2018年7月11日 (水)

「オカルトの基本を学ぶ」のプログを開設

予告していた、『オカルトの基本を学ぶ』のプログを開設しました。

本プログとの関連も多いので、是非閲覧ください。

→『オカルトの基本を学ぶ (http://tiem-occult.seesaa.net/ )

2018年6月29日 (金)

一連のシリーズの総括および今後の予定

「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という「観念」について、問い直しをして来ましたが、これらは、とりあえず、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」についての、「総まとめ」となります。重要な事柄は、すべて織り込んだつもりですが、何よりも、「観念」そのものが、「戦略」であることこそが、重要なポイントです。これらは、「捕食者の戦略を知る」という意味でも、格好の題材となるものです。

とはいえ、「観念」そのものが、「戦略」であるのは、記事『「テクノロジー犯罪」という発想』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-4691.html)でも述べたとおり、対立する、「統合失調」なる「病気という観念」についても、同じことです。これは、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」とは逆の方向から、同様の状況にある者を、抱え込もうというもので、全体としてみれば、いわば「両面からの抱え込み戦略」です。どちらに与しても、その観念に捕らえられて、その世界から容易に抜け出せなくなるとともに、対立と葛藤をますます深めることになるのです。(※)

それを、避けるには、どちらの「観念」にも与せず、これらの観念が捕え込もうとしている、根底にある「事実」または「状況」を、虚心坦懐に、浮かび上がらせるしかありません。もちろん、それは、このブログが、初めから試みていることです。

いずれにしても、「捕食者」を相手にするということは、このような手の込んだ「戦略」に、対処しなければならないということを、意味しているのです。その「戦略」は、人間を全体として、俯瞰する位置から、人間同士の対立を煽り、葛藤を深めるべく、人間の心理を読んだうえで、巧みに仕掛けられるものです。

まずは、そのような、「人間レベルを超えた」戦略に、率直に驚嘆すべきです。しかし、そのうえで、そのような戦略的なあり方こそが、彼らの「生命線」であることに気づけば、それに左右されることも、少なくなるでしょう。「戦略」を知ることこそが、彼ら自身を知ることになる、ということです。

今後は、記事『本年の予定と昨年のぺージビュー数トップ5』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-d365.html )で述べたように、本来の「狂気」の方のテーマについて、分かりやすいホームページを作成する準備に取りかかります。このブログの更新の頻度は、かなり減るかと思いますが了承ください。なお、近いうちに、『オカルトの基本を学ぶ』というブログの開設もしたいと思っています。

※  この「両面からの抱え込み戦略」を図で表すなら、次のようなります。 「統合失調」という観念と「集団ストーカー」・「テクノロジー犯罪」という観念を、事実または状況を掬う「バケツ」のようなものとして表現しています。

 7月5日 図に、「捕食者」が事実または状況のレベルでも影響を与えていることを織り込みました。この戦略の「凄み」がより浮き彫りになると思います。Photo

2018年6月13日 (水)

観念の問い直し 3-戦略の理解と対処法

「わしが言っているのは、われわれが相対しているのは単純な捕食者ではないということだ。そいつはすごく頭が切れるし、てきぱきと仕事をこなす。組織的な方法にしたがってわれわれを無能にする。」 (カスタネダ『無限の本質』 ドンファンの言葉より)

「人民、己が操られておること信じられんであろうなれど、悪魔は簡単に人を操れるのであるぞ。悪魔の力どれほど強いか、ずる賢いか、人民知らんのぞ。」 (『大日月地神示』より)

「集団ストーカー」でも「テクノロジー犯罪」でも、一連の「観念の問い直し」シリーズで、最も明らかにしたかったことは、これらの「観念」自体が、「戦略」なのだということです。この「観念」自体が、一旦それを信じたら、人を捕らえて、その世界に引き入れ、縛りつける、「魔的」ともいえる、働きをしているのです。その世界に、引き込まれた者は、容易に、そこから抜け出すことができません。

その観念を信じるように仕向ける、「仕掛け」というものは、確かにあります。しかし、実際には、その「戦略」に乗り、その観念を信じること自体が、その「被害」とされる出来事を、止めなく、拡大して、再生産しているのです。その「被害」は、「戦略」によって、自ら「作り出した」ものなのであり、それによって、「加害行為」なるものを、実際以上に強大なものとし、自ら、負担を増大しているのです。(※1)

だから、対処法といっても、真っ先にあげられるべきは、この「観念」がもたらす効果の全体が、「戦略」であることを理解することに尽きます。本当に、それを理解できれば、半ば、その「世界」から抜け出すことができたようなものです。自らが、作り出した「被害」を、取り外すだけで、大きく負担を軽減することができるからです。

それでも、身に受ける、攻撃的な「仕掛け」というのは、確かにあります。しかし、それも、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という「観念」を信じさせ、自ら「被害」を拡大させるためこその「仕掛け」なので、全体としての「戦略」が理解できれば、そのような「仕掛け」に振り回されることも、少なくなります。(※2)

しかし、実際には、この「戦略」の理解が、多くの人にとって困難なのは、それが、決して、「人間レベル」のものではないからです。通常の人間の戦略ということ、あるいはその延長上に理解しようとしても、無理なのです。

冒頭に引用したのは、(前にも引用しましたが)このような存在が、いかに(人間を超えた)「戦略」に満ちたものかを、端的に言い表した言葉です。改めて、そのように強調されることの、意を汲んでほしいと思います。

そのような「戦略」の、「人間を越えた」部分が、最も現れるのは、何と言っても、人間の心理を、「リアルタイム」に「読んだ」うえで、なされる「仕掛け」においてです

この、心理を「リアルタイムに読まれる」ということ自体は、実際に「仕掛け」を受けている多くの人が、感じ取ることです。だからこそ、それを説明すべく、「(超高度の)テクノロジー」が持ち出されるわけです。しかし、いくらそのようなものを持ち出しても、本当に、その「リアルタイムに読まれる」ことのリアリティを捉えることはできません。また、その主体が、「人間」だと思っている限り、本当に、その「戦略」を理解できることにもなりません。

たとえば、この場合で言えば、「テクノロジーだと思われている」こと、「人間だと思われている」こと自体が、既に「読まれ」たうえで、「戦略」に組み込まれているのです。そうしてできているのが、「テクノロジー犯罪」という「観念」なのです。「リアルタイムに読まれる」ことと「戦略」が、即に結びついています。

その意味では、その「心理を読まれること」自体は、「無心」にでもならない限り、防ぎようもないので、対処の対象とはなりません。ただ、このことを理解して、相手が、それを踏まえた「仕掛け」をなして来ても、それに捕らわれて、混乱したり、恐れたりしないことが重要なのです

被害者のブログなどで、「テクノロジー犯罪」であることを前提とした対処法として、電磁波を遮断したり、軽減できるような「装置」があげられることがあります。それは、そのように信じている限り、一定の心理的安定をもたらすし、薬と似たような、「プラシーボ効果」をもたらすことはできます。

しかし、この対処法では、自分で「被害」と思っている多くの出来事を、疑わざる前提として、固定してしまい、その負担を軽減することはできません。また、「テクノロジーによる」という「思い込み」も、固定してしまいます。それは、「物理的な力」によるものだから、意識のあり方とか、こちら側の心的な態度では、防げないものというイメージを強めます。そのようにして、真の対処への可能性を、閉ざしてしまうことになるのです。

