2018年4月15日 (日)

「ハイブリッド」と「集団ストーカー」

『『集団ストーカー」という観念の問い直し』の記事で、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」は、人間ではない存在が、その都度、周りの人間を操作したり、偶然では考えられない「共時性」を演出することなどで、なされていることを明らかにしました。

しかし、前々回の記事で、今後の展望としては、「集団ストーカー」戦略のリアリティを強化するため、単に人間を操作するだけでなく、もっと、これらの存在の意思を直接に実行できる、「ガスライティングの実行部隊」となるような存在を、人間の世界に輩出しようとしていることを述べました。

このような、「ガスライティングの実行部隊」として、前回みた、ネガティブな宇宙人と地球人の「ハイブリッド」(ヒューブリッド)ほど、最適のものはありません

前回みたように、このような「ハイブリッド」は、外見上は、人間と異なるものではありません。ところが、性質として、人間と同じように振る舞うことはできず、とても人間世界に適応できる見込みはないものです。彼らを、人間の世界に住まわせる以上、何らかの「仕事」を与えることは必要とした場合、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」ほど、彼らに適した行いはないのです。

彼らは、「集団ストーカー」戦略を指揮する宇宙人や「捕食者」とのつながりが強く、「テレパシー」能力を通じて、思考や意図を、通じ合うことができます。それこそ、別に「忖度」しなくとも、「――案件」などとされていなくとも、指揮する側の意図をリアルタイムにくみ取って、実行に移すことができるのです。

さらに、彼らは、「テレパシー」能力を通して、人間の心理を読むことができ、また、思考や感情を操作する能力も、宇宙人から受け継いでいます。スウェデンボルグが記述した「悪霊」と同じように、人間の心理を巧みについて、「適切」な「ガスライティング」を行う能力にも、長けているということです。

しかし、一番の利点になると思われるのは、彼らの、「神出鬼没」というべき、「移動能力」です。前回紹介した『ヒトが霊長類でなくなる日』をみると、宇宙人と同様に、ハイブリッドも、突然、アブダクティの家の中に現れることがあるようです。カギはかかっていても、ドアや壁を通り抜けて、現われることができるということです。つまり、一種の「テレポート」能力を備えているか、または、何らかの技術により、どこかから「ワープ」的に「転送」されることがある、ということです。恐らく、私は、宇宙人そのものは、このような能力を備えているが、ハイブリッドは、能力そのものというよりも、UFO内にあると推定される技術によって、転送されているのだと思います。

ハイブリッドが、人間の心理を読んで、それに沿った、的確なタイミングで、「ガスライティング」をしようとするなら、この「神出鬼没」で「無時間的」な「移動能力」も、重要な要素になります。

「集団ストーカー」戦略を仕掛ける側としては、人間の仕業と思わせる点で、外見上人間と異ならず、しかし、人間を超えた能力によって、的確で有効な「ガスライティング」をなすことで、より混乱と恐れを膨らませることのできるハイブリッドは、まさにうってつけなのです

こういうと、この「ハイブリッド」は、「宇宙人」同様、人間をいかようにも操作できる、人間の適わない存在のように思えるかもしれませんが、前々回『補足』でみたように、決してそんなことはありません。

「ガスライティング」といっても、これまで、人間を操作して行っていたものと変わるわけではなく、ただ、間接的に、こちらの心理を錯誤に陥れ、混乱させるような、「姑息」な嫌がらせをしてくるだけです。まさに、「アンカリング」とか「つきまとい」とか、絶妙なタイミングの「コリジョンキャンペーン」といった類いです。

これらは、本来は、「こけおどし」のようなもので、こちらが影響を受けて、恐れをなさない限り、ほとんど効果を発揮できないものです。ただし、彼らが行う場合、そこには、人間を操作する場合以上の、「嫌がらせの意図」が、はっきり現れ出ます。また、先に述べた、彼らの能力や技術が強く反映され、人間では、とても考えられない、「オカルト」で「あり得ない」要素は、より正面に現れて来ます

これらに、囚われれば、混乱と恐怖は深まり、尋常でないことが起こっているという思いは、強まることになります。実際、これらの存在について、知ることがない場合、そうなる可能性は高いといえます。そして、「集団ストーカー」にいう「ガスライティングを受けている」という「感覚的リアリティ」も、強力に高められます。だから、「集団ストーカー」という観念を信じさせ、人間同士の間に、軋轢を増す、「集団ストーカー戦略」として、より有望なものとなるのです。

実は、私も、割と最近ですが、このような「ハイブリッド」かもしれない存在と、数回、出会っています。中でも、最近の2度のものは、かなりその可能性が疑われるものです。それらは、外見は、本当に人間と異ならず、実際、出会っているときは、人間だと一応思っているのですが、突然の現われ方、変な歩き方、醸し出す雰囲気など、いろいろな面で、「異質」な「インパクト」があり、後で思い返すと、やはり、ただの人間とは、思えないものです。

私は、一連の体験で、「物質化」現象というものを何度か経験し、その後も、「アール」という固有名で呼んだ、「アーリマン存在」または「捕食者」が、「人間」を装って、直接「物質化」して現われることも経験しています(これは、長い間身近に接していた存在なので、疑いなく分かります)。だから、何か、「尋常でない」振舞いをする「人間」について、これらの存在が「物質化」して現われたものである可能性を、認めることには抵抗はありません(むしろ、そう思い過ぎないように、抑制することの方が多いです)。

しかし、それにしても、先の者らの場合、このような存在の、あまりにも強力なインパクトとは比べ物になりません。それと通じる要素は、あるにはありますが、どこか「虚弱」で、人間に近いもの、あるいは、主体性をもった存在というよりは、どこか、ロボットのように、操作されている感じのする存在です。それは、ただの人間とは思えないにしても、「捕食者」のような存在そのものとも思えないものだったのです

だから、後に述べるように、それは、単に、奇妙な振舞いをする、「操作されている人間」である可能性、あるいは、ほとんど「クローン化された人間」という可能性もあります。

ただ、やはり、ただの「人間」としては、異質との思いが強かったところ、後に、『ヒトが霊長類でなくなる日』を読むことになって、それと照らし合わせてみると、よく符合するので、「ハイブリッド」である可能性が疑われたのです。

そして、それらは、まさに「集団ストーカー」戦略にいう、「ガスライティング」そのものといえるような、行いをして来ました。いずれも、こちらの、ちょっとした「ネガティブな思い」に、乗っかるようにして、まさに「絶妙なタイミング」で現れ出ています。

一度は、私が、家の前の道路の脇の木の延びた枝を、かなり大量に切って、それを後でまとめて取りに来ようと、一旦、(「ちょっとまずいかな」という「思い」をもちつつ)道の脇に置いたままにした後、後でそれを取りに来たとき、そのタイミングで、いきなり、隣の家近くの曲がり角から道に現れ、前かがみで手をもむような変な歩き方で、見かけない女の人が早足で近づいてきて、私の切った木の枝のまとまりを、「これ見よがしに」見て、次に切った木の方を、これまた、「これ見よがしに」見て、そのまま、別に何言うでもなく、次の曲がり角を曲がって、去っていったのです。

「これ見よがし」と言いましたが、本当に、志村けんか加藤茶かと思うほど、大げさな演技で、「なんだこれは」と言うかのように、思い切り、「あてつけっぽく」見たのです。私は、一瞬、咎められている気がして、「ムッ」としそうになりましたが、あまりに「関りたくない雰囲気」を醸し出していたので、それ以上気に留めることはなく、放っておきました。

もう一度は、ちょっと事情あって(このときも「ちょっとまいずかな」という「思い」はありつつ)、夜中にゴミを出しに行ったときのことですが、ゴミ置き場に行く途中の道路に、まるで「待ち構えていた」かのように黒の車が停めてあって、私がゴミ置き場の方に歩いていくと、急に外に出ていたらしい、見かけない男が車に戻って、車を動き出して、しかもゆっくりと私をつけるかのように、ゴミ置き場のすぐ近くまでついて来て、そこで停まるのです。私は、実際はかなり気にはなっていたのですが、気にしない素振りで、ゴミを捨てていると、車から、男が出てきて、近づいて来て、ゴミ置き場のすぐ横で立ち止まって、そこでじっとして、不審な挙動をしているのです。手には、スマホをもっていましたが、別にそれに夢中になっている様子もなく、私がゴミを捨て終わると、また戻って来て、車に戻り、また同じように、極度にゆっくりした運転で、私とは別の方向に行って、去って行きました。

私も、夜中にゴミを捨てることを咎められるのかなという思いと、同時に、単純に、つけ狙われているような恐れもいくらかは感じたのですが、これは、女性や子供であったら、相当の恐怖を感じたことと思います。夜中で、相手の様子があまり見えなかったこともあり、見かけ上、どこまで「異質」かは分かりにくいですが、全体として、行動が明らかに「異常」であり、「偶然」の出来事とは思い難いものです。

私も、ちょっと後ろめたい思いがあったこともあり(まさに、そこにつけ込まれているのですが)、また、「関りたくない」思いもあったので、特に、何か言ったりすることはしませんでした。(今度、似たことがあったら、話しかけて、何か聞き出してみようかとは思っていますが、そう思って以来、はっきりとは現われ出ていません。)

いずれにしても、いずれも、意図的な「嫌がらせ」だったとしても、非常に「微妙」なものであるのが分かると思います。はっきりとした、明ら様な嫌がらせというには、あまりにも間接的で、「姑息」といえるものです。実際、こちらに対して、直接、攻撃的な行動をとる様子はうかがわれないし、何か、こちらに、話しかけたりする素振りもありません。むしろ、自ら近づいていながら、こちらを怖がっているかのようにすら見え、人間としては、どこか「虚弱」な雰囲気が漂います。

だから、私自身は、後で、ただの人間でない可能性は考えましたが(ある意味、こういったことには「免疫」があることもあって)、特に「恐れる」ことはありませんし、特に気にもしません。しかし、こういうことが、もし、毎日のように続くとしたら、まったく囚われないというわけにはいかないでしょう。

また、先に述べたように、私は、これらが「ハイブリッド」だと確信しているわけではなく、人間を操作しているに過ぎない、あるいは、見かけ上も「異質」な面が多くあるので、ほとんど「クローン化された人間」である可能性もあると思っています。ただし、それらの背後に、「捕食者」の指揮は、嫌というほど感じるので、これらの全体が、単に、「偶然」というか、「集団ストーカー」戦略とは何の関係もない、という可能性は、ほぼないと思っています。

また、もし、これらが「ハイブリッド」だとしても、実際に、既に人間の世界に入り込んでいる存在だとは、解し難いです。その場合は、もっと、このような出来事が、頻発して起こることでしょう。

彼らの「移動能力」または「技術」からすれば、ときおりならば、UFOなり、どこかに集められている「ハイブリッド」を、このような目的のために、一時的に「転送」させて、「ガスライティング」を行うことは可能でしょう。そして、とりあえず、多くの人に向けては、このように、彼らによる、ときおりのインパクトある「ガスライティング」が仕掛けられれば、「集団ストーカー」は厳としてあるという思いを生じさせて、以後周りの人間の行いも、「ガスライティング」の疑いのもとに見させるようにし、自ら深みにハマらせていくことは、十分可能なのです

もちろん、「ハイブリッド」を大量に人間世界に輩出できれば、それに越したことはないと思っているでしょうが。

いずれにしても、このとき、私が思ったのは、これこそが、「集団ストーカー」被害者の一部(全部ではなく、本当にこれに類する何らかの「仕掛け」を受けている、「一部」の被害者です)のいう、「ガスライティング」そのものだなあ、ということです。確かに、人間の操作として行われるものよりは、強力で、「集団ストーカーはある」と堅く信じてしまうのも、致し方ないものがあります。それを、ある意味、「捕食者」の側で、「こういうものもあるのだ」と教えてくれたようなものです。

また、もう一つは、本当に、彼らは、こちらの、「ネガティブな思い」につけ込んでくるなあ、というこです。これは、「集団ストーカー」戦略に限らず、彼らの戦略のあらゆる点において、そうです。それも、ほんの、ちょっとした(本来もつ必要もない、どうでもいいような)、「ネガティブな思い」につけ込んで、それを限りなく、大きく膨らませようとして来ます。この点では、こちらも、反省というか、教訓として受け止めなくてはなりません。変に、後ろめたいような、「ネガティブな思い」はもつ必要がないし、また、もしもつようならば、そんな行いはしないに越したことはないということです。

前回、ネガティブな宇宙人のアブダクションについて、被誘拐者にも、教訓となる要素があるから、あえて阻止されていないということを述べました。これは、「集団ストーカー」戦略の「ガスライティング」にも言えることのはずなのですが、それについては、次回述べることにします。

2018年4月 3日 (火)

