めてしまう結果になるのです。

実を言うと、一般に対して、「常識に反する」という形の反応(反感)を呼び寄せるのは、私のように、統合失調の基礎には、「霊的なもの」が働いているなどという説明の方です。現在は、大分変わって来ましたが、まだまだ、「霊的なものがある」とか、さらに、それが「統合失調の基礎にある」などというのは、「常識」からは逸脱したものです。だから、このような説の説明は、「常識」として形成されているものの、観念や論理の危うさをついて、それを問い直すことを通じて、訴えかけるしかありません。

一方、一般の方も、このような説は、「常識に反する」ので、信じ難いとは思っても、「妄想」の場合のように、共通感覚的に、「おかしい」というのとは、また違った反応になります。

そして、この場合の「常識」というのは、記事『「狂気」と「唯物論」』でもみたように、「唯物論的な発想」ということになります。必ずしも、「唯物論」そのものとして、積極的に「物質的なものだけが存在する」と信じられているのではなくとも、その方向に沿うような、近代社会一般に浸透している発想です。

「組織に迫害される」というような「妄想」を訴える人は、感覚レベルでは、とにかく、これまでの日常に照らして、信じ難いような、「尋常でない」ことが身に起こっているということは、疑いようもなく感じています。それが、本当は、「常識」に反する、何か「未知」の事柄である可能性も、どこかで感じているはずなのです。

しかし、それを認めることができない故、それは、決して「常識に反する」のではなく、「組織による迫害」など、「常識」の延長上に理解できるものとして、「常識」を信じる側に、訴えかける必要があるのです。本当は、そうすれば、そうするほど、かえって、「無理」を押し通し、共通感覚的な「おかしさ」を招き寄せることになるのですが、それには、目をつぶって、そうする必要があるということです。()

「妄想」は、単純な「病気の症状」などではななく、このように、世間一般に信じられている、「常識」との関係で生じるもので、また、そこから逸脱することの恐れということが、深く影響していることを、改めて認識する必要があります。

「妄想」を訴えかける人、あるいは「集団ストーカー被害」を訴えかける人にアドバイスがあるとすれば、「組織による迫害」など、解釈または観念のレベルで、「決めつけ」的に訴えかけるのではなく、感覚レベルでどういうことが起こっているのか、まずはしっかりと説明することです。

普通は信じられないかもしれないが、「自分のことが周りの者に知られている」と<感じる>とか、行きかう人が、いろんなことを言ってくると<感じる>。あるいは、とても偶然とは思えない頻度で、人が自分につきまとっていると<感じる>などです。

恐らく、それを訴えても、「そんなのは気のせいだ」とか、「思い込みだ」と言われてしまう可能性が高いし、「病気だから病院に行った方がいい」(これは、「共通感覚的な反応」ではなく、まさに「常識という固定観念」による反応ですが)という人も出てくるでしょう。

「妄想」を訴えかける人は、このような反応が多いからこそ、そのレベルではなく、「常識」に寄せた、「組織による迫害」という解釈、観念のレベルで訴えようとするのですが、それが先にみたとおり逆効果で、ますます一般には、受け入れられることがなくなるのです。

感覚レベルで訴えかけることのリスクが高いのは、理解できますが、世間一般ということではなくとも、家族など、どうしても理解してほしい人には、そのレベルで、起こっていること、感じていることを、率直に訴え続けるしかないのです。多くの人でなくとも、ある一定の人たちは、(それを事実として認めるかはともかく)「そのような感覚を持っているがゆえに苦悩している」ということは、必ず理解してくれるものと思います。

いずれにしても、私に言わせれば、「妄想」を訴えかける方も、世間一般の方も、唯物論的な発想という「常識」の土俵の上で、やり合っていますが、それでは、互いにかみ合うことはなく、決して埒はあかない、ということです。

この場合には、唯物論的な発想という「常識」そのものを、問題とする必要があるのです。

※ 共通感覚的に「おかしい」ということを「共有」できず、逸脱してしまう理由を、動機のレベルから説明すれば、こういうことになります。しかし、感覚レベルでいえば、「妄想」の基礎にある感覚レベルでの体験には、強烈なリアリティを感じており、それが共通感覚的に「おかしい」ということを上回っているからです。このリアリティは、あくまで感覚レベルの体験にあるものですが、「妄想」として観念レベルに築かれたものに対して、働いてしまっているわけです。

 

2020年6月14日 (日)

「絶望の果てでの笑い」

船瀬俊介著 『できる男は超少食』に、面白い話があったので、紹介します。

「ひどいうつ病の男がいた。もう死にたくなって電車に飛び込もうとしたが、痛そうなのでやめた。ビルから飛び降りようと思ったが怖くてやめた。首を吊るのも苦しそうだ。そこで、何も食べずに餓死することにした。ところが、3日、4日と食べないうちに、不思議と心が澄み切ってきて、なぜだか生命力がわいてきた。そして、死ぬのが馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまった。」