つまり、むしろ、相手方の「戦略」に乗ることになってしまうということです。

このように、「テクノロジー犯罪」という「観念」には、「テクノロジー」という「物理的な力」によって、攻撃されるという意味合いが込められています。しかし、それもまた、対処が難しいと思わせる、重要な「戦略」の一部なのです。

実際には、これまでみて来たとおり、これらの「仕掛け」は、「意識」と連動して起こるもので、「意識のあり方」とか、こちち側の「心的な態度」によって、大きく左右し得るものです。決して、「テクノロジー」ということに比べて、対処の困難なものではないのです

あるいは、前回も述べたとおり、このような現象に、何らかの「テクノロジー」が関与している可能性はないわけではありません。しかし、たとえ、「テクノロジー」によるものと仮定したとしても、決して「意識のあり方」で防げないものではないことは、記事『チャネリング情報にみる薬の害毒と操作性 2』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-cde9.html )で述べたとおりです。

重要なことなので、『スターシード』で言われていることを、再びあげておきます。

そのような科学技術の使い手たちは、単に行動そのものを観察することよりも、特定の行動をさせるように人間を操作することにはるかに関心があるということに心を留めておいて下さい。もし個人の位置を特定できれば、彼らは確実にその人をとらえることができるでしょう。自らのはっきりした意思とその性質によって、あなた方が電磁気による彼らの「メッセージ」の周波数を造作なく変化させる場合を除いての話ですが。それは、人間の精神、身体、感情の状態によって決定されます。ですから、あなた方が完全に正常な心で―自分の意思を明確にして―行動していれば、そのような装置の影響はもしあったとしても、ごくわずかでしょう。

これらの「テクノロジー」が、「物理的なエネルギー」によるものだとしたら、確かに、意識のありようで防ぐことは、難しいものになるでしょう。しかし、それらは、電磁的な力を利用したものとしても、その周波数をもって、脳波に共振させるなどの方法によるものです。だから、要は、そのような周波数に影響されないだけの、意識の(脳に対する)強固な働きがあれば、それを回避、あるいは少なくとも、減退できるということです。

『スターシード』では、「完全に正常な心で―自分の意思を明確にして―行動していれ」ば、影響を受けないか、受けてもわずかだと言います。要は、感情的にネガティブな影響を引きずらないで、意思をしっかり持ち、「やるべきことをやる」ということに尽きます。逆に言えば、「気にすればするほど」、「捕われれば捕われるほど」このような影響を強く受けるのだから、「戦略」とは、いかにして、相手が「気にし」、「捕われる」ように仕向けるかということになります。敵も、こちらの「コンプレックス」や「弱点」を、巧みについてくるということです。だから、回避することが容易だということではありません。

いずれにしても、こういった攻撃ないし仕掛けは、「意識のあり様」により、大幅に左右されるということ。それを悟らしめないようにすることこそが、彼らの「戦略」の大部分を占める、ということを知ることが重要です。

最後に、心理を「読む」ということと、それに捕われない「無心」という態度について、「さとり」という動物の、面白い話があるので紹介しておきましょう。

一人の木こりが山奥に入り、斧で木を伐っていると、「さとり」という珍しい動物がそばに寄ってきました。さとりは人の心を読み取ることができるという珍獣です。そこで木こりは「よし、生け捕りにしよう」と考えました。

するとすぐにさとりが「お前はおれを生け捕りにしようと思っているな」と、からかうように言うのです。心を読み取られて、木こりがびっくりすると、さとりは得意げに「こんどはおれに心を読まれてびっくりしている」といいます。シャクに障ったきこりは「ひと思いに斧で打ち殺してやるか」と考えました。

さとりはまたも、「斧でおれを殺そうというのかい」と、逃げる身構えをします。ついにきこりはあきらめ、「こいつはかなわん。さとりなんかかまわず、自分の仕事に精を出そう」と思いました。さとりは「とうとうおれを諦めて、自分の仕事に精をだそうとしているな。」と、せせら笑いました。

しかし、木こりは、気味の悪い動物のことなど忘れようと、斧を振るって一生懸命働きました。すると、全く偶然に、木こりの振り下ろした斧の頭が柄から飛び、見物していたさとりに命中したのです。さとりは地面に倒れて動けなくなりました。そして、木こりは、さとりを生け捕りにすることができました。

人の心を読み取る、不思議な力をもつ「さとり」も、「無心」に働いている、きこりの心までは読めなかったというわけです。これは、禅の世界でとりあげられる話で、(修行や訓練によって成し遂げられる)高度の「無心」の意義について指し示しています。さとりとは、得ようとして得られるものではなく、それを諦めて、日常の仕事に専念しているときに、ふと得られるものだという「逆説」をも示しています。

しかし、この話は、まさに、心を読み取ったうえで、「嫌がらせ」を仕掛けてくるような、「ストーカー」的な存在についての、対処法として、もっと広く受け止めることができます。「無心」などと言わずとも、ただ「気にしない」で、やるべきことに専念していれば、そのような存在の影響は、ほとんど受けずに済むということです。

※1  「戦略」によって、「自ら作り出した被害」とは、疑心暗鬼による錯覚、錯誤から、「被害」とみなしたもののほか、特殊な精神状態により、自ら引き寄せた(共時性的)現象を含みます。私は、100%、これらの「自ら作り出した被害」である場合も、相当あると踏んでいます。一部に、実際に「仕掛け」を受けている場合でも、「自ら作り出した被害」は、7割から8割あると思われます。

※2  攻撃的な「仕掛け」については、いわば「現場」で働く存在と、背後で指揮する「捕食者」で、その意図には多少のずれがあります。全体として、「戦略」的に行っているのは背後の「捕食者」であり、現場で働く存在は、本性そのままに、ただ「嫌がらせ」をしているところがあります。しかし、背後で指揮する存在の「戦略」を理解すれば、それに振り回される度合いは大きく減ることに変わりありません。なお、現場で働く存在の「嫌がらせ」に対する対処法は、最後のところに述べたとおりです。

2018年5月29日 (火)

「テクノロジー犯罪」という観念の問い直し 2

「集団ストーカー」の実質的内容は、(集団を使って)人を精神的な混乱や錯誤に陥れる「嫌がらせ」であり、「ガスライティング」でした。しかし、「テクノロジー犯罪」というのも、その実質は、このような「ガスライティング」とほとんど同じものです。

「テクノロジー犯罪」の場合、「集団ストーカー」と異なり、直接人の行為を介して行うのではなく、隠れたところから、あるいは離れたところから、「超高度のテクノロジー」を使うことによって、攻撃がなされるとされます。それで、人の行為による「嫌がらせ」という面は、みえにくくなっています。

しかし、それは、直接的な危害を加えるというよりは、やはり、人を精神的な混乱や錯誤に陥れるもので、手段は違っても、実質は、同じといえるものなのです。それを繰り返し行うことで、人を「精神的窮地」に追い込んで行き、統合失調症のような、精神病的な状況に陥れるというのも、「集団ストーカー」の場合と同じです。

「テクノロジー」というのは、電磁波であっても、「物理的なエネルギー」を伴いますから、身体に対する殺傷能力を持ち得ますし、実際、前回みたように、それを被った結果として、「身体的不調」というのもあげられます。

しかし、その「身体的不調」というのも、直接それ自体を目的とするというよりは、そのような不調を繰り返し与えることで、「精神的窮地」に追い込むことを狙ったものです。つまり、「身体的不調」というのも、精神に向けられた、「ガスライティング」のもたらす効果の一つとみられるのです。