宇宙人と地球人の「融合プロジェクト」について

宇宙人と地球人の「ハイブリッド」を作り出して、融合させる、「融合プロジェクト」などというのは、いかにも衝撃的に聞こえるものでしょう。

しかし、大分前から、散発的には、宇宙人による誘拐(「アブダクション」)体験者が、退行催眠下で話す話として、持ち上がっていたものです。「宇宙人の子供を妊娠」または「産んだ」などとして、テレビでも、センセーショナルにとり上げられることがあります。また、いくつかのチャネリング情報でも、語られていました。

ところが、最近、アブダクション事例の著名な研究者、デイヴィッド・ジェイコブスの『ヒトが霊長類でなくなる日 』(竹書房 )という本が出て、最近の事例が総合的にまとめられ、「融合プロジェクト」の全容をかなり詳しく浮かび上がらせています。

多くのアブダクション体験者を退行催眠にかけて、持ち上がった話や、自ら体験を思い出して語った人の話をまとめたものですが、かなり具体的で詳細な内容で、全体に共通性や一貫性があり、とても「作り話」などとは言えないものです。何らかの、物理的痕跡が残っている場合もあります。

アブダクション事例だけでなく、宇宙人関連の情報を総合的に判断すると、確かに、いく種かの宇宙人の間で、地球人との「ハイブリッド計画」、さらには「融合プロジェクト」が進められていることは、間違いないと思われます

アブダクション体験者(「アブダクティ)」が語る内容というのは、おおまかにいうと、次のようなものです。

アブダクティは、気がつくとUFOの中の実験台のようなところに寝かされ、宇宙人によって、精子や卵子を採取される。あるいは、単純に性交をされる場合もある。女性の場合、改めて、子宮に「ハイブリッド胚」を挿入され、一定期間後に胎児を取り出される。その後も何度か誘拐され、その胎児を育てるために何らかの役割をさせられる。さらに、成長したハイブリッドが地球人として暮らすために、さまざまな指導をさせられる場合もある。

アブダクティは、こういった出来事の記憶を消される場合が多いですが、何らかのきっかけで思い出したり、退行催眠によって、記憶をよみがえらせることになるのです。

誘拐する「宇宙人」というのは、いわゆる、「グレイタイプ」が多いですが、爬虫類的なレプティリアン、人間とそっくりのヒューマノイドなど、いろいろあります。
また、UFO内では、グレイダイプと似たものや、人間に似たものなど、さまざまなタイプの、また胎児から、大きく成長したものなど、さまざまな段階の「ハイブリッド」を見ています。

本では、この「宇宙人」については、次のようにまとめられています。

人間を誘拐する者たちのほとんどは、UFO内に暮らしている。そのいずれもがホモ・サピエンスと肉体的には似通っているが、その一方では、想像もできないほど強力な顕著に異なる知的能力を有している。彼らは精神感応力(テレパシー)で意思伝達を行う。「神経連動」によって、誘拐者は、恐怖、憎悪、愛情、性的反応といった多岐にわたる感情を引き出すことができる。
 アプダクティのほとんどは、誘拐されるときにはほぼ必ずと言っていいほど、何らかの形で神経連動の影響を受けている。同様に重要な点として、すべてのエイリアンは限られた距離からなら、神経連動なしに人間の思考や行動を操ることもできる。数センチ先から、あるいは額と額をつけながらアプダクティの目をじっとみつめて視神経を固定し、脳内のさまざまな神経部位を刺激することで、人は彼らの意のままにものを見て、考え、行動することになる。このたぐいまれなエイリアンの神経的、テレパシー的能力こそが、人類と彼らを区別する最も重要な要素である。

「神経連動」というのは、近距離で、直接意思により神経を操作することとは別に述べられているので、おそらく、何らかの技術と連動してなされる能力ということなのでしょう。このような「能力」ないし「技術」は、前回の記事でみたような、「ガスライティング」との関連でも重要なものです。

但し、宇宙人は、アブダクティの思考のすべてを読み取れるわけではないこと。アブダクティも、彼らの裏をかくような思考や行動をすることが、ときに可能なことは、指摘されています。つまり、限界はあるということです。

このようにして、作り出された「ハイブリッド」の段階には、先にもみたように、様々なものがあり、初期タイプ、中期タイプ、後期タイプと進むにしたがって、人間と似たものになります。

その最終段階とされる、「ヒューブリッド」について、本では、次のように述べられています。

ヒューブリッド(融合種)は、人類ハイブリッド化計画の最終到達点である。彼らは神経学的な側面を除き、あらゆる点で人間と区別できない。口頭で話したりテレパシーを使ったりして、人間の神経をコントロールできる。彼らの主要な役割はひとつ―それと悟られずに地球で暮らし、社会にうまくなじむことだ。アブダクション計画において、この目標は最後から2番目に重要である。ヒューブリッドは地球生活の諸側面について学習したあとでさえ、人間の生活の複雑さについてことのほか認識が甘いままであり、アブダクティの多大な助けを必要とする。しかし、学習も早く、社会的な複雑さにすぐに適応する。
 わたしは2種類のヒューブリッドを発見している。一人で暮らす「独立型ヒューブリッド」と、アパートメントを2,3人のヒューブリッドとシェアして暮らす集団型ヒューブリッドである。独立型ヒューブリッドが受け持つのは、彼らに人間社会の複雑さを数か月、ときには数年かけて教えるアブダクティである。
……初めのうちはあらゆるヒューブリッドが複雑な社会で生活していくのを助けてくれるアブダクティに依存しているが、社会化するにつれて助力を必要としなくなる。

このように、「ヒューブリッド」も、宇宙人の能力を受け継いで、テレパシー能力や思考、感情を操作する能力をもつようです。しかし、その能力にも限界があることが、次のように述べられています。

平常時のヒューブリッドはひとりの人間しかコントロールできずに、神経的な力の弱いヒューブリッドが一度に複数の人間をコントロールするのは難しいようだ。従って、ヒューブリッドが人間の集団に脅かされるときは、極めて脆弱である。逆に言うと、彼らは結束することにより、その脆弱さが軽減されることを知ってしまった。彼らは神経的なエネルギー資源を集約することで、手に負えない人間をより完璧にコントロールできるのだ。

このようにして、「ヒューブリッド」が、既に人間世界に送り込まれている、というのは、やはり衝撃的であり、信じ難い面もあります。テレパシー能力や思考、感情を操作する能力を受け継いでいるのも、脅威といえば脅威です。

しかし、次回述べるつもりですが、私も、ヒューブリッドに限らず、宇宙人や捕食者のような霊的存在であっても、確かに強力である一方で、そこに「脆弱性」のようなものは、常に感じます。言い換えれば、人間に対して、特にその「暴力性」に対する、かなり根源的な「恐怖」をもっているようだということです。それは、おそらく、我々が、馬や牛などの家畜動物に対してもつものと似ていて、普段従順のようでも、本気で反乱されたら敵わないといったものと思われます。

また、そのような人間に対する恐怖や、距離感のようなものは、まなじっかテレパシー能力や操作能力があるために、増長されているのだと思われます。

先の文では、ヒューブリッドは、人間生活の複雑さになじめずに苦労するが、いずれ適応して、なじんでいくと述べられていました。しかし、それは、言えるとしても、後にみるように、一部の「優秀な者」のみなのであって、多くは、とてもそのように人間世界に入り込めるものではないと思わざるを得ません。また、本でも、彼らの、人間世界になじめない苦労の様子が、ちょうど「自閉症」の人の苦労と似たようなものとして、多くとりあげられています。

私は、とても、これらの存在が、容易に人間世界に入り込めるとは思えないのです。その意味では、「融合計画」をそれほどおそれる必要はないということです。

とはいっても、多くの人は、人間を誘拐して、一方的に、このような計画を実行するなどは、我々としては、とても受け入れ難く、許せないと思うでしょう。実際、ジェイコブスも、この計画の全体を、「邪悪な宇宙人による地球乗っ取り計画」そのものとして捉えています

徐々に、宇宙人と地球人のハイブリッドを人間の世界に入り込ませ、融合させて行き、最終的には、地球そのものを乗っ取ることを目的としているということです。先に、ヒューブリッドを人間社会になじませるのが、「最後から2番目の目標」とされていましたが、最終的な目標は、このような「地球全体の乗っ取り」ということだからです。

目的については、後にみるように、様々なものがあり得るでしょうが、このように、ネガティブな宇宙人による、「邪悪」な意図による「融合プロジェクト」というのは、確かにあるようです。

ところが、一方、「チャネリング」系統の情報でよくいわれるのは、「アブダクション」や、「ハイブリッド」の形成というのは、実は、宇宙的には、太古の昔から、普遍的にある出来事であって、対象である地球人も、魂のレベルでは合意している事項であるということです

たとえば、私自身、初めに、チャネリング情報というものに、みるべき価値があることを認め、自分の一連の体験を顧みるときにも、大きく参照となった、ジーナ・レイク(のチャネルする存在)は、次のように言っています。(『アセンションへの道』ナチュラルスピリット)

混血の育成は、交配に関るETの種族を救うためでもなければ、人類を種族として改良したり救ったりすることが目的なのではありません。この手の交配は広大無辺な宇宙全体で普遍的に行われていることであり、例をあげれば地球の農業の交配と何ら変わるところがありません。
 遺伝子工学は、単に種の学習と進化の一端を担うものであり、それがみじめな失敗に終わる場合もあれば、偉大な発達につながることもあります。遺伝子工学の関係者たちが生命の遺伝子を操作する行為を非倫理的なこととみなさない一方、遺伝子操作という分野へのとり組み方や、研究の成果の利用法によっては、遺伝子操作は非倫理的な行為になると言わざるを得ません。あらゆる種族の科学者というものは好奇心に満ち、探求心にあふれ、学び、発見し、彼らはそれを実験という行為を通じて表現します。彼らはそのような実験を通じて重要な教訓を学び、知識や知恵を発達させていくのです。
 遺伝子操作によって作り出された混血の者は、地球からどこか別の場所に移動させられている場合がほとんどで、地球に残されているのはほんの少数に過ぎません。ですが、この少数の混血の者たちは、地球の大転換に関して大いなる責任を担うことになるでしょう。

変に、地球人にとっての利益を強調したり、自分らの行為を正当化せずに、客観的に、実験的な意味合いであることと、進化上の必然であることを示すのみであるのが、むしろ真実味を感じさせます。

現在、この「ハイブリッド」計画を主に進めているのは、ゼータ星人(いわゆるグレイタイプの宇宙人ですが、実際には、この中のネガティブなタイプが「グレイ」と称されているようです)とされています。彼らとしては、彼らの進化の方向として、感情を排除するということがあり、それが彼らの更なる進化を行き詰まらせたので、地球人の感情的要素を取り入れて、改善するということ。地球人にとっても、ゼータの様々な能力を取り入れることは、進化的に意味があることで、それに魂のレベルで同意する者に、このような計画が実行されているということです。

実は、チャネリングの走りとして有名な、エササニ星人のバシャールも、このようにして形成された「ハイブリッド」というのです。エササニ星自体が、地球人とゼータ星人のハイブリッドによる惑星ということです。といっても、現在の地球の時間からすれば、一つの「未来」であり、可能性としての「パラレルワールド」ということになります。

本にまとめられている体験談も、このゼータ星人によるものが多いようです。ジェイコブスは、全体を邪悪な意図によるものとみているのですが、これには、どうも、邪悪なものとそうでないものが、一緒にされ、混在されているように思われるのです

私も、このような、ハイブリッド計画というものは、にわかには、受け入れ難く、本当に、彼らの言うとおりに、そのままに受け取る気にはなりません。しかし、宇宙人と地球人とが接触する限り、このような「融合」は、起こり得ることと思わざるを得ません。地球上でも、文明と文明が接触して交われば、必然的に、融合ということが起こって来ました。「日本人」というのも、「縄文人」と「弥生人」のハイブリッドということになります。

それ以前に、そもそも、記事『「プレアデス+」と「創造神」「捕食者」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-d8e8.html)などでみたように、人間自体が、宇宙人と地球上の類人猿の「ハイブリッド」として創造されたということもあります。もともと、人類が誕生するときに、宇宙人が存在したなら、そのようなことが行われていないとみる方が、無理なのです。そうでなくとも、生命の進化説として、細胞と細胞の「共生説」というのもあります。実際、生命の多様さとは、「ハイブリッド」ということを抜きにしては、考えられないものでしょう。

だから、ハイブリッド計画や融合計画自体が、「邪悪」なものとは、言えないと思います。ただし、事実上、文明と文明が接触し、このような計画が実行されるとき、優位にある方が主導権を握って行われるし、我々としては、いろいろと不利な立場におかれることも、必然と言わなくてはならないでしょう。

我々には、これらの存在との接触自体に、未知の恐怖がつきまとうし、どうしても、これまでの地球上でのあり方を否定され、侵害されているような思いがつきまといます。実際、アブダクション体験者の語りにも、それは反映されています。