なんと、死ぬつもりの断食で、うつ病が治ってしまったのです。だから、うつ病患者に私はこうアドバイスしたい。
「自殺するなら断食に限りますよ!」

笑ってしまいますが、実は、私が統合失調状態から回復したのも、これに近い話と言えば言えるのです。

記事では、「闇との遭遇」あるいは「一体化」という、大層な出来事によるように書いていますが(それ自体は決してウソでも誇張でもないですが)、結局、本質的なところは、このような笑い話に近いというのが、偽らざるところでもあるのです。

「馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまった」というのがポイントです。

私も、回復に向かう寸前の状況では、永遠に「悪魔」の呪縛から逃れることはできない。世界ももはや「終わり」を迎えようとしている。という、絶望的な気分になって、自殺を考える状態でした。自殺すれば、悪魔を「道連れ」にできるかのような幻想もありましたが、考えてみれば、そんな保証はあるはずもありません。結局は、自分もますます「あの世」で、呪縛されるだけで、解放される望みもなく、この「世界」も、だた空しく終わるだけということに気づかざるを得ませんでした。

そんなときに、「闇との遭遇」あるいは「一体化」が起きたのですが、それは、端的に言うと、私が「終わる」とか、「悪魔に呪縛される」とか言っていた「世界」そのものが、実は「無」だったということを示すものでもあります。それまで、いやというほど囚われていた「世界」の本質が、そのとき、その姿を如実に現わしたのです。その瞬間は、そのように、「知的」に認識したわけではありませんが、そのことは、一瞬の体感により、疑いようもなく、感じ取られたことです。

そして、私も、すべてが「馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまった」のです。

そうしたら、それまで延々と悩まし続けられた、統合失調状態そのものが、どこかに行ってしまっていたのです。その瞬間は、それまでずっと呪縛され続けていた、どうしようもない状態が、まるで、何事もなかったことかのように感じられました。

その後も、たとえば、「声」や、「捕食者」のような存在の働きかけがなくなったわけではありませんが、そんなことは、大したことではなくなってしまったのです。少なくとも、それに囚われて、落ち込むということはなくなりました。

要するに、その内容や具体的な経緯は、どのようなものであれ、結局は、「絶望の果てでの笑い」ほど、回復の効果のあるものはないということですね。

 

2020年6月 4日 (木)

「コズミック フロント UFOの真実」

昨晩、NHKBSプレミアム 『コズミックフロントNext UFOの真実』を見た。

内容としては、記事『米メディアの報道記事2つ』でとりあげていた、米国防総省が公開した米海軍戦闘機が撮影したUFO映像と、米国防総省がUFOの極秘調査をしていたことの暴露。これに関する、米軍事関係者や識者などの意見などで、取り立てて新しくないが、単に「未確認」として放置するのではなく、実際に、「地球外の惑星から訪れた異星人の乗り物」である可能性があることを、現実問題として報じていたのが、新しいと言えば新しいことだった。

もっとも、『コズミックフロント』では、前にも、UFOを肯定的に扱ったものを見たことがある。NHKも、番組やスタッフによっては、ちゃんと真実に迫ろうという意思のあるものがあるということだが、そもそも、米国防総省の公開した映像や情報も、はっきり言って、UFO関連の情報のうちのほんの一部であり、「小出し」したとしか言いようがない。番組も、この公開事件を超えて、より深くUFOそのものや宇宙人そのものに迫ろうというものとは言えない。(本当にこれをやれば、バッシングを受ける可能性、つぶされてしまう可能性が大なので、このあたりが現状では限界なのだろうが)

ただ、番組でも、これは、より大きな「グランド ディスクロージャー」の先駆けとして公開されたものという可能性が述べられており、今後の公開のあり様によっては、本当に大きな情報の公開がなされる可能性はあり得るので、注目される。

また、番組では、墜落したUFOの残骸の研究を通して、反重力のような宇宙的な技術の開発がなされていて、それがエネルギー革命もたらす可能性や、UFOの出現は、人間の核実験に関わって頻出しているらしいことから、これには、核への監視的な意味合いがあるのではないかという可能性など、一歩踏み込んだものにはなっている。

私が見たのは、再放送だったようで、今後の放送の予定はないようだが、この米国防総省が公開した映像は、Youtubeにもある。(たとえば  

https://www.youtube.com/watch?v=xRs4IfP6LMc)

また、番組の放送内容について、かなり詳しく紹介しているサイトがここにある。

なお、私のブログ『オカルトの基本を学ぶ』では、『「宇宙人」が地球に来ている可能性 1、23』として、UFOや宇宙人に関して基本的なことをかなり詳しく解説しているので、そちらもぜひ参照されたい。

 

2020年5月28日 (木)