そして、「テクノロジー犯罪」の結果もたらされるとされる、他の、「精神的不調」や、「音や声を聞かせる」、「思考を読み取る」、「思考を操作する」といったものは、精神に向けられた「ガスライティング」という面が、かなりはっきりしています。いずれも、何らかの危害というよりは、不可解な現象を身の周りに生起させて、精神的な不安や混乱をもたらすものだからです。

あるいは、「思考を読み取る」というのは、その読み取った思考をもとに、その者にしか分からない「ほのめかし」や、「絶妙なタイミング」の「コリジョンキャンペーン」などを行う、「集団ストーカー」行為の前提として機能するものでもあります。つまり、「集団ストーカー」と結びつけられて、「ガスライティング」として機能するということです。

このように、「(超)高度のテクノロジー」を用いてなされる「ガスライティング」を「ハイテク」と呼び、現実に人の行為を介した、「集団ストーカー」的な「ガスライティング」を「ローテク」と呼んだりもします。

いずれにしても、「集団ストーカー」も「テクノロジー犯罪」も、その実質は「ガスライティング」なのであり、人を操作するということで、人の関わりが前面に出てくるものが、「集団ストーカー」とされ、人が前面に出で来ないで、「みえない」ものが、「テクノロジー犯罪」とされているだけなのです。

「集団ストーカー」のところで述べたように、確かに、その者にしか分からない「ほのめかし」や、「絶妙なタイミング」での「コリジョンキャンペーン」などは、リアルタイムで人の意思や思考を読み取ることを想定しない限り、無理なことでしょう。その、「意思や思考を読み取る」ということは、通常は「あり得ない」こととされていますが、隠蔽されている、「(超高度の)テクノロジー」によって可能だとするのが、「テクノロジー犯罪」なのです。

しかし、そのような「技術」自体、相当に認め難いのみならず、現実の人を適材適所に配置して、リアルタイムに、それを反映する行為をさせる、などということは、明らかに無理なことです。さらに、「無理」というだけでなく、人材と金と手間とリスクのかかる、しかも、実質「嫌がらせ」に過ぎない、「稚拙」ともいえる行為をさせるために、わざわざ、隠蔽されている、「超高度のテクノロジー」を使うなどということは、あまりにもアンバランスであり、非現実的なことです。

このように、「超高度のテクノロジー」を持ち出して、それを「集団ストーカー」という、現実の人の行為と結びつけたために、その論理は、実際には破綻してしまっています。

それでも、あえて、そのような発想が持ち出されるのは、「集団ストーカー」のところで述べたように、実際に、「思考を読み取られている」からこそ可能となるような、「ほのめかし」や、「絶妙なタイミング」というものに、かなりの人が、確かな感覚的「リアリティ」を感じているからです。彼らにとっては、「思考を読み取られる」という感覚的「リアリティ」を説明してくれる、(「病気」ということではなく、しかも「オカルト」的でもない)はっきりとした理由が、必要ということです。

さらに、前回も述べたように、実体の「みえない」「(超高度)のテクノロジー」による攻撃というだけでは、いかにも抽象的で、「リアリティ」が薄いということもあります。しかし、そこに、現実の人の行為を介した「集団ストーカー」というものが絡むことで、「ガスライティング」を受けているという「リアリティ」は、確かに強められます。つまり、戦略の観点からも、「テクノロジー犯罪」と「集団ストーカー」は、結びつけられる理由があるのです。()

しかし、実際には、「集団ストーカー」のところで述べたとおり、「思考を読み取る」とか、「思考を操作する」、「声を聞かせる」といったものは、「ガスライティング」を本性とする、「霊的」または「異次元的」な存在の「能力」として、最も典型的なものです。「超高度のテクノロジー」など持ち出さなくとも、また、「テクノロジー犯罪」と「集団ストーカー」に分けたうえで、あえて結びつけたりしなくとも、両者は、もともと一つのものとして、これらの「能力」によって可能ということです。

あるいは、これらの現象には、「集団ストーカー」のところで述べたように、何らかの(もはや、人間のものとは言い難いですが)「(超高度の)テクノロジー」が関与している可能性がないわけではありません。しかし、その場合でも、それらは、「能力」の範囲を広げ、あるいは精度を高めるようにして、「能力」と連動する形で使用されているものと思われます。だからこそ、能力が中心となる、「集団ストーカー」と結びつくことも可能なので、このような「能力」ということを抜きにして、「(超高度の)テクノロジー」だけで説明しようとすると、先にみたように「無理」や「破綻」が明らかになるのです。

さらには、その他の、「精神的不調」や、「音を聞かせる」、「身体的不調」といったものも、基本的には同じことです。

「精神的不調」はもちろん、「身体的不調」についても、このような存在に取り囲まれ、その発する「波動」の影響を受ければ、不快感、眠気、吐き気、頭痛、その他の身体の痛みというものは、いくらも生じ得るのです。スウェデンボルグも、「悪霊」について、「彼らは体のあちこちに痛みも起こす」ということを述べていました。

「(物理的な)音を聞かせる」、「身体に(傷などの)みえる現象を生じさせる」となると、「テクノロジー」のような、「物理的なエネルギー」を想定したくなるのは分かります。しかし、それらの存在は、「物質化現象」のような形で、物理的に顕現する現象も起こせるし、あるいは、記事『幻覚的現実と物質化現象の「中間的現象」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-0f93.html)で述べたように、はっきりとした物理的な現象かどうか区別しにくい、「中間的な現象」も起こせます。

「音を聞かせる」では、「ラップ現象」や「ポルターガイスト現象」といわれるものが典型ですし、「身体的な傷を生じさせる」では、素朴なものですが、「かまいたち」と呼ばれるものが、あります。

不可解な「身体の痛み」や「ラップ現象」は、私もよく体験するのですが、しかし、注意すべきは、このような現象は、それを想定する以前に、何らかの、「通常の物理的な原因で生じている現象」である可能性が、十分吟味されなければなりません。あくまでも、「通常の」物理的な原因であって、「超高度のテクノロジー」を持ち出すということではありません。

「精神的不調」や「身体的不調」については、現代の、種々様々なストレスによるものであることが考えられるし、「電磁波」としても、現代は、環境的に、これに非常にとり囲まれた状況です。敏感な体質の者は、「精神的不調」や「身体的不調」を訴えても、何ら不思議でない状況です。あるいは、このような環境状態が作り出されていること自体、一種の「テクノロジー犯罪」と言って言い過ぎであれば、少なくとも、「テクノロジー公害」とは言えるでしよう。それはそれで、問題とされて、然るべきことです。さらには、福島の原発事故による、放射能の影響も考えられます。

異様な「音」も、現代の環境状態から、生じてくる可能性はいくらもあるし、「ラップ現象」と思われる音も、その物体自体のきしみなど、通常の原因で生じている可能性があります。

「ラップ現象」については、この二つのサイト(https://spicomi.net/media/articles/499http://every-day-life.com/rapon/)は、霊的な面も含めて、基本的なことをよく説明しているし、まず、そのような現象が、通常の物理的な現象であること十分検討したうえで疑うべきことを、しっかりと述べていますので、参考にしてください。