ジェイコブスが、計画の全体を邪悪な意図によるものと解するのも、十分の理由があると思います。しかし、やはり、全体として、はっきりと邪悪な意図に出たものと、そうでないものとは、区別する必要があると思います。

実際、ジーナレイクも、ネガティブな宇宙人による、アブダクションやハイブリッド計画もあることが、次のように述べられています。

ネガティブなETによる誘拐は、被誘拐者との魂の合意なしに一方的に行われます。ですが、彼らによる誘拐も被誘拐者の成長に役立つことから、被誘拐者の魂はすくなくとも彼らによる誘拐を黙許しているのです。

「魂の合意」ということ自体、彼らの側の一方的な捉え方によるともいえ、本当だとしても、微妙な問題をはらみます。しかし、「邪悪」かどうかの一つの基準として、この「合意」ということが大きく関るべきなのは、少なくとも納得できることです。

「被誘拐者の魂自体が誘拐を黙許している」という言い方も、微妙ですが、これは、言い換えれば、それ故に、彼ら自体も、ネガティブな存在による誘拐を「黙認」しているということです。

これは、人間でも同じですが、一つの難しい問題として、「自由意思」を尊重するということがあります。他の種族の自由意思が尊重される限り、それが「邪悪」と判断される場合でも、極力、直接的な実力行使による阻止は控えられるべきことになるでしょう。もちろん、一切のルールを排すのでは、混沌とするだけだし、ルールが守られるためには、一定の罰則や実力による阻止も必要になることはあるでしょう。

しかし、この「アブダクション」と「ハイブリッド」計画には、地球人の成長に役立つ、教訓的な意味もあるので、あえて阻止はされていないということです。ただし、同時に、後にみるように、ネガティブな存在のこのような計画が、まともに機能するとは思われてもいない、ということもあるのだと思います。

実は、このようにして、他の存在によって、あえて阻止されていないということは、前回みた「集団ストーカー」戦略についても、言えるはずのことです。が、これについては、次回にみたいと思います。

このように、融合計画については、全体として進化の必然であるとしても、その中には、ネガティブな存在によるものがあるということは、確かのようです

ネガティブな存在の計画は、おそらく、彼らの存在自体の、生き残り計画でもあり、あるいは、彼らも、他の存在による全体としての融合計画を知っているでしょうから、それを阻止したい、彼らの都合のよいものに変えたい、という思いもあるのでしょう。

そして、最終的には、「乗っ取り」を意図しているということも確かにあるのでしょう。しかし、既に何度か述べたように、それが、可能とはとても思われません。

彼らが、人間の世界に入り込むのが、いかに大変かは、アブダクティの語りからも、よく伝わって来ます。先に、「いずれ適応する」と述べられていましたが、これは、ネガティブな存在ではない方のハイブリッドと思われ、しかも、その中でも一部の「優秀」な者について言えることのようです

私自身、次回みるように、そのようなハイブリッドかもしれないものと出会っていますが、やはり、普通に人間世界に適応できるというようなものではないと思われます。まして、彼らが、徐々に人間に取って代わるなどということは、考え難いことです。

但し、一つ、もし、記事『身近に入り込んでいる「宇宙人の技術」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-7e52.html)でみたような、「人間のクローン化」ということが、押し進められていくなら、それは実質上、このようなハイブリッドと変わらない地球人を、多く輩出することになります。そうすると、全体として、人間がハイブリッドに融合して行く地盤ができるということは考えられます。恐らく、彼らとしては、その両者を、狙っているのでしょう。

前回、あくまで「可能性」であり、今後の「展望」といいましたが、このように、わずかではあっても、既に、地球に、地球人として入り込んでいるネガティブな存在との「ハイブリッド」は、いるのかもしれません。

しかし、そのような存在が、とりあえず、人間に向けて、できそうなことと言ったら、これしかありません。それは、前回みたような、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」ということです。

しかし、それについては、次回述べます。

2018年3月17日 (土)

「集団ストーカー」という観念の問い直し 補足と展望

前回までの一連の記事は、「集団ストーカー」という観念が、いかに戦略に満ちたもので、その観念を信じさせ、広めることで、人と人の間に、多くの軋轢と葛藤をもたらすことができるかを明らかにしたものです。もちろん、本人においては、その観念を信じさせることで、恐怖や混乱を拡大し、その観念自体から、抜け出し難い、「地獄的現実」を与えることができます。

そして、その戦略と行いは、人間を超えたところから来るもので、「捕食者」等の、人間心理をよく読み通すことのできる存在が、なし得るものであることを明らかにしました。ところが、この「人間を超えたもの」であることを強調したため、このような存在が、物質的なものを超えた、万能の存在で、人間を意のままに操り、何でもできるかのような印象を与えたかもしれません。

しかし、これらの存在は、物質的な領域を超えたところから働きかけることはできますが、完全に物質的なものを超越しているわけではなく、自在に物質的なもの(存在)を操れるというわけではありません。それは、彼らにとっても力のいることで、物質的な領域を離れた存在として、大きな制約もあります。人間も、物質的な存在である(肉体をもつ)ことによって、それらの存在から、「護られている」ところがあるのです。(直接、彼らの「声」が聞ける場合は別ですが)物質的なものを通して、人間に、彼らの意図するような、的確な影響を与えるというのは、やはり大変なことなのです(その意味では、「簡単にできる」と言ったのは、あくまで人間の場合との比較でしたが、誤解の元でした)。

逆に言えば、だからこそ、彼らの行いを最小限にして、この観念を信じ込ませること自体から、その効果を最大限引き出す必要があるということもなるのです。つまり、彼らにとっては、「戦略」こそが、「すべて」と言っていいほどに、重要なものになるということです

しかし、これも、逆に言えば、人間の側が、このような「戦略」に乗らなければ、彼らのできることには、大きな制約があるということです。

また、「集団ストーカー」(ガスライティング)を、人間によるものではないとしたことで、「悪」とは、人間が行うものではなく、彼らのような「悪魔的存在」が行うものとの誤解を与えたかもしれません。しかし、人間には人間の「悪」があるのは当然であり、物質的存在としての人間が得意とする「悪」の領域は、多くあります。たとえば、「戦争」その他の、物理的な「暴力」であり、あるいは、私利私欲の「経済活動」などです。

そういった行為にも、背後で、「捕食者」のような存在が働くことは多いですが、その場合にも、現実に「人間自身」がその行為を行うことで、実現されます。前回、「ユダヤプロトコール」をとり上げ、「捕食者」による、「ガスライティング」と同質の戦略だと言いました。が、この「ユダヤプロトコール」は、物理的世界の現実的な支配の方法について述べたものであり、支配層の人間によって、実際に実現されてこそ、機能するものです。

それに対して、「ガスライティング」の特徴は、徹底して、人間の「心理」「精神」に向けられた戦略であり、人間の精神を混乱させ、崩壊に導くことを狙ったものです。それは、人間心理を、つぶさに観察し、リアルタイムに、見通すことでこそ、可能となるものです。また、そうであってこそ、(すべてを見通されているような)恐怖をもたらすものです。このような領域こそ、彼らの得意とする領域であり、その本性をいかんなく発揮できる領域なのです。人間では、とても不可能な領域です。

ただし、これも逆から言えば、これらの存在は、「こういうことができる」というよりも、「こういうことしかできない」とも言えるのです。これらの方法は、人間心理を捕らえることができれば、それこそ際限なく、深みにはまって、強力な効果を発揮しますが、本人が囚われることがなければ、逆に、ほとんど、影響を与えることができないものでもあるのです

第3回のところで、スウェデンボルグの悪霊に関する記述を引用しましたが、スウェデンボルグも、これらの存在への対応策として、次のように述べています。

私の体験からはっきり言えるのは、悪霊は無理に追い払おうとしてもダメで、そうすればするだけ、彼らの術中にはまるということである。逆に相手にならずにいると、彼らは自分から退散していく。

何しろ、「集団ストーカー」戦略()は、彼らにとって、本性そのままを発揮できる、得意領域であり、それを通して、人間を貶め、軋轢や葛藤を拡大できる、有望なものです。何度か述べたように、彼らの存在が一般に認められなくなり、人間同士の結びつきが失われた現代こそ、この戦略はよく機能するのです。可能性としては、「魔女狩り」のときと同じように、多くの人間が、お互いがお互いを、「加害者」として糾弾し合って、混沌とする状況にまでいたることも見込めます。

それで、「捕食者」としては、「集団ストーカー」戦略を、今後もさらに継続し、拡大したいと思っているようです

ただし、そうするには、先にみたような、いくつかの弱点は、補われなければなりません。一旦、この観念を信じさせることに成功すれば、そのこと自体から、それを補強するような「現実」は、いくらでも生み出すことはできます。が、この観念をもっと広く信じさせるためには、さらに強いリアリティを吹き込む必要があります。適当に、その場その場の人間を操作することや、多くの人間を巻き込んで、「共時姓の演出」をすることは、力のいることで、手間もかかるし、必ずしも、彼らの狙ったとおりの効果をもたらせるとは限りません。

一つの方法として、記事『「MIB」のその後と「集団ストーカー」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-4224.html)で述べたように、彼ら自身が、「物質化」して、直接人間に働きかけるという手もあります。しかし、それはそれで、大変なことであり、リスクも大きくあります。また、それでは、大きなインパクトは残せますが、大量の人材を関わらせて、細やかな行いを繰り返し行うことはできません。

そこで、方法としては、人間を操作するだけでなく、彼らの意図を的確に表現できる、自由に利用できる存在を、人間の世界に多く輩出するということが考えられます

前に何度か引用した、『悟ってアセンション』に述べられたような、「人間のクローン化」計画は、主体的意識が大きく削がれた人間を輩出することで、ロボットのような、「操作し易い」人間を多く生み出します。それは、この「集団ストーカー」戦略を実行するのにも、利用できる都合のいいものです。現に、これは多く実行されていることと思われます。ただ、これらの存在も、一応人間である分、操作に限界があります。

ところが、彼らは、さらにもっと、彼らの意図を的確に実行できるような存在を、多く輩出したいと考えているようなのです。

それは、人間をクローン化するというだけでなく、彼ら、特に「宇宙人」の側から、人間に似せた存在を、作り出して、人間の世界に輩出するということです。『悟ってアセンション』でも、「宇宙人のクローン化」という計画があることには触れられていました。が、さらに、最近の「アブダクション」事例などをみると、宇宙人と人間との「ハイブリッド化」ということも進められているようなのです。

これは、現在のところ、あくまでも「可能性」であり、これらの存在が、本当に人間の世界に入り込むことかできるかには、かなりの疑問もあります。しかし、今後の展望として、可能性としては、このような存在を、「集団ストーカー要員」として使うことで、よりリアリティを高め、恐怖と混乱を拡大するということも、考えておかなければならないことでしょう。

ただ、これは、彼らのようなネガティブな存在だけでなく、全体としての、「宇宙人と地球人との融合計画」ということに絡むことであり、微妙な問題が多くあります。述べることがためらわれる部分もありますが、しかし、既に、記事『「MIB」のその後』でも、このような方向性については示唆したことなので、次回にひととおり述べておくことにします。

ただし、改めて注意しておくと、まずは、これまで述べてきたように、「集団ストーカー」という観念とその戦略について、基本的なことを理解してもらうことが重要であり、先決です。何よりも、前回までの記事を、しっかり押さえておいてもらいたいと思います。

そのうえで、今後の展望の問題として、あえてそのような問題にも踏み込みたい方は、次回の記事も読んでもらえばいいと思います。

※ 「集団ストーカー」という言葉を使って、ことの全体を言い表そうとするならば、このように「集団ストーカー戦略」と呼ぶのがいいでしょう。その全体が徹頭徹尾「戦略」であり、「集団ストーカー」という言葉が使われること自体、「戦略」に含まれる、という意味をこめてです。

2018年3月10日 (土)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 4

「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」には、人間によるものを装いつつ、「捕食者」の、人間を貶めるための巧妙な手法が、明らかにされていました。この「ガスライティング」と同様、「捕食者」が、人間の心理を巧みについて、人間を支配し、貶める方法を明らかにしている、有名なものがあります。「ユダヤプロトコール」(または『シオン議定書』)と呼ばれるものです

今から、100年以上前、ユダヤの最高評議会で、ユダヤの支配に屈すべき多くの人間(ゴイム)をいかに支配するかということの協議がなされ、それを記録したとされるものです。ここには、その全文の翻訳があげられています。(http://urltv.634tv.com/sion.pdf

今では、旧ロシアの反ユダヤ勢力が、ユダヤ人を陥れるために作成した偽書とされていますが、単に、ユダヤを陥れるための作りごととは、とても思えないものです。その内容は、「ガスライティング」と同様に、人間心理を知り尽くし、巧みについた、説得力に満ちたものです。それは、「非人間的」な、徹底した戦略に貫かれたもので、「ガスライティング」の場合と、全く同質のものを感じざるを得ません。