「狂気」と「唯物論」

前回、前々回の記事で、「狂気」「感染症」「唯物論」というものには、「文明病」的な関わりがあることを述べました。

その中で、特に、「狂気」と「唯物論」との関わりについては、前々回の記事で、「「狂気」も「唯物論」も、近代社会以降爆発的に広まった、一種の「文明病」として、互いに絡み合うところがあるのも事実である」とだけ述べていました。しかし、これは、具体的にも、これまで述べて来たところから、明らかなことと思います。

今回は、これについて簡単に振り返りつつ、さらに考察してみたいと思います。

「統合失調的状況」において、まず、周りの者に、最も「狂気じみた」ものとして現れ出るのが、典型的な「妄想」、特に、「組織に狙われる」などの迫害妄想です。そのような「妄想」を信じること自体が、何か、常識というか、一般の感覚を大きく逸脱して、「一線を超えてしまった」感じを与えます。さらに、そのような妄想に基づいて、不安や恐怖、怒りの感情も露わに、奇妙な行動をとることは、まさに「了解」しようのない、「狂気じみた」ものを感じさせます。

しかし、そのような「妄想」の元には、一般にも通じる、「唯物論」的な発想があり、それが存続の危機を迎えているので、何とかそれを「護ろう」とする、強い「あがき」である場合が多いのです。

「唯物論」というのは、「世界」には、物質的なもののみが存在するという信念ですが、それは、対比的に言えば、近代以前に信じられた、「霊的なものは存在しない」という信念とも言い換えられます。つまり、個人的な信念であると同時に、時代的、集合的な信念で、近代社会特有の信念ということができます。まさに、高度に「文明」的な信念です。

「統合失調的状況」では、不審な内容の「声」を聞くなど、これまでの状況からは、「未知」としか言いようのない状況を迎えています。それは、これまでの、唯物論的な発想に基づく「世界」または「現実」そのものを、崩壊させかねないようなものなのですが、それを認めずに、何とか、これまでの「世界観」の延長上に、起こっていることを解釈しようとするときに、出て来るのが、「組織に狙われる」などの「妄想」なのです。

それは、「病気」でもなく、何か、「霊的なもの」の現われなどでもなく、「現実」の人間による、「組織」による行動で「なくてはならない」のです。その「組織」とは、権力的な組織力と高度な技術を備えたものなので、起こっていることの説明に適うとみなされるのですが、周りの者には、かえって、明白に、「無理」で「奇異」な内容となるものです。実際に、「無理」が押し通されている面があるからです。ところが、本人にとっては、許容される「唯一の可能性」なのであり、むしろ他の可能性を排除すべく、決定的に、「動機づけられ」つつ選び取られているのです。

実は、「病気」というのも、唯物論的な発想に基づくもので、本人の側の唯物論的な発想からしても、強烈に「現実的なもの」です。そのため、だからこそ、「病気ではない」ということの明らかな証として、「組織」という(唯物論的に)「現実のもの」を持ち出す必要があるということにもなります。

このように、「病気」という見方と「組織による迫害」という妄想は、唯物論を媒介にして、裏返しの関係にあるのです。

しかし、本人にとっての、真に差し迫った脅威は、それにあるわけではありません。それは、その者が陥っている、唯物論的な世界または現実そのものの崩壊という状況の方にあり、妄想の真の動機も、それを何とか押し止めようとする、「あがき」の方にあります。

結局、「狂気」を最も「狂気じみた」ものにしているのは、この、差し迫った恐怖に基づく、「あがき」であり、それをいかんともすることができないということにあるといえます。

もちろん、このような狂気は、唯物論的な信念以外の信念に基づいても起こり得ますが、唯物論的な信念を護持しようとして起こるものは、その信念にこそ基づいてる、一般社会との関係で、特別に熾烈かつ悲壮なものをもたらすのだと言えます。

それは、同時に、「唯物論」という信念自体が、既に、どこか「狂気じみて」おり、独特の「偏狭さ」をもつものだからでもあります。近代以前には、普通に信じられた「霊的なもの」を、近代という、ポッと出の人たちが、独特の時代感覚で、否定し切ったつもりになり、唯一の正しい信念であるかのように振る舞うというのは、恐ろしいばかりの、「偏狭さ」でしかあり得ないでしょう。

その「唯物論」という、既に狂気じみた信念を護ろうとして、起こされる「あがき」は、「狂気」が二重に重ねられたごとくに、殊更「狂気じみた」反応をもたらすということです。

※ 「組織に狙われる」という形の妄想をもつ人たちの多くは、おそらく、積極的に「唯物論」的な発想をもっているわけではないと言うかもしれません。しかし、漠然とした形で、霊的なものを否定しないという人たちも、霊的なものを積極的に認めているわけではなく、また、それに対する多くの恐怖を抱いているのが普通です。そこには、少なくとも、社会的に形成された、「唯物論」的な習性の影響が、大きく働いているというべきなのです。

 

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