さらに、このサイトでも述べられているように、自らの強い情動が、これらの現象をもたらす原因となっている可能性も、あるのです。「超常的な現象」としても、他の存在ではなく、自分自身が原因となっている可能性があるということです。「ポルターガイスト」現象などは、精神的に不安定な思春期の子供が、無自覚に起こしていると思われる場合が相当にあり、「テクノロジー犯罪」を受けているという人の場合も、それで不安と恐怖に駆られた人は、同様の精神状態にあると考えられます。

強い信念が、身体的反応を起こす例としては、薬における「プラシーボ効果」や、強い信仰によって起こる、「聖痕」現象などがあります。

既にみたように、「テクノロジー犯罪」としてあげられるものの中には、確かに、霊的、異次元的な存在によって、「仕掛け」られた、「ガスライティング」が含まれている可能性があります。

しかし、それらの現象の多くは、実際には、これらの「通常の物理的原因による現象」か、「超常的」な面があるとしても、自らが起こしている現象である可能性が高いものですにも拘わらず、一旦、「テクノロジー犯罪」という観念に捕らえられると、身の周りに起こる多くの出来事が、これら他の可能性をほとんど顧みることもなく、「テクノロジー犯罪」とされてしまうのです。そして、さらに不安と恐怖を拡大し、より多くのことを「テクノロジー犯罪」として拾うことで、自ら、抜け出し難い「地獄的な状況」に入り込んでしまうのです。

それは、「テクノロジー犯罪」という、魅惑的な要素をもたたえた、戦略的な観念のもたらす、強力な効果といえます。

次回は、結局は「集団ストーカー」の場合と同じなのですが、対処する方法についても、少し述べておきたいと思います。

※ 6月5日追加

「思考を読み取られる」ということの感覚的リアリティは、「テクノロジー犯罪」そのものとして直接感じられるのではなく、思考を読み取られていなければあり得ないはずの、現実の人による「ほのめかし」とか「絶妙のタイミング」での仕掛けという「演出」があって、初めて、感じられるものです。その意味でも、「テクノロジー犯罪」と「集団ストーカー」は、結びつく必然性があります。

注意すべきは、「テクノロジー」によって「思考を読み取られる」というのは、あくまで、その結果持ち出された「解釈」に過ぎないということです。「感覚的リアリティ」そのものは、人を介しての「集団ストーカー」的な振舞いという「演出」によって、生じているのです。その意味では、「集団ストーカー」の方が本質的なものなのです。

これは、「統合失調」の場合に、「思考を読み取られる」ということの「感覚的リアリティ」は、他者がかけてくる(と感じられる)「声」によって生まれることと、ほとんど同じです。また、「思考を読み取られる」ということの「解釈」として、典型的なものに、「CIAによる迫害」というのがありますが、この「CIA」を「集団ストーカー」に変えれば、「集団スートーカ」被害そのものとなることにも注目ください。(記事『「つつぬけ」「さとられ」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post-a694.html )、『「さとられ」と「CIA」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-bedd.html) 参照)

2018年5月18日 (金)

「テクノロジー犯罪」という観念の問い直し 1

「集団ストーカー」という観念に続いて、「テクノロジー犯罪」という観念についても、問い直しをしておきます。

ただ、「集団ストーカー」について述べたことは、「テクノロジー犯罪」についても、多く当てはまるものです。特に、その「戦略」としてのあり方は、「集団ストーカー」の場合と同じです。この重なる部分については、あまり詳しく述べないので、「集団ストーカー」について述べたことを、必ず参照するようにしてください。

何しろ、「テクノロジー犯罪」という観念も、戦略に貫かれた、曖昧なものでありながら、一定のリアリティを吹き込まれることで、威力を発揮します。一旦、その観念を信じると、身のまわりの多くの出来事を、「テクノロジー犯罪」によるものと疑うようになることも、同じです。

しかし、「テクノロジー犯罪」という観念には、「集団ストーカー」という観念に、含み込ませることが難しい出来事も、含み込ませることができます。それこそ、「テクノロジー」を前面に打ち出していることの意義です。「集団ストーカー」という観念と、「テクノロジー犯罪」という観念を合わせれば、事実上、身近に起こる身体的不調や精神的不調、さらに、「他人に何事かを仕掛けられている」という疑いのもととなる出来事の、ほとんどのものを、これに含ませてしまうことができます。

また、「テクノロジー犯罪」という観念は、「集団ストーカー」という観念と結びついて、「集団ストーカー」という観念の内容を、飛躍的に拡大し、それに一定の根拠を与える働きもします。特に、通常は、「オカルト的」で「あり得ない」というべき、「ガスライティング」の内容を、後にみるような(超高度の)「テクノロジー」によるとすることで、事実上、どこまでも膨らませ、それに一定の根拠があるというみかけを与えることができます。

さらに、「テクノロジー犯罪」という観念だけでは、いかにも抽象的で、リアリティが薄い場合でも、「集団ストーカー」という、現実の人を介した直接の行為を含み込めることで、それに強い「リアリティ」が与えれるということもあります。

このように、「集団ストーカー」という観念と「テクノロジー犯罪」という観念は、互いに補い合って、威力を発揮するところがあります。そして、そこには、やはり、現代という状況だからこそのものがあります。「集団ストーカー」では、「集団」から切り離された、孤独な個人の不安ということが、背景にありました。が、「テクノロジー犯罪」では、さらに、最近の技術の飛躍的な発展と、それについての不安や恐れということも、加わっているのです。

ともあれ、まずは、「集団ストーカー」のときと同じように、「テクノロジー犯罪」という言葉に着目してみます

「テクノロジー犯罪」とは、「テクノロジー」と「犯罪」が組合わさった言葉で、要するに、「テクノロジーによる犯罪」ということです。「テクノロジー」+「犯罪」も、「集団」+「ストーカー」の場合に負けず劣らず、曖昧な言葉が重ねられたものです。そして、それは、もちろん意図的なものです。

「テクノロジー」とは、限りなく広い範囲のもので、どのようなものでも含み得ます。「犯罪」という言葉も、曖昧ですが、これが使われていることには、その行為が、(人間の)「加害者」による「加害行為」であることを明示し、同時に、それを受けた者を、「被害者」として意識させる効果があります。

そもそも、「犯罪」というなら、「テクノロジーによらない犯罪」など、身体や、口を使って直接なされた暴力など、非常に限られたものでしょう。刃物やピストルなど、あるいは電話やネットなど、何らかの道具や機器を使った犯罪は、すべて「テクノロジーによる犯罪」と言い得るものです。

しかし、実際に、「テクノロジー犯罪」にいう「テクノロジー」とは、現代の技術の飛躍的発展を前提とした、「高度なテクノロジー」を意味しています。さらに、多くの場合は、現代においても、一般には認められていない(加害者によって隠蔽されているとされる)ような、「超高度なテクノロジー」をも意味しています。

もちろん、そのような「(超)高度なテクノロジー」が持ち出されるのには、理由があります。

「集団ストーカー」の場合に、そのような行為を受けていると考えるもとになる現象はあったように、「テクノロジー犯罪」の場合にも、そのようなもととなる現象はあります。

たとえば、何らかの、原因の分からない、身体的不調や精神的不調。あるいは、何らかの、不審な音や声を聞く。さらには、自分の脳内の思考が読み取られている、あるいは操作されていると思われるような事態、などです。そのような現象に、明確な原因があれば、当然それを疑うことでしょう。しかし、そのような原因がはっきりせず、不可解である場合に、それを説明する理由がないことは、落ち着きが悪く、混乱をもたらします。