つまり、人間の支配層によるという体裁をとっていますが、その実質は、「捕食者」による、人間支配のための戦略そのものなのです

一部分のみですが、興味深いものを、いくつか、引用してみます。

1 権力者たちに権力の濫用をさせるため、われわれは、すべての勢力をほしいままに独立させ、互いに相争わせた。このために、われわれはあらゆる企てを勧め、あらゆる党派を力づけ、権力を得ることをすべての野心家の目標にさせた。われわれは非ユダヤ人の国家を騒乱の競技場にした。もう少しすれば、暴動と破綻はいくらでも起こるだろう。     第3の議定書

2 われわれは時に応じ状況に従い、国政に対する世論を刺激したり鎮めたりできる。われわれはある時は真実、あるときはデマを流し、説得したり、逆用したりする。それは民衆がどう反応しているかを見て対応するのであり、事実に基づいて述べもするし、また事実否定もしなければならないのだ。   第12の議定書

3 我々が彼らに吹き込んだ科学の法則を信じ込ませて、疑わせないようしなければならない。このためにわれわれはマスコミを使い、理論に対する彼らの盲目的な信仰を高めるのである。非ユダヤ人のインテリは、その学識を誇りとし、理論的証明をしただけで、われわれのエージェントが集めておいたことにも気づかず、すべての学説を、われわれの必要とする方向に実行するだろう。    第2の議定書

4 彼らの思索力を隷属化させることは、すでに「視覚教育」と称する方法ではじめられている。この視覚教育の主な狙いは、非ユダヤ人をすべて脳を働かせただけでは物が考えられず、絵を見なければ何も理解できない従順な動物にすることである。
                  第16の議定書

5 彼らに事情をさとらせないようにするために、われわれはさらにマス・レジャーを盛んにする。やがて我らの新聞で、芸能、スポーツがもてはやされ、クイズも現れるだろう。これらの娯楽は、われわと政治闘争をしなければならない人民の関心を、すっかり方向転換させてしまう。     第13の議定書

1は、支配の対象を、互いに分裂させて、闘わせるという、いわゆる「離間政策」ですが、今も、いたるところで、なさています。この書自体、「ヤダヤ人」対「非ユダヤ人」の対立を煽るものと解せます。そして、まさに、今問題にしている、「集団ストーカー被害者」と「(病気として)排撃しようとする人たち」との争いにも、それが反映されています。つまり、「集団ストーカー」という観念を広めることには、このような人間同士の軋轢や葛藤を拡大させることも、意図されているのです。このようなことは、「捕食者」の、人間支配のための重要な戦略の一部であり、このことが、この文書には、はっきり書かれているのです。

2は、真実や虚偽を自在に交ぜて、情報を撹乱するということですが、これも、今もなされる、情報操作の主要な手口です。「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」の方法にも、このような真実と虚偽の混在が、みられます。「感覚レベル」では、彼らの実際の行いを反映する「真実」を含んでいながら、それを、人間によるものとして、全体として「虚偽」の方向に曲げられているのです。

3の「科学信仰」を吹き込むというのも、現在もいたるところでみられる、重要な戦略です。彼らが「集めておいた」データにより、「科学的」という体裁をとれば、多くの人が盲目的に従う可能性があるからです。また、これは、そもそも彼らの存在自体を隠せるものとして機能します。「集団ストーカー」もそうですが、「テクノロジー犯罪」となると、まさに、この「科学信仰」に寄せた解釈が目白押しです。それは、むしろ、「疑似科学」的ないかがわしさを醸し出しもしますが、そこに「真実味」を感じてしまう人も多くいるのです。

4、5は、人間の思考の矛先を、彼らの方に向かわせないため、想像力を減退させ、思考停止に陥らせるたための戦略です。「視覚教育」とは、テレビ、スマホ、ゲームなどによる、イメージ戦略で、まさに今、加速度的に進められているものです。4にみるように、大衆を、スポーツ、芸能などの娯楽に、のめり込ませるのも、その重要な要素であり、現にそうなっているものです。

いずれも、「ガスライティング」に負けず劣らず、説得的なもので、人間を超えたところから来るものをみないではいられないでしょう。

出口王仁三郎も、この「ユダヤプロトコール」について、「悪のお筆先」と評しています。大本教の「大本神諭」は、艮の金神の「お筆先」(自動書記により降ろされた書)として有名ですが、この「プロトコール」は、同様にして、悪の存在が「自動書記」により書かせたものということです。

ただし、書いた本人自身が、そのことを、意識しているかどうかは重要ではありません。本人が意識しないでも、アイデアとして吹き込まれるということは、いくらもあることです。また、この観点からは、「偽書」であるかどうかも、あまり重要ではありません。偽書であるとしても、その内容に、「真実」が含まれている限り、影響をもち続けるし、実際、その方が効果的な面もあるのです。

これらの戦略は、「プロトコール」のいうとおり、実際に、支配層としての「ユダヤ金融資本家」(古来のユダヤ人ではないですが)や、「捕食者」の僕である「悪魔主義者」を通して実現されるということは、確かにあるといえます。しかし、「捕食者」にとっては、それは必ずしも重要なことではなく、人間全体を支配・統制するための、手段の一つに過ぎません。

むしろ、その衝撃的で、説得力ある内容により、多くの人間に、恐怖と混乱を与えること。それを通して、人間同士の間に、様々な、軋轢や葛藤もたらすことが重要です。実際、ナチスのユダヤ人政策に大きな影響を与えているし、今も本物と思う人は多いのです。偽書ということでも、それは、「反ユダヤ主義」を貶めるなど、様々な影響をもたらし得ます。さらに、支配層や支配的な地位にいる人が、このような具体的な戦略を知って、改めて「悪用」するということも可能でしょう。

いずれにしても、 彼らの手口を明かすことによって、人間のものとは思えない、恐怖や嫌悪とともに、強力な説得力が、もたらされているのは、「ガスライティング」の場合と同じなのです。

言い換えれば、「ガスライティング」という方法もまた、「ユダヤプロトコール」と同様、彼らから「降ろされた」ものというべきものなのです。前々回みた、詳細な方法を説いている、『Gaslighting』という本や、「集団ストーカー」の場合の「ガスライティング」の方法をまとめたサイトなどは、彼らの、そのような働きを受けているものと思われます。本人自身は、摘発する意図でなしているのでしょうから、そのような意識はないにしてもです。

実際、「ガスライティング」には、一旦リアリティを感じれば、人を疑わせるだけのものがあり、そうなれば、人を疑心暗鬼の目でみるようになります。それだけでも、人と人の間に、多くの不和をもたらし得ます。ただでさえ、人と人の間が、ぎすぎすしている現代では、非常な効果を発揮します。さらに、実際に、他の人間を加害者とみなすようになれば、もっと多くの軋轢と葛藤が生まれるのは必至です。あるいは、そうでなくとも、その具体的に明かされている方法は、実際に人を陥れようと思った人の、「悪用」を可能にすることもあるでしょう。

このように、「ガスライティング」は、「捕食者」自身が、その手口を明らかにしつつ、単に、対象である本人のみではなく、多くの人間をも視野に収め、人間同士の間に軋轢や葛藤を拡大させるべく、広めさせているものです

そして、そのような出来事の全体を、「集団ストーカー」と呼ぶのもまた、重要な戦略なのです

第1回でみたように、「集団ストーカー」という言葉がもたらすイメージは、曖昧ではありますが、「集団によるストーカー行為」自体は、「人間的なもの」として、実際にあるものです。人間に身近なもので、「あり得る」ものとしてのリアリティは、この言葉によって、生まれているところがあります。人間同士の感情のもつれなど、人間の「機微」に関わるものだけに、不思議と人の心を捕らえ、魅惑される要素があります。

ところが、その実質は、みて来たとおり、「ガスライティング」という、「非人間的」なもので、「ストーカー」などという、人間的な機微からかけ離れた、冷徹なものです。全体を呼ぶ、「集団ストーカー」という言葉からは、もはや、イメージし難く、大きくずらされたものなのです

「集団ストーカー」という言葉は、「ガスライティング」という、毒に満ちた方法を包み込む、オブラートのような働きをしています。あるいは、毒薬を包む、糖衣のようなものと言ってもいいでしょう。

その関係を、図示すれば、次のようになります。

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「集団ストーカー」という「人間的」で、比較的近づきやすい言葉が、全体を包んでいますが、その実質は、「ガスライティング」という、「非人間的」、「オカルト的」なもので、人間によるものとしては、「あり得ない」ものです。「集団ストーカー」のイメージで、それに近づき、一旦、そこに捕らえられると、実質としての「ガスライティング」の世界に引き入れられ、もはや、容易には抜け出し難い、「地獄」的なものとなるのです。「集団ストーカー」という、いわば「あの世への入口」、それでは弱ければ、「煉獄」から入って、実際に案内されるのは、紛れもない「地獄」だということです。そのように、「誘導」されているのです。

あるいは、他の者にとっても、いきなり「ガスライティング」ということを前面に出されれば、それは、あまりにも信じ難く、嫌悪や反発をもたらすだけのものともなるでしょう。ところが、「集団ストーカー」というオブラートで包まれることで、それは、一応とも正面から露呈せずにいるのです。

もちろん、「集団ストーカー」という言葉が実質的に意味する内容を、実際に知った多くの人は、やはり、あまりにも信じ難く、嫌悪や反発をもたらすことになるでしょう。それは、当然の感覚ですが、そういう人も、何かのきっかけで、「ガスライティング」ということに、何らかのリアリティを持ち始めないとも限りません。それを、虎視眈々と狙っているのが、「捕食者」だからです。そして、そうなれば、もはや、その者自身も、それを疑い始め、そこに本物のリアリティを感じ、抜け出し難い地獄的世界へと引き入れられるかもしれないのです。

このように、「集団ストーカー」という観念そのものが、人をそれに捕らえさせ、人々に広めるための、巧妙な戦略に貫かれたものなのです
                     
この「捕食者」について、カスタネダのドンファンは、我々の「永遠の伴侶」と言っています。また、シュタイナーは、「アーリマン存在」についてですが、現代では、我々の生まれたときから、付き添い、生と死をつかさどる存在になっているといいます。我々の一人一人に、別々の「アーリマン存在」がついているわけではないでしょうが、一個の「アーリマン存在」が、多くの人を個別的に「管理」し、「支配」するまでになっているということです。

その「捕食者」とは、何度もみて来たように、本来、「集団」の背後にいて、「集団」を通して働くものです。

多くの「被害者」が、いくつかの巨大宗教団体や警察、公安、在日組織などの権力的な「組織」を、犯人としてあげているのも、その意味では理由がないではありません。それらの背後に働く、「捕食者」的なものを、直感的に感じとっている可能性があるからです。

しかし、今や、「捕食者」は、直接、個々の人間に「つきまとう」者ともなっています。まさに、「ストーカー」です。その意味では、「集団ストーカーは実在する」、ともいえるのです。もちろん、人間などを超えた、本質的なもので、誰にとってもの、逃れ難い「伴侶」としてですが。

次回は、簡単な補足と「集団ストーカー」についての今後の展望を述べておきます。

2018年3月 3日 (土)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 3

「集団ストーカー」という観念の実質的内容は、集団による「ガスライティング」という「悪魔的手法」なのでした。しかし、それらは、もはや、人間によるものとしては「あり得ない」もので、「非人間的」、「オカルト的」なものにまで拡大されています。

しかし、だからと言って、それは、まったく、(どんな意味でも)「あり得ない」もの、ということではありません。

実際に、「集団ストーカー」で意味するような、集団による「ガスライティング」という行いを、その本性そのものの現れとしてなすような存在、いわば、「天職」としているような存在はいるのです。「集団」で群れて、人間につきまとい、「人と人の間」から、人間の心理を巧みについて、さまさまな仕掛けをなし、錯誤や混乱に陥れて、精神的な崩壊を導くような存在です

「ガスライティング」が、「悪魔的手法」だというのは、決して比喩ではありません。それは、まさに、文字どおり「悪魔の手法」なのです。それは、人間を超えた位置から、人間の心理をつぶさに観察し、知り尽くすからこそ、できることなのです。

人間がそれを行うとしても、それは、あくまで、人間が「悪魔」から、受け継ぐ限りのものです。それは、「人間的なもの」によって、限界づけられ、どこまでも徹底することはできません。ところが、「悪魔」は、その本性そのものの発現として、徹頭徹尾、その行いを、冷徹に、一貫してなし得るのです。また、そのことによって、彼らの栄養源である、恐怖などの感情エネルギーが、継続的に得られているのです。

ここでいう「悪魔」には、そのような性質を有する、人間以外の存在を広く含み得ます。最も人間に間近の、いわば現場で働く「低級自然霊」、それを背後で指揮する「捕食者」(アーリマン存在)、さらに、他の星系に起源をもつネガティブな「宇宙人」などです。