そこで、そのような現象は、「高度なテクノロジー」によって、あるいは、それでは説明しにくい場合は、「超高度なテクノロジー」によって、「加害行為」として、引き起こされているのだという、明確な理由を与えるのが、「テクノロジー犯罪」なのです。そうして、不可解な現象を、とりあえず納得させるとともに、「犯罪」であり、「加害行為」ということで、「加害者」を糾弾するという、感情の持って行き場を与えてくれることにもなります。

「(超)高度のテクノロジー」とは、通常、マイクロ波のような「電磁波」を用いるものであることが、想定されています。単純に、「身体的不調をもたらす」ようなものは、「高度なテクノロジー」ということで、とりあえず捉えられるでしょう。しかし、「思考を読み取る」、「操作する」などのものは、そのようなもので、容易に捉えられるものではありません。それで、一般には、認められない、「(超)高度のテクノロジー」が持ち出されるわけです。現代の技術の延長上に、推測や憶測を積み重ねて、その内容がある程度具体的に、示されることはありますが、いずれにせよ、非常に曖昧で、捉え難いものです。

通常は、「テクノロジーによる犯罪」といっても、その行為の過程や加害者は「見える」ものです。「テクノロジー」であること、「犯罪」であること自体は、明確ということです。ところが、「テクノロジー犯罪」では、「(超)高度のテクノロジー」を使うとすることで、それらが「見えなく」(正確には、「テクノロジー」である限り、「見えない」ことはないので、「見えにくく」)され、従って、その行為の過程も、誰の犯行かも特定できないものになっています。

「テクノロジー犯罪」という言葉が使われていますが、実際には、「テクノロジー」といえるのかどうかも、「犯罪」といえるのかどうかも、不明確なものなのです

しかし、そのような、曖昧で不明確なものだからこそ、先にあげたような、不可解な現象の原因として、持ち出すこともできるのです。明確なものであれば、その矛盾や無理も、明確になってしまいます。(ただし、「犯罪」であることを強調することで、それが「加害行為」であり、糾弾されるべきものであることは、明確に訴えるのが「みそ」です。)

「テクノロジー(による)犯罪」という、現実に存在する、一般に受け入れられやすい言葉で、このような、かなり特殊で、曖昧な事態を意味させているわけですが、これは、「集団ストーカー」という言葉の場合と同様、一つの大きな戦略です。

つまり、「集団ストーカー」が、実際には、単なる「ストーカー行為」を意味していなかったように、「テクノロジー犯罪」というのも、実際には、単なる「テクノロジーによる犯罪」を意味しているわけではないのです

しかし、「テクノロジー」ということを前面に打ち出すことで、そこに、一定の「リアリティ」がもたらされているのは確かであり、それが、巧妙さの一つです。

既に述べたように、現代では、「テクノロジー」は飛躍的に発展しており、その限界がどこにあるか、明確には定められません。見方によっては、「テクノロジー」によって、どのようなことでも可能とみることも、必ずしも非現実的とは言えない状況です。そのような「テクノロジー」には、多くの人が、不安や恐れを抱いています。

「テクノロジー」がもたらす影響や、その操作によって、何らかの危害を被ったり、自分のコントロールできないところで、権利を侵害される可能性は、多くの人が現実に危惧しているはずです。

「テクノロジーによる犯罪」自体は、いくらもあり、現代では、それが巧妙化かつ複雑化されて、一般の理解や制御が及びにくいものになっています。そのようなことが、「テクノロジー犯罪」という言葉に、一定の「リアリティ」を与えています()。そして、実際に、この言葉を使うことは、それが狙いなのです。

何しろ、「テクノロジー犯罪」という観念では、先にみたような身近に起こる、不可解な、身体的不調や精神的不調。音や声を聞く。思考が読み取られる、操作されるというような、不可解で好ましくない現象は、「(超)高度のテクノロジー」によって、起こされたものとみます。「加害者」は、「集団ストーカー」の場合と同様、様々に想定されますし、理由は、「人体実験」などの、もっともらしいものが持ち出されます。

いずれにしても、そのような身近に起こる、様々な、不可解で好ましくない現象には、「テクノロジー犯罪」という「原因」があるのであり、それは人間による、「加害行為」なのだということです。「テクノロジー犯罪」という観念が、まず戦略として意図していることは、そのような見方を広めることです。多くの人が、そのような見方のもとに、「テクノロジー犯罪」を疑い、疑心暗鬼を生んで、人々の間に、混乱や軋轢をもたらすことができるからです。

先に身近に起こる現象として、あげたもののうち、「思考が読み取られる」「操作される」というのは、「統合失調状況」と重なることが明らかで、これは、かなり特殊な事態といえます。しかし、これは、「集団ストーカー」にもあったように、「統合失調状況」と共通する要素を、「テクノロジーによる犯罪」として、取り込んでいるのです。「統合失調」の「妄想」でも、何らかの高度な「テクノロジー」によるとして構想されることはありますが、内容は突飛で、個々ばらばらなものとなりがちです。しかし、「テクノロジー犯罪」ということでは、ネットなどで、それなりに類型化された形で、その共通の「原因」を与えることができるのです。

そして、「集団ストーカー」の場合と同じように、それは、「統合失調」なのではなく、「テクノロジー犯罪」によってこそ、陥らされるものだとすることができます。

しかし、そのような特殊のものだけでなく、もっと一般的な、身体的不調や、精神的不調も加えられているのが、「みそ」です。誰もが、身近に経験する、このような事態も、「テクノロジー犯罪」によるものとすることで、適用範囲を大きく拡大し、それが、誰にも当てはまり得るものとのイメージを、もたらすことができるからです。実際、「テクノロジー犯罪」は、「集団ストーカー」の場合以上に、適用範囲が広められているといえます。先にあげた例だけでなく、事実上、どのような現象であっても、「テクノロジー犯罪」によるとすることは、可能というべきです。しかし、それは、「曖昧さ」が、限りなく拡大されていることによるのです。

繰り返しますが、「テクノロジー犯罪」という観念自体が、不可解な現象に、理由を与え、加害行為として、納得させる働きをします。その意味では、「集団ストーカー」と同様に、この観念には、「魅惑的」なところがあるのです。ただし、それは、真の「納得」でないことは明らかで、また、何らの「解決」でもないことは明らかです。むしろそこから、疑心暗鬼が拡大し、さらに多くの出来事を「テクノロジー犯罪」として拾ってしまうことにより、問題を拡大し、本当には、何も解決しない状況を継続させます。それは、「集団ストーカー」の場合と同じように、「地獄的な状況」といえます。

「テクノロジー犯罪」という観念は、一見、「魅惑的」であるけれども、実際には、そのような「地獄的な状況」へと追い込ませることを意図した、「戦略」的なものだということです。

次回は、さらに、「テクノロジー犯罪」の実質が、「集団ストーカー」の場合の「ガスライティング」と同様のものであることに着目してみます。

)さらに言えば、実際に、「電磁波」を用いた「高度のテクノロジー」によって、何らかの危害を加えるという、加害行為自体は、あるものです。かつての、旧ソビエトのアメリカ大使館事件や、最近の、キューバのアメリカ大使館事件などは、その典型です。

また、一般には認められていない「超高度のテクノロジー」も、軍事的な機密などに絡み、隠蔽されることがあるのは事実です。しかも、私のように、「宇宙人」による技術が存在することを認めるなら、その範囲はさらに拡大します。