いずれにしても、物理的次元を超えたところから、物理的次元にいる人間に、さまさまざな仕掛けをして来ます。彼らは、「テレパシー」によって、人間の思考を読むのは簡単ですし、人間に思考、感情を吹き込み、操ることもできます。あるいは、一時的に「憑依」して、何らかの行動をさせることもできます。さらに、「捕食者」や、ネガティブな「宇宙人」になると、「物質化」して、人間と同次元の物理的レベルから、何らかの行いを仕掛けることもできます。「共時性」の演出など、時間・空間の制限を超えた現象も起こせます。ネガティブな「宇宙人」においては、我々の想定を超える、「高度な技術」を用いて、その精度を高めることも可能でしょう。

このように、彼らにとっては、人間にとっては不可能であった、「集団ストーカー」にいう、「ガスライティング」という行いをなすことは、簡単なことなのです。また、それを、人間による行いのように見せかける(装う)ことも簡単です。というよりも、むしろ、まさに、そのように、自分らの本性そのもののような行いを、人間によるものと思わせることこそが、「集団ストーカー」ということで、最も意図されている、「ガスライティング」(陥れるべき錯誤)そのものなのです

私の統合失調的な体験を中心に述べた、本ブログの前半の記事も、彼らが、いかに、戦略的に、執拗な「ガスライティング」をしてくるかを、具体的に述べたようなものです。

つまり、「統合失調」の外的要因の多くも、また、彼らの「ガスライティング」そのものなのです。それは、概ね「声」という形で、直接的になされます。それは、本人が、そのような「声」を聞ける状況にあるからです。ところが、そうでない場合にも、彼らは、他の人間を操作するなど、背後から、物理的次元に働きかけることで、「ガスライティング」をなすことが可能であるということです。「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」こそが、それに当たるものです。

「統合失調」と「集団ストーカー」被害には、このように共通の要素があるのは、前回もみたとおりですが、そこには、状況に応じて、いくらか方法的な違いもあるということです。

いずれにしても、彼らの行いが、いかに「ガスライティング」に満ちているか、具体的にみるのには、地獄を含む霊界を探訪して、詳細に記録した、スウェデンボルグの記述を読んでみるのがいいと思います。以下、分かりやすく、抄訳され、編集されている、今村光一抄訳・編『スウェデンボルグの霊界からの手記(中)』(経済界)から、いくつか引用してみます。

争い、病気、不幸や不運、それにまた犯罪から自殺などなど、この世の凶事の多くは悪霊のなせる業だといっていい。悪霊はみな地獄とつながっている霊たちで、彼らは人間が気がつかないやり口で人間をそそのかし人間に不孝をもたらす。

突然、状況が変わり、霊が私に話しかけ始めた。霊は「いまお前が何を考えているかわかる」などといった。そして「なぜわかるのか?」と私が尋ねると「わかるはずだ。いまお前にそんな考えをせさていたのはこっちだからだ」と答えた。私は注意してよく見た。すると霊はひとりではなくたくさん私の周囲にやってきていた。霊たちはこのようなたくさんの者が集まってひとりの人間の考えに影響を与えたりすることもある。

霊とのつき合いを重ねるにつれ、私は後に街に散歩に出たときに自分の周囲に霊がついてきているのにも気がつくようになった。そんなときには、霊は私の買い物の選択にまで口出しするほどであった。私は霊に「街の様子や人々の話し声が聞えるか?」と試しに尋ねてみたりするほどになった。しかし、最初に「お前にそんな考えをさせているのはこっちだ」と霊にいわれたときにはやはりびっくりしたものであった。…このことからみても、霊の考えが人間の気づかないうちにわれわれの中に入り込んでいるのがわかるわけだ。

彼らがいかにしつこいかは、ここ数日の体験でよくわかった。彼らは、できればいつでも人間にまとわりついていたがる。また、彼らは体のあちこちに痛みも起こす。

悪霊は恐怖だけでなく、人の心をかく乱することで人間を不安にしたり、逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。彼らはこれを、たぐい稀な演技力や創作能力をフルにつかってやる。…彼らの演技力や創作能力でも特に目立つのは、うそやでっち上げを、自由自在にやることである。しかも、彼らは、そんなうそを本当らしく語るとか、ほかの者になりすまして人間をだますというテクニックにも長じている。

彼ら(悪霊の中の最も凶悪なタイプ)は、様々な手を使って復仇の「喜び」を果たすが、対象にした人間をひどい病気にしてその身体を破壊するぐらいでは満足しない。その人間の心まで狂わせて、人間に愚行や悪行を行わせる。その結果、狙われた人間は精神まで狂わされ、世間の非難を浴び、世の中から社会的に葬られるようなことにもなる。

悪の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。

これらは、「集団ストーカー」及び「ガスライティング」ということに関りそうなところを、一部のみ取り出したものなので、詳しくは、是非原文を読んでみてください。

いずれにしても、彼らがいかに、人間にまとわりついて、人間に「ガスライティング」そのもののといえる行いをなしているかが分かるでしょう。

人の心を読み、考えや行動を操作すること。演技力や創作能力で、人間を錯誤に陥らせ、恐怖や混乱を与えること。他の者になりすまして騙すこともできること。痛みなど身体的な影響も与えられること(これは「テクノロジー犯罪」との関わりでも重要です)。身体だけでなく、精神を狂わせ、崩壊を導くこと。集団で行動すること、などです。

但し、スウェデンボルグは、(当時のキリスト教の影響もあり)これらの「悪霊」を元人間であったと解していますが、このような強力な存在は、人間ではなく、「自然霊」とみなすべきものです。また、これらの記述は、今から250年ほど前のものであり、かなり素朴なところがありますが、現在では、現代に相応しく、もっと高度に、戦略的で組織化された方法がとられているというべきです。「捕食者」のような存在が、背後で指揮しているとすれば、なおさらです。

それは、既に述べたように、単純に、人間に対する「ガスライティング」がなされているというのではなく、人間を操作することで、人間によるものと思わせることが、中心になっています。「捕食者」の創出した、「集団ストーカー」という観念に沿うような形での、「人間による集団ストーカーの演出」ということです。それは、彼らの存在が、一般に認められなくなり、また、人間同士の共同体的な結びつきが崩壊した、現代でこそよく機能するものです。

ただし、人間によるものを装っているとしても、彼らが、実際に、「ガスライティング」における重要な要素を担っていることには変わりなく、感覚的レベルで、実際に、「ガイライティング」を受けているという「リアリティ」を生じさせているのは、彼らによる働きかけなのです

たとえば、「アンカリング」、「コリジョンキャンペーン」、「ほのめかし」など、前回みたような、様々な「ガスライティング」の方法においても、確かに、本人の「内心にあるもの」、「本人にしか分からない絶妙なタイミング」などを、偶然とは考えられない仕方で、ついてくると感じさせるものです。それらを、「人間による組織的な犯行」と受け取るのは、もはや「解釈」ですが、それ以前の、このような「感覚」そのものは、現実に生じさせられている可能性があるのです。

前回、「集団ストーカーのガスライティングは、一方で、説得力が吹き込まれるとともに、他方で、その恐怖は、オカルト的なものにまで拡大されている」と言いました。しかし、このように、これらの存在に、実際に働きかけられている場合には、その説得力は、感覚レベルにまで高められています。そして、同時に、その恐怖は、まさに「オカルト的なもの」そのものになっているのです。

ここにおいて、「集団ストーカー」という観念には、全体として、疑うことの難しいだけの、強力な「リアリティ」が植え込まれているということです。

ただし、このような彼らの働きかけは、この観念にリアリティを与えるため、常になされなければならないものというわけではありません。それは、すでに、何度もみて来たように、「集団ストーカー」や「ガスライティング」という観念が、一旦、強力に信じられるようになれば、その観念自体から、いくらでもそれに沿う「現実」が生み出されるような、仕掛けになっているからです。

「ガスライティング」ということ自体が、大きく曖昧さに開かれていて、そのような疑いのもとに周りをみれば、もはや、実際にはそうでなないものも、そのように受け取られ得るようにできているのは、前回みたとおりです。疑心暗鬼の疑い自体が、いくらでも、周りに「ガスライティング」をみるようにさせるということです。

さらには、記事『「恐怖心」が引き寄せる現象』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e6b5.html)などでみたように、恐怖などの強い情動とともに、この観念を強力に信じることで、それに沿う現実を、実際に「引き寄せる」ことも起こるのです。その観念に沿うような、偶然では説明できない「共時性」が、実際に起こり得るということです。

そのようなものは、もはや、これらの存在の働きかけによる効果ではなくて、本人自身が、自ら信じた観念から、生み出した効果になっています。

いずれにしても、まずは、この観念を信じさせること自体が、勝負であり、戦略の大きな部分を占めるのです。「ガスライティング」のような仕掛けは、それをなすため、要所要所で機能すれば、それで十分なのです。そうすれば、後は、自ら、その観念が作り出した、抜け出し難い、「地獄的現実」にはまり込んでくれるということです。それは、最小限の労力で、最上の効果をもたらす、高度に戦略的なものです。

そして、そのような効果こそ、全体を指揮する「捕食者」によって、最も狙われていることなのです。

このように、「捕食者」は、「自然霊」を背後で指揮して、実際にその感覚的リアリティを吹き込むとともに、「集団ストーカー」や「ガスライティング」という観念そのものを創出して、それらを「人間によるもの」として、広めようとしています。このような観念を広めることで、その真実味が増し、さらにそれを信じて、自ら地獄的現実に捕らえられる人が増えるからです。

このような観念を広めることは、一見、彼らの手口を明かすもので、彼らにとって損失になるように思われるかもしれません。しかし、それは何も、彼らの手口のすべてを明かすものではないし、それらを人間によるものと思わせる限り、彼らに損失はありません。むしろ、実際に、彼らの手口を含んでいるからこそ、それに説得力をもたらすのです。なぜなら、それは、人間の心理を巧みについた、まさに「真実」のものだからです。

このように、人間の心理を巧みについて、人間を貶める手口を明らかにすることで、強力な説得力をもたらしているものが、他にもあります。それは、「ユダヤプロトコール」(または『シオン議定書』)と呼ばれるものです。

それについては、次回に述べます。

2018年2月22日 (木)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 2

前回は、「集団ストーカー」という言葉に注目しました。今回は、実際に、被害者という人たちが、「集団ストーカー」による行為の方法としている、「ガスライティング」について、みてみます

「ガスライティング」とは、ウィキペディアでは、「心理的虐待の一種であり、被害者にわざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法」とされています。

具体的には、このサイトが、まとまった説明をしています。(「AGSAS」http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_GaslightingTheBook.htm)詳しく知りたい方は、是非参照してください。

「ガスライティング」という言葉は、映画『ガス燈』から来ています。そこでは、夫が妻を精神的に追い込むため、部屋にあるものの配置やガス燈の明かりに細工をして変えておき、妻がその変化を指摘すると、それは勘違いだと素知らぬふりをする、ということがなされています。妻は、その繰返しによって、自分自身の感覚がおかしくなったと思い込み、やがて本当に、精神を崩壊していくわけです。

要は、直接的な危害を加えるのではなく、ちょっとした仕掛けや振る舞いを繰返し行うことで、自分自身は疑われずに、本人自身の判断や感覚を誤らせ、遂には、自ら精神的に崩壊していくことを狙うといった方法です。陰湿で、姑息なやり方ですが、人間の心理を鋭くついた、巧妙な「悪魔的な手法」といえます。映画では、本人に信頼されていて、性格などの情報をよく知る、最も身近な人物こそが、犯人である点も、衝撃を誘い、恐怖をもたらします。人間の、日常における安心や信頼を、根本からつき崩すものだからです。

実際に、本人に警戒されず、その情報についてよく知る、身近な人物こそが、行いやすい方法と言えます。

これは一例ですが、人を精神的に追い込むための、「ガスライティング」という手法には、様々なものが考えられています。サイトも概要を述べているように、微に入り細を穿つような、詳しい方法を種々にとりあげた、『Gaslighting』という本もあります。大まかに言うと、映画同様、その者の車や身の周りの物に微妙な細工をして、日常感覚を喪失させる。ささやき、冷笑、秘密をほのめかすなどの行為により、妄想を構築させる。噂で評判を失墜させる。人間関係の対立を演出するなどの方法があげられています。

このような行為は、ストーカー的なつきまといを含みつつも、単なる「ストーカー」行為を超えた、明確に害意のある、「あくどい」ものです。「犯罪」と強調される所以です。人を精神的に追い込むために、それ自体は、あまり意味をなさない、細やかな行いを、ただ執拗に繰り返すのも、凄まじい執念です。が、もし本当に、これだけのことを本気でなされたら、確かに精神的に追い込まれ、崩壊してしまってもおかしくないという意味で、「説得力」があるものとは言えるはずです。