「超高度のテクノロジー」なるものは、存在しないということではないのです。「テクノロジー犯罪」が想定するようなものかどうか、どの程度の精度のものかは別にして、類似のものが存在する可能性はあり得るし、少なくとも、超大国の研究・開発の対象であるのは確かでしょう。

しかし、それらが、「テクノロジー」として「存在し得る」ということと、身近に起こった現象の原因として、それらを持ち出すということの間には、あまりに大きなギャップがあります。また、実際にも、具体的にみる限り、無理であることが明らかというべきです。次回にも、この点については、触れるつもりです。

2018年4月28日 (土)

「被害者」になるべきでないという教訓

前々回の記事で、ネガティブな宇宙人によるアブダクション(誘拐)は、本人の「魂の合意」なく行われていること。しかし、そこには、成長に役立つ教訓的な意味もあるので、被害者の魂も、少なくとも「黙許」しており、他の存在も、特に阻止せずに、「黙認」しているところがあることを述べました。

この点について、ジーナ・レイクの『アセンションへの道』は、さらに次のように踏み込んでいますので、引用しておきます。

ネガティブな者たちは「犠牲者」の役割を果たす傾向をもつ人を選んで誘拐します。これは、「被害者になるべきではない」という教訓をその人に教えるためにあえて許されている行動です。私たちがそう表現するのは、何も被害者を非難するためではありません。被害者となる傾向のある者がネガティブな者に誘拐されるという事象は、むしろ「霊的法則がどのように第三密度世界(この物質的な世界)で適応されるか」を示しているに過ぎません。ネガティブな者の被害者となる人は、ネガティビィティをひきつける傾向にあり、そのため被害者役を演じる人は永遠的に同じことを続ける結果を招きかねません。
 (ネガティブなETに対抗するのは無理だという)意見には一理ありますが、にもかかわらず、一番初めの段階で被害者とならないように心的態度を変化させることは可能なはずであり、それこそが学習なのです。方法としては、「被害者の役割を演じないぞ」という心構えをもつこと、そして主体性をもち自分の個性をしっかり認識した態度をとり続けることです。
 自分自身のアイデンティティについて強く確信している人々は、自分の欲している物が何かをしっかりと認識していることから、他者に操られることを断固として拒むことができるため、ネガティブなETはあえてそのような人をターゲットにすることはありません。

これは、「ネガティブな宇宙人によるアブダクション」について述べられたことですが、宇宙人に限らず、またアブダクションに限らず、あらゆるネガティブな存在による、人間への虐待的な出来事について当てはまる、重要な指摘というべきです。そして、これは、「被害者」という意識が前面に出てくる、「集団ストーカー被害」や「テクノロジー犯罪被害」にもまた、非常によく当てはまることなのです

さらに言えば、人間同士の「いじめ」や「虐待」のような出来事にも、かなりの程度当てはまることといえます。

「犠牲者の役割を果たす傾向」というのは、微妙なものではありますが、無意識に、自分自身を「犠牲者」となるべく仕向けてしまう傾向であり、同時に、相手方の攻撃性を引き出し、誘発してしまう傾向ということです。私も、このような「攻撃誘発性」について、「分裂気質」や「集団ストーカー被害」に絡めて、何度か述べています。このような傾向というのは、確かにあるというべきです。

人間の場合は、攻撃する側も、無意識のうちに、相手方のそのような性向に反応してしまい、攻撃性を引き出されてしまうことが多いでしょう。しかし、ネガティブな存在や宇宙人は、相手方の心理が読めるだけに、あえて、このような性向を持つ者をターゲットとして選ぶ、ということがなされるようです。そのような性向をもとに、そこから、彼らの糧としての「感情エネルギー」や、さらに人間の間に、多くの軋轢をもたらすことができるからです。

いずれにせよ、自らの性向そのものが、そのような存在を呼び込んでいることになる、ということです。

そして、本人がこのことに気づかない限り、確かに、「被害者役を演じる人は永遠的に同じことを続ける結果を招きかねない」ことになるでしょう。それは、本人が、「被害者」としての意識を強めるほどに、相手方を「加害者」として非難する意識も高まり、自らのあり方を顧みる余地が、ますますなくなるからです。それが、悪循環を形成して、そこから脱することが難しくなる、ということです。

もちろんですが、だからと言って、ジーナ・レイクも言うように、「被害者が非難されるべき」ということではないし、「加害者に罪がない」ということでもありません。

しかし、現実的に、このような悪循環から逃れる術があるとすれば、それは、自分自身が出来事の全体に与えている影響に気づき、それを変えていくしかないということです。特に、相手方が、人間ではなく、少なくとも、人間を超えた部分をもつ、対処し難い存在であることに鑑みれば、相手方をどうこうするということではなく、自らのあり方を変えることしか、手立てがないことになるはずです。たとえ相手方が、人間であっても、このような態度は重要ですが、そうでないなら、なおさらそうだということです。

実際、相手方を、「宇宙人」と認めた場合には、「ネガティブなETに対抗するのは無理だという」思いをもつこともあるでしょう。そして、まさに、相手方を「人間ではない」と認めてしまうと、対処する手立てがないという「無力感」を感じるからこそ、そのようなことが認められないという面は多分にあるのです。「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」を人間によるものとみなす見方には、このような思いが明らかに潜んでいます。

しかし、ジーナ・レイクも言うように、そもそも、「一番初めの段階で被害者とならないように心的態度を変化させることは可能なはず」ということです。それは、自らの性向が、自分を「被害者」となるよう仕向け、ネガティブな存在の攻撃を引き寄せていたことに気づくことによってこそ、可能になります。そして、むしろ、相手方が、人間ではないことを認めるならば、それしか現実的に手立てはないのであり、実際、そうするしかなくなるのです

そのための方法としてあげられていることは、非常に重要ですので、もう一度引用しておきます。

方法としては、「被害者の役割を演じないぞ」という心構えをもつこと、そして主体性をもち自分の個性をしっかり認識した態度をとり続けることです。
 自分自身のアイデンティティについて強く確信している人々は、自分の欲している物が何かをしっかりと認識していることから、他者に操られることを断固として拒むことができるため、ネガティブなETはあえてそのような人をターゲットにすることはありません。

結局は、「宇宙人」といえども、真に発揮された、人間の「意識」や「主体性」というものを、阻害することはできないということです。人間に限らず、あらゆる存在の、「意識」や「主体性」には、本来、そのような力が秘められているといえます。しかし、人間自身が、「意識」や「主体性」の、そのような力に気づかないうちは、そのような力を発揮することも難しいでしょう。

さらに、人間自身が、深いところで、「被害」ということを「許して」しまった場合は別です。というよりも、その「許した」ということ自体が、深いところでは、意識の「主体性」の現れとして、それを実現してしまう力を発揮してしまうことになるのです。どちらに働くにしても、「意識」や「主体性」の力は強力ということです。

逆に言えば、だからこそ、ネガティブな存在は、人間に、「意識」や「主体性」を発揮させる機会を奪い、できる限り削ぐような、「マインドコントロール」や、「クローン化」のような弱体化計画を、執拗に仕掛けてくるのです。また、もし「意識」や「主体性」の力が発揮されるなら、それをできる限り、ネガティブな方向で実現させるべく、さまざまな戦略が仕掛けられるのです。

しかし、要は、(初めからそれに気づくことは難しく)、このような試練と教訓を通してこそ、「意識」や「主体性」の力に気づかれる余地も生まれる、ということです。そして、それに気づくと、どうして、このような攻撃が、他の存在により、阻止されていないのか(私も一連の体験で、何度もこのことを疑問に思ったことがあります)ということも、自ずと明らかになります。

それは、言うまでもなく、一つには、他の存在により阻止されるとすれば、その者自身の「意識」や「主体性」の力に気づかせる余地を、奪ってしまうことになるからです。しかし、そうでなくとも、先にみたように、そもそも、自らの「意識」が「許して」しまっている場合、ことが、その「意識」の力自体の現れとなるので、他の者は容易に干渉できなくなるのです。「他の存在が阻止できない」ということ自体が、「意識」や「主体性」ということの、本質的な意味である、ということにもなります。

とは言え、このような過程は、一筋縄ではいかないので、一気に、このような問題が解決し、相手方の攻撃をなくすことができるというものではありません。私自身そうです。だから、私は、「意識のあり様により、このような攻撃やその効果を、大きく減退させることができる」という、控え目な言い方で、言ってきました。

実際、とりあえずの指標としては、このような状態、つまり、たとえ攻撃があっても、それにあまり囚われない状態、大した苦とならない状態を目指すのが、現実的であると思います。

2018年4月15日 (日)

「ハイブリッド」と「集団ストーカー」

『『集団ストーカー」という観念の問い直し』の記事で、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」は、人間ではない存在が、その都度、周りの人間を操作したり、偶然では考えられない「共時性」を演出することなどで、なされていることを明らかにしました。

しかし、前々回の記事で、今後の展望としては、「集団ストーカー」戦略のリアリティを強化するため、単に人間を操作するだけでなく、もっと、これらの存在の意思を直接に実行できる、「ガスライティングの実行部隊」となるような存在を、人間の世界に輩出しようとしていることを述べました。

このような、「ガスライティングの実行部隊」として、前回みた、ネガティブな宇宙人と地球人の「ハイブリッド」(ヒューブリッド)ほど、最適のものはありません

前回みたように、このような「ハイブリッド」は、外見上は、人間と異なるものではありません。ところが、性質として、人間と同じように振る舞うことはできず、とても人間世界に適応できる見込みはないものです。彼らを、人間の世界に住まわせる以上、何らかの「仕事」を与えることは必要とした場合、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」ほど、彼らに適した行いはないのです。

彼らは、「集団ストーカー」戦略を指揮する宇宙人や「捕食者」とのつながりが強く、「テレパシー」能力を通じて、思考や意図を、通じ合うことができます。それこそ、別に「忖度」しなくとも、「――案件」などとされていなくとも、指揮する側の意図をリアルタイムにくみ取って、実行に移すことができるのです。

さらに、彼らは、「テレパシー」能力を通して、人間の心理を読むことができ、また、思考や感情を操作する能力も、宇宙人から受け継いでいます。スウェデンボルグが記述した「悪霊」と同じように、人間の心理を巧みについて、「適切」な「ガスライティング」を行う能力にも、長けているということです。

しかし、一番の利点になると思われるのは、彼らの、「神出鬼没」というべき、「移動能力」です。前回紹介した『ヒトが霊長類でなくなる日』をみると、宇宙人と同様に、ハイブリッドも、突然、アブダクティの家の中に現れることがあるようです。カギはかかっていても、ドアや壁を通り抜けて、現われることができるということです。つまり、一種の「テレポート」能力を備えているか、または、何らかの技術により、どこかから「ワープ」的に「転送」されることがある、ということです。恐らく、私は、宇宙人そのものは、このような能力を備えているが、ハイブリッドは、能力そのものというよりも、UFO内にあると推定される技術によって、転送されているのだと思います。

ハイブリッドが、人間の心理を読んで、それに沿った、的確なタイミングで、「ガスライティング」をしようとするなら、この「神出鬼没」で「無時間的」な「移動能力」も、重要な要素になります。

「集団ストーカー」戦略を仕掛ける側としては、人間の仕業と思わせる点で、外見上人間と異ならず、しかし、人間を超えた能力によって、的確で有効な「ガスライティング」をなすことで、より混乱と恐れを膨らませることのできるハイブリッドは、まさにうってつけなのです

こういうと、この「ハイブリッド」は、「宇宙人」同様、人間をいかようにも操作できる、人間の適わない存在のように思えるかもしれませんが、前々回『補足』でみたように、決してそんなことはありません。

「ガスライティング」といっても、これまで、人間を操作して行っていたものと変わるわけではなく、ただ、間接的に、こちらの心理を錯誤に陥れ、混乱させるような、「姑息」な嫌がらせをしてくるだけです。まさに、「アンカリング」とか「つきまとい」とか、絶妙なタイミングの「コリジョンキャンペーン」といった類いです。

これらは、本来は、「こけおどし」のようなもので、こちらが影響を受けて、恐れをなさない限り、ほとんど効果を発揮できないものです。ただし、彼らが行う場合、そこには、人間を操作する場合以上の、「嫌がらせの意図」が、はっきり現れ出ます。また、先に述べた、彼らの能力や技術が強く反映され、人間では、とても考えられない、「オカルト」的で「あり得ない」要素は、より正面に現れて来ます

これらに、囚われれば、混乱と恐怖は深まり、尋常でないことが起こっているという思いは、強まることになります。実際、これらの存在について、知ることがない場合、そうなる可能性は高いといえます。そして、「集団ストーカー」にいう「ガスライティングを受けている」という「感覚的リアリティ」も、強力に高められます。だから、「集団ストーカー」という観念を信じさせ、人間同士の間に、軋轢を増す、「集団ストーカー戦略」として、より有望なものとなるのです。

実は、私も、割と最近ですが、このような「ハイブリッド」かもしれない存在と、数回、出会っています。中でも、最近の2度のものは、かなりその可能性が疑われるものです。それらは、外見は、本当に人間と異ならず、実際、出会っているときは、人間だと一応思っているのですが、突然の現われ方、変な歩き方、醸し出す雰囲気など、いろいろな面で、「異質」な「インパクト」があり、後で思い返すと、やはり、ただの人間とは、思えないものです。

私は、一連の体験で、「物質化」現象というものを何度か経験し、その後も、「アール」という固有名で呼んだ、「アーリマン存在」または「捕食者」が、「人間」を装って、直接「物質化」して現われることも経験しています(これは、長い間身近に接していた存在なので、疑いなく分かります)。だから、何か、「尋常でない」振舞いをする「人間」について、これらの存在が「物質化」して現われたものである可能性を、認めることには抵抗はありません(むしろ、そう思い過ぎないように、抑制することの方が多いです)。

しかし、それにしても、先の者らの場合、このような存在の、あまりにも強力なインパクトとは比べ物になりません。それと通じる要素は、あるにはありますが、どこか「虚弱」で、人間に近いもの、あるいは、主体性をもった存在というよりは、どこか、ロボットのように、操作されている感じのする存在です。それは、ただの人間とは思えないにしても、「捕食者」のような存在そのものとも思えないものだったのです

だから、後に述べるように、それは、単に、奇妙な振舞いをする、「操作されている人間」である可能性、あるいは、ほとんど「クローン化された人間」という可能性もあります。