いずれにしても、前回みた「集団ストーカー」という言葉がもたらすイメージ以上に、具体的で、リアリティがあり、嫌悪と恐怖をもたらすものであることが分かるでしょう

そして、「集団ストーカー」の方法としていわれる「ガスライティング」というのも、このような行為を、個人ではなく、不特定多数の人の「集団」が、執拗になしてくるというものです。前回みた、「集団ストーカー」の場合と同様、個人的なものよりも、輪をかけて、嫌悪と恐怖をそそる発想です。ただし、後にみるように、それは、「集団ストーカー」の場合と違って、もはや「現実的」なものではあり得ず、「人間的」なものを超えています。

先のサイトでは、このような、「集団ストーカー」の方法としての「ガスライティング」についても、いくつか具体的な例をあげています。(http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_Glossary.htm

多くの人が、その人に、特定のある何ものかを意識させる振舞いをする、「アンカリング」(条件づけ)。多くの人が、絶妙なタイミングで、通行の邪魔をしてくる「コリジョンキャンペーン」。多くの人が、その人に、意味ありげで、大げさな演技をみせる「ストリートシアター」。多くの人が、その人の周りに、不自然に現われるという「付回し」。多くの人が、その人しか知らないはずの情報に関することを、ことさら言動でほのめかしてくる、「ほのめかし」。多くの人が、その人に何らかの「音」を仕掛けてきて、音に敏感にさせる「ノイズキャンペーン」などです。

これらは、サイトの管理人が、実際の被害報告をもとに、前述のような「ガスライティング」の方法と照らし合わせて、まとめあげたもののようです。

こういった、それ自体はあまり意味をなさない、ある意味滑稽なばかりの、行為の繰り返しを、多くの人の「集団」が執拗に行うことで、人を精神的に弱らせ、崩壊に導くというのです。

「ガスライティング」という発想を離れて、客観的にみれば、これらの、個々の行いは、先の個人的な「ガスライティング」の例にも増して、本当に、誰もが日常経験する、何でもないものであるのが特徴です。これらの行為は、一見、具体的なものであるようでいて、どのようなものも、それに当てはまると解し得るほどに、「曖昧さ」に開かれているということです。要は、受け取る側の受け取り方次第で、どのようにでも解釈し得る、ということです。

この曖昧さは、前回指摘したように、この観念には、常につきまとう、戦略的なものです。

ところが、それも、「ガスライティング」の発想からすれば、効果を狙って、意図されたこととされます。日常の何でもない行為を装いつつ、「アンカリング」や、絶妙なタイミングによる「コリジョンキャンペーン」、「ほのめかし」などによって、本人には、多数の者が嫌がらせをしてくることを、確かに意識させて、精神的に追い込んでいくとするのです。

いずれにせよ、実際に、それらを、「嫌がらせ」として捉えるのは、「被害者」である本人自身以外にはありません。多くの人は、そこに、統合失調の「妄想」、特に、外界に起こった出来事を、自分と関係づけてしまう、「関係妄想」をみることは容易でしょう。特に、「ほのめかし」などは、統合失調の妄想に、典型的にみられるものです。実際、これらは、被害報告をもとにしているので、そこには、統合失調的な「妄想」が、入り込んでいる場合は、相当にあるといえます。

しかし、「ガスライティング」という方法では、このような嫌がらせを続けることで、まさに、「統合失調的な妄想」を構築するように仕向けるというのです。そして、サイトもいうように、遂には、誰かに相談したり、周りに窮状を訴えるなどして、それは「妄想」だと言われることによって、本人もそう思い込むことが狙われるとするのです。 

このように、明らかに「統合失調」的な内容を含みつつ、そのような反応をしてしまうこと自体が、仕向けられたものとするのも、「ガスライティング」という発想の、巧妙なポイントです

多くの者に、反論され、「妄想」と言われること自体が、その方法の正しさを根拠づけるように、機能してしまうからです。

このように、「ガスライティング」という発想は、人間の心理をついて、巧妙に練られたものであり、嫌悪や恐怖を伴いつつも、一定のリアリティと説得力を感じさせるだけのものなのです。それは、かなりの人の心を捕らえる可能性があるし、ましてや、被害妄想的な傾向のある者や、統合失調的な体験のある者にとっては、それを強く信じさせるだけの、強力な威力を発揮し得ます。

「集団ストーカー」という観念に、リアリティをもたせているのは、一つは、前回みたように、「集団がストーカー行為をする」こと自体は実際にある、ということでした。しかし、本当に、具体的なレベルでリアリティをもたらしているのは、この「ガスライティング」という、人を貶めるための、人間の心理をついた、巧妙な手口なのです。このような方法に、リアリティを感じて、そのような疑いのもとに、外界の出来事をみるようになれば、多くのものが、それに当てはまると受け取られる余地が実際にあるのです。

しかし、同時に、この「集団によるガスライティング」には、既に述べたように、「現実的」、「人間的」なレベルを大きく超えたものが、醸し出されています。「集団がストーカー行為をすることは実際にある」、というのと同じ意味で、「集団がガスライティングをすることは実際にある」、などとは、もはや簡単には言えません。

実際、本人も、「ガスライティング」として受け取ったとしても、心底納得できず、謎めいた、不可解なものを残すのは、必然です。それは、まともにみる限り、もはや、人間的な動機に基づいた、人間の行いである「ガスライティング」ということを、超えているのです。言い換えれば、「非人間的」で、「オカルト的」と言っていいものにまで、拡大されているのです。まさに、「統合失調」の場合と共通の要素です。

単純に言っても、このような行為を、本人とは、直接の関係も動機もない多くの者が、ただ精神的に追い込み、崩壊させるために、執拗に繰り返すとは、その執念も、技術も、人間のものではあり得ません。実際、多くの場合、数年にわたって、このような行為が、毎日のように繰り返されるというのであり、それでも、精神を崩壊させるまで、延々と続けられるというのです。

『コリジョンキャンペーン』にいう、「絶妙なタイミング」というのも、本人にとっては、自分にだけ分かる感覚として、強い衝撃であり、それが事実であることを信じさせる大きな理由です。ところが、具体的に、多くの人間によって、この「絶妙なタイミング」を実現するためには、本人の行動に向けた意志をリアルタイムで知るだけでなく、それをリアルタイムに、多くの人間による嫌がらせの行動に反映させる必要があるのです。

それで、多くの場合、思考を読み取るなどの、一般には認められない「高度の技術」が持ち出され、「テクノロジー犯罪」との関連がいわれます。が、たとえそのような技術を持ち出したとしても、実際に行うのは人間であり、本当に具体的なレベルで、このような行為を、多くの人に、長年にわたって、実現させることなど、現実には無理なことは明らかなのです。

いずれにしても、一方で、「リアリティ」と「説得力」があるという「ガスライティング」ですが、他方で、集団的なものにまで拡大されるときは、非現実的で、非人間的なものとなります。そして、それがむしろ、「オカルト的」といっていいような、謎めいた恐怖を拡大することにもなるのです。

実際、そのどちらもが、「集団ストーカー」という観念にとって、大きな効果をもたらします。一方で、自分が「ガスライティング」を受けているということに、説得力とリアリティが吹き込まれ、他方では、その恐怖が、「非人間的」で「オカルト」的なものにまで、拡大されているのです。そして、そのような、恐怖は、実際に、出口のない、袋小路のような状況をもたらします。

それは、「集団ストーカー」という観念にとって、実質的な要素である、「ガスライティング」という観念がもたらす効果ということです

実際には、その実質は、出来事の全体を「集団ストーカー」と呼ぶことによって、巧妙に覆い隠されているのですが、それについては、次回にでも述べます。

また、次回は、実際に、「ガスライティング」のような行為を得意とする、というより、このような行為が、その本性そのものの現われであるような存在がいるということ。それが、「集団ストーカー」という観念に、感覚的レベルで、実際にリアリティを吹き込んでいるということ。さらに、その背後には「捕食者」(アーリマン存在)がおり、「ガスライティング」や「集団ストーカー」という観念を創出して、広めること自体をも目論んでいることを述べます。

2018年2月 8日 (木)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 1

「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」の問題については、既に十分述べました。むしろ、述べ過ぎて、要点がぼやけたかもしれないので、近いうちに、記事と関連づけて、まとめをするつもりです。

ただ、改めて言うべきは、これらの問題は、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という観念自体がもたらす部分が大きいということです。前提となる、個々の「事実」に何らかのものがあったとしても、これらの「観念」を信じてしまったこと自体から来る部分の方が、大きいということです。

それだけ、これらの観念には、人の心理をついた、巧妙なものがあり、人々を捕らえてしまうのも、無理からぬところがあるのです。しかし、一般の多くの人には、なかなかそのあたりが、理解できないと思います。「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」など、根拠のない、妄想じみたもので、ただ「おどろおどろしい」だけと思っている人が、多いはずだからです。

そこで、今回から何回かにわたって、少し踏み込んで、これらの観念を、基本的なところから、問い直しておきます。ただ、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」について、これまで述べたところを、一々繰り返さないので、少なくとも、記事『 「集団ストーカー」という厄介な問題 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9e9f.html)、と『「テクノロジー犯罪」という発想 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-4691.html)くらいは、読んでおいてもらいたいと思います。

まずは、「集団ストーカー」について、「集団ストーカー」という、言葉自体に注目してみます

「集団ストーカー」とは、「集団」でなされる「ストーカー」ということです。

「集団」という言葉も、「ストーカー」という言葉も、かなり曖昧で、漠然としたものです。「集団」という曖昧なものが、「ストーカー」という曖昧な行為をしてくるということです。そこでは、曖昧さが、重ね合わされています。この曖昧さは、後にみるように、この観念に、常につきまとうものです。まずは、それこそが、この観念に、広く「事実」を包み込むための、風呂敷のような役割を与えていることを、指摘しておきます。

とはいえ、この言葉は、一応の意味を指し示してはいます。

「ストーカー行為」とは、本来、非常に私的で、個人的なものです。それは、ある者が、恨みや、妬み、その他の個人的な感情に基づいて、ある者につきまとい、しつこく、迷惑な嫌がらせ行為をするといったものです。普通は、恋愛感情のもつれに伴って、男女間で行われることが多いでしょう。

何しろ、「ストーカー行為」は、一旦は、好意をもち、近い関係になった者に、裏切られたと感じることなどによる、人間らしい、「アンビバレントな感情」がもとになっています。そして、そのような感情は、後を引き、それに基づく行為も、歯止めが効かず、とことんエスカレートする可能性があります。そのような厄介な感情、そして、(実際に行うかどうかは別にして)それがそのような行為につながりやすいこと自体は、多くの人にも、了解できるものです。

「ストーカー行為」とは、まさに、人間のどうしようもない、「暗部」を象徴する行為であり、「あまりに人間的」な「機微」そのものとも言えるでしょう。それだけに、多くの人に、嫌悪感と、「現実的な」恐怖をもたらします

ところが、「集団ストーカー」とは、そのような「ストーカー行為」を、特定の個人ではなく、人の「集団」がなすというのです。「集団」というのは、曖昧ではありますが、何しろ、人の多数の集まりであり、何か組織のようなつながりを、思わせるものです。

記事『「集団ストーカー」という厄介な問題」や『映画『激突』と「集団ストーカー」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-a8e7.html)でもみたように、現代人は、かつてのような共同体的なつながりを失い、互いに切り離された、孤立する個人となっています。このように孤立する、無力な個人にとっては、つながりをもった集団というのは、何か恐ろしい、圧力として、のしかかってくるものともなります。特に、普段から、集団との折り合いがよくない人にとっては、そのように意識されることでしょう。

通常の、個人的な「ストーカー行為」でも、十分、人を嫌悪させ、恐れさせます。ところが、それを、このように、個人にとっては、大きな圧力となる、人の集団がなして来るというのですから、それに輪をかけて、人を恐れさせるものでしょう。

そして、実際に、人の「集団」が、何らかの「ストーカー行為」を行うということ自体は、いくらもあることなのです(記事『「集団ストーカー」という厄介な問題 』でも述べているとおりです)。

実際に、そのような事件はありますし、表ざたにならないものを含めれば、限りなくあると言えるでしょう。それには、特定の個人が、個人的な感情に基づいて、多くの人を使うことによって、「ストーカー行為」をなすという場合もあるでしょう。しかし、「集団」といえども、人間の集まりであり、その集団が、ある者に対して、同じ感情を共有するということは、いくらもあります。「集団」そのものが、その共有された感情に基づいて、ある者に、「ストーカー行為」をなすということもあるのです。

特に、日本では、個人より、集団が重視され、その力も強いので、そこからはみ出すとみなされた者は、集団によって疎まれ、ストーカー行為の対象とされる可能性があります。表立った、直接的な言動より、間接的で、遠回しの(陰湿な)言動が好まれる日本の習慣からも、こういうことは、起こりやすいと言えるでしょう。

会社や学校で、普通にみられる「いじめ」も、広く解釈すれば、そのようなものに含み得るでしょう。中でも、やくざや宗教団体など、集団の結びつきが強く、運命共同体のような組織では、一旦裏切り者のようにみなされた者は、ストーカー行為の犠牲になる可能性も高まるでしょう。

まずもって、「集団ストーカー」という言葉ないし観念が、指し示し、一般に、イメージを喚起するような、意味合いのものは、このような、「集団によるストーカー」ということです。

漠然としていて、明確ではないながらも、決して、非現実的なものではなく、実際に、具体的にみる限り、「いくらもある」といえることなのです。こういったことが、この観念に、嫌悪感や恐れを伴いつつ、一定の、リアリティをもたらしています。

そして、そのことこそが、出来事の全体を表すのに、「集団ストーカー」という言葉が選ばれている理由なのであり、巧妙さの一つなのです。

実際、この観念が、意図するのは、まずは、そのように、漠然としていながらも、一定のリアリティを伴った、「恐ろしさ」を喚起することです。そして、実際に、自分も、そのような行為をされているかもしれないと思わせることです

しかし、本来の個人的なストーカーもそうですし、集団によるストーカーというのも、それらは既にみたように、ある、感情的な動機がもとになっています。だから、何らかの集団によって、特に根にもたれるような動機に、身に覚えがないなら、ストーカー行為のような、執拗な行為をされる理由はない、と考えるのが普通でしょう。

しかし、現代のような複雑な社会では、人間がどんな理由で、ストーカー行為に結びつくような、感情的動機をもつかは、必ずしも、みえにくくなっています。人によっては、まったく思いもかけぬ理由で、そのような動機をもつこともあるでしょう。映画『激突』も、まさに、そのような、主人公にとっては、不可解で、理不尽な動機で、強烈なストーカー的つきまといを受ける、といった内容のものです。

そして、それが、集団となると、個々の人には、予測のつかない、組織としての利害や理由から、そのような行為がされることもある、と思わせることにもなるでしょう。

さらに、もともと被害妄想的な傾向があったり、いじめなどに会いやすく、集団との折り合いがよくない人などは、物事をその方向で解釈しがちですから、集団にストーカー行為をされる何らかの動機などは、いくらでも思いつくことができるでしょう。

このように、「集団ストーカー」という言葉が、リアリティをもって受け止められるなら、本来伴うはずの、感情的動機などは、必ずしも、明確にみつからなくとも、それに当てはまるような事実を、思いつくことは、十分可能なのです。

そして、そのリアリティは、「集団ストーカー」という言葉が、広く多くの人に行き渡るようになればなるほど、増していきます。現代では、この言葉は、検索してみれば分かるように、ネット上に十分広まっているので、それを通して、リアリティを感じる人が多くなっても、不思議ではありません。

そういうわけで、まず今回は、「集団ストーカー」という言葉が一般に指し示す、イメージと意味合いについて述べました。この、曖昧でありながら、イメージを喚起し、恐れを伴った、不思議なリアリティをもたらす言葉自体に、戦略的な意図があるということです

しかし、実際には、このようなものでは、具体的レベルで、本当に自分に起こっている出来事として、受け止めるには、あまりに漠然とした、「抽象的なもの」であり過ぎるというのも、事実です。これだけのことで、かなり多くの人を、本当に信じ込ませるだけの力をもつかといえば、そうではありません。

実際、ネットを中心に、その被害者と称する人たちで、言われている「集団ストーカー」というのは、このような抽象的なものではなく、もっと具体的な方法によって、特色づけられたものです。

その方法は、「ガスライティング」といわれるものです。そして、この「ガスライティング」こそ、「集団ストーカー」という漠然たるイメージに、本当の、嫌悪や恐れ、そして同時に、具体的なレベルで、説得力とリアリティをもたらしているものなのです。

それについては、次回に述べることにします。

2018年1月24日 (水)

『言ってはいけない』/遺伝の問題

「遺伝の問題」は、私自身、これまであまり正面から述べることがなかった問題なので、この機会に少し詳しく述べています

前回の記事のコメントで触れていますが、橘玲著『言ってはいけない』(新潮新書)という本を、読んでみました。

「遺伝」の問題を扱ったもので、最近の「行動遺伝学」の研究によれば、人間の身体的条件だけでなく、知能や行動、性格、さらに精神疾患を含む精神的な要素(「こころ」)も、環境より遺伝による影響が強いことを説いているものです。

(この「知能や行動、性格、さらに精神疾患を含む精神的な要素(「こころ」」というのを、以下「知能等」と略します)

これまで、遺伝の問題は、差別や優生思想と結びつきやすいこと、努力を否定することにつながりやすいことなどから、タブー化されている(「言ってはいけない」ことになっいる)面が、確かにあったといえます。多くの人にとって、知能等には、遺伝の要素があるとは思いつつ、それには触れず、環境や努力の問題として、扱うことの方が望まれていたということです。

この著書が、読まれているのも、このような見方からすれば、これらの研究は、センセーショナルに響くところがあるからでしょう。また、本書のように、このような研究を紹介する本が、センセーショナルな効果を、あえて狙っている面もあるでしょう。

しかし、気づかれてはいたとおり、これら、人間の知能等であっても、遺伝と無関係などということはなく、遺伝と環境の相互作用を受けることは、当然というべきです。そもそも、遺伝と環境の影響の一方を度外視して、他方だけで、説明しようとする方が、無理というものです。

私も、「統合失調」についてですが、記事『狂気(統合失調症)の「原因」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-3f75.html)で、内的、外的の様々な「要因」をあげています。この中で、もともとの「内的要因」としてあげたものは、遺伝と強く関わるはずのものです。「脳の脆弱性」はもちろん、「分裂気質」や「霊媒体質」というのも、具体的な物質的基盤は不明ですが、遺伝との関わりが強いとみられます。要するに、統合失調なら、統合失調の「なり易さ」という点には、遺伝の要素が強く働くと思われるのです。それが、環境との関係で、具体的な発現をもたらすことになるわけです。

このような「なり易さ」と具体的な発現ということは、人間の知能等のあらゆる場合に、言えるはずのことです

しかし、最近の「行動遺伝学」の研究は、遺伝と環境の相互作用としても、「遺伝率」の方が高いことを示しているのであり、それは、やはりセンセーショナルな事実に変わりない、という見方もあるでしょう。

この点については、私は、後にみるとおり、「行動遺伝学」の方法自体に、多分に疑問があり、文字通りには受け入れることはできません。また、このような結果は、現代の、知能等の問題に、適切に対処する方法を欠いている、画一的な社会状況だからこそ現れる、という面もあると思います。

しかし、そのような現代の社会状況を前提にして、非常に「大まかな傾向」としてみるならば、恐らく、知能等に、環境より遺伝の要素が強く働くというのは、間違いではないのでしょう。

ところが、問題は、このように「遺伝」が強調されることで、今度は、「遺伝がすべて」であるかのように、逆の方向に揺れることが、予想されることです。あるいは、「優生思想」的な発想をしていた人は、これ幸いと、この研究を、自分の発想と結びつけて、その根拠とすることでしょう。「遺伝」の問題がタブー化されていたことの、「反動」のような現象が、起こり得るということです。

何かある問題を、「遺伝のせい」にして済ますということは、「責任」や「努力」の問題を考えないで済み、「魅力的」なことではあるのです。これは、犯罪や精神疾患のような、一般に「マイナス」とみなされる事柄に顕著です。そして、その延長には、どうしても、その「遺伝要素」を、技術の力を借りて、物理的に改変または排除すればよいという、「優生思想」的な発想がもたらされることになります。

しかし、こういった問題は、(これは著者も指摘していますが)遺伝か環境かの問題から来るのではなくて、もともと、精神疾患なら精神疾患を、「悪しきもの」、「排除すべきもの」と決めつける見方の方にあるのです。このような見方では、問題が遺伝であろうと環境であろうと、それを「取り去る」、「責任を押しつける」という、短絡的な発想にならざるを得ないからです。

そして、このような見方は、記事『「精神医学」と「オカルト」的なもの 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-6b32.html )でもみたように、近代以降に顕著になったもので、「オカルト的」なものを、「排除すべきもの」とみる見方と、分かち難く結びついているというのが、私の立場です。

しかし、とりあえず、ここでは、それはおくとして、「遺伝と環境の問題」で言うならば、「遺伝」と「環境」のどちらかを強調して、一方を顧みないことが、問題をこじらせるのです。だから、このような研究は、「遺伝」を強調したというよりも、これまで等閑視されがちだった、遺伝の要素を取り戻して、人間の知能等の問題は、「遺伝と環境の相互作用による」という、本来、当然そうであるところに引き戻したもの、と受け取るべきでしょう。

以下、「行動遺伝学」の方法についての疑問というのを、簡単に述べます。(現段階でのもので、後にこの研究をよく知れば、解消する可能性はあります。)

「行動遺伝学」は、遺伝子が同一である、一卵性双生児の知能等の現れを、環境の違いによって、違う現れをするかどうかを、統計的に分析することに基づいています。

一卵性双生児は、遺伝子が同一としても、普通は育ての親も同じなので、遺伝の影響か環境の影響か、区別は困難です。ところが、最近は、双生児の一方が養子に出されて、育ての親が異なる事例も多いので、その場合を統計的に分析することにより、遺伝か環境かの区別ができるというわけです。

しかし、そもそものレベルでいうと、既にみたように、「遺伝」と「環境」の作用は、分かち難く結びついているのに、その影響として、どちらかを、厳密に取り出すことができるのかということがあります。

また、分析のもととなる、「知能等」という結果の評価は、社会や文化に影響を受ける、曖昧かつ主観的なものなのに、それを前提にして、正確な分析ができるかということがあります(「精神疾患」などは、その最たるものです)。

しかし、それはおいても、大きな疑問は、遺伝子が同一である一卵性双生児であれば、育ての親による違いが結果として現れない場合であれば、すべて、「遺伝要因」に含めてよいのかということです

たとえば、育ての親が違う場合でも、地域や文化などによって、育て方その他の環境が共有される場合はいくらでもあります。既にみたように、知能等に対処する適切な環境が整っていない、現代のような画一的な社会状況では、そのような場合は多いと言えるでしょう。その環境が、知能等に及ぼす大きな要因となっている場合でも、それが共有されてしまっている場合は、統計的には「違い」として現れないはずです。そのような場合、それは、統計上、遺伝の方に含まれてしまうのではないかということです。

さらに、著者もあげている、胎児期に影響を受ける、鉛のような金属や、その他の外部的、物質的な、環境要因の場合には、なおさら、このことが言えます。これは、ある地域や、場合によっては、広く全体として共通の環境要因となります。ところが、統計的には、育ての親による違いとして現れなければ、遺伝要因に含まれてしまうことになるのではないでしょうか。しかし、このような、外部的、物質的な環境要因は、知能等に与える影響も、少なくないはずなのです。

もう一つ、これは、オカルト的な「禁じ手」ともいえますが、一卵性双生児が、同じような「運命」をたどりやすいのは、遺伝要素だけでなく、(テレパシーその他のオカルト的要素も含む)お互いの強い結びつきによるのではないか、ということもあります。

とりあえず、こんなところですが、要は、このような統計的方法によれば、環境より遺伝の影響と判断される場合が、実際より多くなってしまうはずだということです

たから、その意味でも、それを差し引いて、「遺伝と環境の相互作用による」という、本来、当然のところに引き戻して受け取れば、ちょうどよいことになるはすです。

最後に、「統合失調」の場合ですが、実際に、精神医学の方面で、「遺伝要因」として、どのようなことが考えられているかについても、簡単にみておきましょう。

岡田尊司著『統合失調症』(PHP新書)によれば、遺伝要因は、確かに認められているのですが、それは、「遺伝子多型」とよばれる、多様な遺伝子の、複雑な相関関係によります。つまり、何か特定の一連なりの遺伝子を、要因として、取り出すことができるわけではないのです

だから、遺伝の問題として、それを改善なり、排除しようとするとしても、そんなことは、今のところ(恐らく今後も)不可能に近いものです。統合失調の「遺伝子多型」は、濃淡はあるにしても、非常に多くの人間に広がっているので、本当に、改善なり排除しようとすれば、それら多くの人間の遺伝子を、根こそぎ改善なり排除しなければなりません。

ところが、それら「遺伝子多型」は、統合失調だけでなく、他の面に作用するものも含まれるはずで、それらを変え、または取り去ってしまえば、他の面にも多くの影響が出るはずです。

実際、それらの遺伝子が、これだけ残っているということは、それらが、決して、進化史上、マイナスのものではなかったことを示しています。

それらを、マイナスのものとみる見方は、近代以降に顕著になったのであって、それ以前はそうではなかったことを考えれば、それも当然でしょう。

そういうわけで、たとえ、遺伝の問題を強調したり、優生思想的な発想を押し進めるとしても、実際には、そのような要因を、改善したり、取り除くことは、できないことなのです。

もっとも、そのようなことを強調する人は、 それを強調することの「イデオロギー的な効果」に、意味を見い出しているのであって、実際に、それを改善したり、取り除くこと自体に、興味があるわけではないのでしょうが。

2018年1月 9日 (火)

本年の予定と昨年のぺージビュー数トップ5

今年は、国際情勢や、このブログでも扱っている、宇宙人関連、集団ストーカー関連の出来事などでも、かなり大きな動きがあると予想されます。いろんな意味で、覚悟が必要な年になるでしょう。

まずは、本年の今後の予定についてざっと述べます。

1  まず、ブログ記事で、「集団ストーカー」と「テクノロジー犯罪」という「観念」について、基本的なところから、問い直しをします。

「集団ストーカー」と「テクノロジー犯罪」の問題は、これらの「観念」自体がもたらす部分が大きいのです。個々の「事実」は、何らかのものがあるとしても、この「観念」を信じてしまうことから、問題が大きく膨らんでいるということです。それは、もちろん、この観念が、それだけ巧妙に、人々を捕えるべく、練り込まれたものだからです。このことは、既に、何度も指摘して来たことですが、改めて、基本に溯って、問い直すことをしたいと思います。

これは、何度かにわたって、じっくり、行うつもりです。

2  「狂気をくぐり抜ける」という本来のテーマについて、徹底的に分かりやすく、まとめ直した、ホームページを作る準備にとりかかります。

これまでにも、触れてきましたが、なかなかとりかかれなかったので、今年は、是非とも、これを行いたいと思います。

本ブログ記事も、「分かりやすく」述べているつもりですが、一般の方にとっては、とっつきにくく、難しいと感じる部分も多かったと思います。また、記事の順番も、必ずしも系統的なものではなく、内容も多岐にわたっています。ホームページでは、これらを解消すべく、「狂気をくぐり抜ける」というテーマに絞って、系統的に、極力、誰でも分かるように、述べます。

「明解」で「分かりやすい」ことは、必ずしも、いい面ばかりでなく、他の側面やニュアンスを削ぎ落としたり、込み入った領域には触れられなかったりの、犠牲にする面も多いと思います。しかし、そのような面は、本ブログと読み合わせることで、補うことができるはずです。

3  「オカルトの基本を学ぶ」というテーマの、新しいブログを開設します。

私の立場は、「統合失調」にしても、「集団ストーカー」にしても、これらの問題は、「オカルト」の領域に大いに関わっているということです。そして、「オカルト」に関わる部分に、何らかの理解がつかない限り、「謎めいた」ものであり続け、本当に、納得することは難しいということです。しかし、一般には、「オカルト」的なものが、認められないか、あるいは、知られていないため、このような見方は、ほとんど顧みられることがありません。

「統合失調」や「集団ストーカー」を、「病気」とみる立場にしても、文字通りの「(人間による)組織的犯罪」とみる立場にしても、このことが当てはまります。

そこで、「オカルト」的な領域について、基本から、分かりやすく、「学ぶ」ということを、新たなブログで、行いたいと思います。単に、旧態依然の見方を示すのではなく、それを、現在に問うことの意味を明らかにしつつ、現在の状況にふさわしい仕方で、なしていきます。「統合失調」や「集団ストーカー」に関わるものだけでなく、広く、「オカルト」的な領域を、テーマにします。

なお、「学ぶ」とは、私自身、新たに、「学び直し」、「整理をする」ということでもあります。

次に、2015年にもあげていました(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-4f4b.html)が、結構変化があるので、昨年のブログ記事のぺージビュー数トップ5もあげておきます。

1 「量子力学の観測問題」と「意識」1 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-c0a9.html
2 「「集団ストーカー」という厄介な問題」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9e9f.html
3 「「次元降下」して地球に生きる「金星人」」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-873a.html
4 「「超能力」「気」と「量子力学」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-d1d8.html
5 「「幻聴」の特徴、性質が知れ渡ること 」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-bcdc.html

1,4の「量子力学」関係は、(非力も顧みず)結構力を入れて書いたので、読まれているのはうれしいことです。物理学関連の書では、「意識」との関係は、ノイマンやウィグナーの説がとりあげられることはあっても、まともに考察されることはないので、こういう取り組みがもっと広まってくれればと思います。

5も、「統合失調」という問題に関して、非常に重要なことを述べたものなので、新たに読まれるようになったのは、うれしいことです。

2017年12月27日 (水)

米メディアの報道記事2つ

今回は、米大手メディアでとりあげられた、2つの報道記事について述べます。

一つは、「UFO」について、もう一つは、「集団ストーカー」(ギャングストーカー)についてです。

なかなか、大手メディアではとりあげられないテーマだけに、貴重といえます。

1  ニューズウィーク日本版   記事 「米国防総省の極秘調査から出てきたUFO映像」
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/ufo.php

  アメリカ国防総省が、UFOの極秘調査・研究をしていたことを暴露する記事で、米軍機の撮ったUFOの映像も掲載されています。朝日他、日本の新聞でも、報道されました。

国防総省は、これを認めつつ、2012年で調査を打ち切ったと回答しているようですが、記事も言うとおり、その後も続行していることは、明らかです。

そもそも、アメリカ政府は、公式には、1969年、プロジェクトブルーブックというUFOの調査・研究機関を、「国家の安全に対する脅威とは認められなかった」「地球外から飛来するという証拠はみつからなかった」という理由で、閉じたことになっています。しかし、それは表向きの発表で、実際には、その後も、秘密裏に、調査・研究を続けていたことが明らかになりました。再び、それを止めたなどと回答しても、それが、前回と同様、全くのウソであることは、明らかと言うべきです。

もちろん、UFOの調査・研究をしていることは、地球外起源としてのUFOを認めたことにはなりません。しかし、閉じたとウソを言ってまで、また、これだけ長い間、UFOの調査・研究を続行していること自体、実際には、それを認めているも同然のことと言っても過言ではないでしょう。

今回の出来事は、UFOに関する情報が、全て公開されることからは、ほど遠いですが、それでも、そのような公開の動きが、少しずつ現実化することの、兆候とは言えると思います。今後も、今回のように、「小出し」にではあり、また、必ず、否定できる余地を残した形でではあるでしょうが、徐々に、このような情報が出されて行くことになるはずです。

UFO情報の公開といえば、記事『「公開プロジェクト摘要書」について 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-2f57.html)でもとりあげた、スティーブン・グリア博士の「公開プロジェクト摘要書」が、書籍化されて発売されています。(『ディスクロージャー: 軍と政府の証人たちにより暴露された現代史における最大の秘密』ナチュラルスピリット)

軍関係者や、UFO関連の秘密計画に携わった者の、証言をまとめたものです。かなり膨大な量ですが、私は、ネット上で、ほとんどすべてに目を通しました。今回の書籍は、これとは別に、さらに詳しい内容で、新たな情報も収められているということです。

2 インターナショナル・ニューヨークタイムズ 記事 「妄想症のアメリカ:ギャングストーカーが見える」
(https://www.nytimes.com/2016/06/11/health/gang-stalking-targeted-individuals.html?_r=0) (翻訳の掲載 https://tekunoroji-hanzaihigai.jimdo.com/%E6%8F%90%E4%BE%9B%E6%83%85%E5%A0%B1/)

翻訳の掲載は、何と、テクノロジー犯罪・集団ストーカーの被害者団体のサイトにあるものです。この翻訳が正しいかどうかは、分かりませんが、大体の意味を伝えていると思います。このサイトが、どういう趣旨で、とりあげているのかも不明ですが、恐らく、大手メディアが、「集団ストーカー」のことをとりあげているということ自体を宣伝したいのでしょう。

しかし、記事の内容は、明らかに、「集団ストーカー」の被害を訴える人にとって、都合の悪い内容です。

要するに、記事は、「集団ストーカー」というものを信じ、それを糾弾する人たちが、これほど多くいるということを伝えるもので、そのことに驚き、憂えるものです。このような人たちが、追い込まれて、加害者と認定した、多くの人を殺すような事件も、現実に起こっていることにも触れられています(記事では、ワシントン海軍造船所で12人が殺害された事件)。

このように信じる人たちの誤りを、説得するサイトが見当たらないことにも、驚きが示されています。「病気」の可能性が高いという、精神科医の意見も載せられています。

私は、全体的に、一般向けの報道として、的確なとり上げ方をしていると思います。

「集団ストーカー」そのものは、「観念」または「解釈」であって、「事実」ではないですが、「集団ストーカー」というものを信じ、それを糾弾する人たちが、多くいるということ自体は、紛れもない「事実」なのです。しかも、それは、記事が示しているように、世界的な現象なのです。そして、「集団ストーカー」を「犯罪」ということは、それを信じる人たちだけの「憶測」(あえて「妄想」とは言いませんが)ですが、近所の人や誰かを「集団ストーカー」と断じて、殺人その他の事件を起こしているのは、紛れもない「事実」なのです。

「事実」のレベルで、この問題を捉える限り、「集団ストーカー」を信じる人たちが、これだけいるということを憂えるのは、当然の感覚だと思います。

ただ、私は、この現象について、精神科医の意見ばかりを載せていることは、残念だと思います。「集団ストーカー」という、目新しい現象について、もっと広く、多様な領域の人たちの、意見を聞いて、載せるべきではなかったかと思います。

いずれにしても、もはや、「集団ストーカー」という問題は、一般にとっても、放っておいていい問題ではなくなっている、ということが言えるはずです。

私は、支配層や捕食者的な存在は、「集団ストーカー」という観念を、宣伝して、多くの人に行き渡らせ、いかにも、人にふりかかった「不幸」な出来事を、「集団ストーカー」の仕業と解釈させて、混乱と恐怖を煽ることを、戦略的に狙っていると言って来ました。(被害者の人は、よく、工作員が「火消し」をするなどと言いますが、むしろ彼らからすれば、「火」を広めたいのであって、「火消し」などされては困るのです。)

この観点からは、あまり、「集団ストーカー」という観念について、取り沙汰すことは、彼らの戦略に乗る面があり、望ましいこととは言えません。しかし、もはや、先にみたように、世界的レベルで、「集団ストーカー」という観念を信じる人たちが増えて来ている状況なのです。事態は、「集団ストーカー」という観念について、一般の多くの人も、取り沙汰さないわけにはいかなくなったことを意味している、と私は思います。

※ 記事の、「UFO」、「集団ストーカー」と関ることでもあるので、最後に、「大日月地神示」の言葉を掲げておきましょう。(https://ja-jp.facebook.com/groups/kamihito.hihumi/より)

他の星から地の人々操りていたものおるのぞ。地の底から地の人々操りていたものもおるのぞ。地の空から地の人々見守りてきた人々おるぞ。月の陰から地の人々を覗いていたものもおるのぞ。地の人に成り済まし良きも悪しきもいたしてきた人々おりますのぞ。

地の人々は、何も知らん赤子でありますぞ。真、ひとつひとつ学び成長せねばならん時、訪れましたゆえ次々に変わりますのぞ。川の流れ早くなるごとく隠されておりた秘めごと表に顕れてびっくり仰天おとぎ話の翁となりますぞ。真、知り理解深め、新たなる時代に生きて下されよ。ひと昔ふた昔前の妄想の世界に囚われて下さるなよ。

                                               2017.10.19 大日月地大神御靈

「他の星」の「宇宙人」や、「地の底」の「地底人」または「霊的存在」など、人間を「操る」存在。「地の空」の「宇宙人」や「霊的存在」など、人間を「見守る」存在。月の陰から、「覗く」だけの存在。人間に「成り済まし」て、良いこと、悪いことをなす存在。

人間は、こういった、多様な存在に取り囲まれ、影響を受けながら、生きているということ。これらの隠されていた「秘めごと」が表に顕れて、「びっくり仰天おとぎ話の翁」になるのが、これからの新しい時代だという。

「ひと昔ふた昔前の妄想の世界」とは、こういった存在とは無関係に、人間が「孤立」して生きているかのような、ものの見方が広まった、近代の世界観のことでしょう。

このような、「隠されていた秘めごとが表に顕れる」とは、上にみたように、「UFO」「宇宙人」関連の情報が、暴露され、公開されることも含むはずです。

また、「集団ストーカー」とは、何らかの「悪さ」をするとみなされた、「宇宙人」や「霊的存在」に「操られた人」、あるいは、実際に、何ほどかの「悪さ」をする、「人に成り済まし」た、「宇宙人」や「霊的存在」を意味することにもなります。これらを、「ひと昔ふた昔前の妄想の世界に囚われ」ている人が、誘導されて、「解釈」すると、「集団ストーカー」なる「人による組織的犯罪」と解すようになる、ということです

このような「秘めごと」も、そう遠くないうちに、表に顕れることになればよいですが、そう簡単にはいかないですね。

«自分自身の攻撃性の「反映」としての「被害」

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