ただ、やはり、ただの「人間」としては、異質との思いが強かったところ、後に、『ヒトが霊長類でなくなる日』を読むことになって、それと照らし合わせてみると、よく符合するので、「ハイブリッド」である可能性が疑われたのです。

そして、それらは、まさに「集団ストーカー」戦略にいう、「ガスライティング」そのものといえるような、行いをして来ました。いずれも、こちらの、ちょっとした「ネガティブな思い」に、乗っかるようにして、まさに「絶妙なタイミング」で現れ出ています。

一度は、私が、家の前の道路の脇の木の延びた枝を、かなり大量に切って、それを後でまとめて取りに来ようと、一旦、(「ちょっとまずいかな」という「思い」をもちつつ)道の脇に置いたままにした後、後でそれを取りに来たとき、そのタイミングで、いきなり、隣の家近くの曲がり角から道に現れ、前かがみで手をもむような変な歩き方で、見かけない女の人が早足で近づいてきて、私の切った木の枝のまとまりを、「これ見よがしに」見て、次に切った木の方を、これまた、「これ見よがしに」見て、そのまま、別に何言うでもなく、次の曲がり角を曲がって、去っていったのです。

「これ見よがし」と言いましたが、本当に、志村けんか加藤茶かと思うほど、大げさな演技で、「なんだこれは」と言うかのように、思い切り、「あてつけっぽく」見たのです。私は、一瞬、咎められている気がして、「ムッ」としそうになりましたが、あまりに「関りたくない雰囲気」を醸し出していたので、それ以上気に留めることはなく、放っておきました。

もう一度は、ちょっと事情あって(このときも「ちょっとまいずかな」という「思い」はありつつ)、夜中にゴミを出しに行ったときのことですが、ゴミ置き場に行く途中の道路に、まるで「待ち構えていた」かのように黒の車が停めてあって、私がゴミ置き場の方に歩いていくと、急に外に出ていたらしい、見かけない男が車に戻って、車を動き出して、しかもゆっくりと私をつけるかのように、ゴミ置き場のすぐ近くまでついて来て、そこで停まるのです。私は、実際はかなり気にはなっていたのですが、気にしない素振りで、ゴミを捨てていると、車から、男が出てきて、近づいて来て、ゴミ置き場のすぐ横で立ち止まって、そこでじっとして、不審な挙動をしているのです。手には、スマホをもっていましたが、別にそれに夢中になっている様子もなく、私がゴミを捨て終わると、また戻って来て、車に戻り、また同じように、極度にゆっくりした運転で、私とは別の方向に行って、去って行きました。

私も、夜中にゴミを捨てることを咎められるのかなという思いと、同時に、単純に、つけ狙われているような恐れもいくらかは感じたのですが、これは、女性や子供であったら、相当の恐怖を感じたことと思います。夜中で、相手の様子があまり見えなかったこともあり、見かけ上、どこまで「異質」かは分かりにくいですが、全体として、行動が明らかに「異常」であり、「偶然」の出来事とは思い難いものです。

私も、ちょっと後ろめたい思いがあったこともあり(まさに、そこにつけ込まれているのですが)、また、「関りたくない」思いもあったので、特に、何か言ったりすることはしませんでした。(今度、似たことがあったら、話しかけて、何か聞き出してみようかとは思っていますが、そう思って以来、はっきりとは現われ出ていません。)

いずれにしても、いずれも、意図的な「嫌がらせ」だったとしても、非常に「微妙」なものであるのが分かると思います。はっきりとした、明ら様な嫌がらせというには、あまりにも間接的で、「姑息」といえるものです。実際、こちらに対して、直接、攻撃的な行動をとる様子はうかがわれないし、何か、こちらに、話しかけたりする素振りもありません。むしろ、自ら近づいていながら、こちらを怖がっているかのようにすら見え、人間としては、どこか「虚弱」な雰囲気が漂います。

だから、私自身は、後で、ただの人間でない可能性は考えましたが(ある意味、こういったことには「免疫」があることもあって)、特に「恐れる」ことはありませんし、特に気にもしません。しかし、こういうことが、もし、毎日のように続くとしたら、まったく囚われないというわけにはいかないでしょう。

また、先に述べたように、私は、これらが「ハイブリッド」だと確信しているわけではなく、人間を操作しているに過ぎない、あるいは、見かけ上も「異質」な面が多くあるので、ほとんど「クローン化された人間」である可能性もあると思っています。ただし、それらの背後に、「捕食者」の指揮は、嫌というほど感じるので、これらの全体が、単に、「偶然」というか、「集団ストーカー」戦略とは何の関係もない、という可能性は、ほぼないと思っています。

また、もし、これらが「ハイブリッド」だとしても、実際に、既に人間の世界に入り込んでいる存在だとは、解し難いです。その場合は、もっと、このような出来事が、頻発して起こることでしょう。

彼らの「移動能力」または「技術」からすれば、ときおりならば、UFOなり、どこかに集められている「ハイブリッド」を、このような目的のために、一時的に「転送」させて、「ガスライティング」を行うことは可能でしょう。そして、とりあえず、多くの人に向けては、このように、彼らによる、ときおりのインパクトある「ガスライティング」が仕掛けられれば、「集団ストーカー」は厳としてあるという思いを生じさせて、以後周りの人間の行いも、「ガスライティング」の疑いのもとに見させるようにし、自ら深みにハマらせていくことは、十分可能なのです

もちろん、「ハイブリッド」を大量に人間世界に輩出できれば、それに越したことはないと思っているでしょうが。

いずれにしても、このとき、私が思ったのは、これこそが、「集団ストーカー」被害者の一部(全部ではなく、本当にこれに類する何らかの「仕掛け」を受けている、「一部」の被害者です)のいう、「ガスライティング」そのものだなあ、ということです。確かに、人間の操作として行われるものよりは、強力で、「集団ストーカーはある」と堅く信じてしまうのも、致し方ないものがあります。それを、ある意味、「捕食者」の側で、「こういうものもあるのだ」と教えてくれたようなものです。

また、もう一つは、本当に、彼らは、こちらの、「ネガティブな思い」につけ込んでくるなあ、というこです。これは、「集団ストーカー」戦略に限らず、彼らの戦略のあらゆる点において、そうです。それも、ほんの、ちょっとした(本来もつ必要もない、どうでもいいような)、「ネガティブな思い」につけ込んで、それを限りなく、大きく膨らませようとして来ます。この点では、こちらも、反省というか、教訓として受け止めなくてはなりません。変に、後ろめたいような、「ネガティブな思い」はもつ必要がないし、また、もしもつようならば、そんな行いはしないに越したことはないということです。

前回、ネガティブな宇宙人のアブダクションについて、被誘拐者にも、教訓となる要素があるから、あえて阻止されていないということを述べました。これは、「集団ストーカー」戦略の「ガスライティング」にも言えることのはずなのですが、それについては、次回述べることにします。

2018年4月 3日 (火)

宇宙人と地球人の「融合プロジェクト」について

宇宙人と地球人の「ハイブリッド」を作り出して、融合させる、「融合プロジェクト」などというのは、いかにも衝撃的に聞こえるものでしょう。

しかし、大分前から、散発的には、宇宙人による誘拐(「アブダクション」)体験者が、退行催眠下で話す話として、持ち上がっていたものです。「宇宙人の子供を妊娠」または「産んだ」などとして、テレビでも、センセーショナルにとり上げられることがあります。また、いくつかのチャネリング情報でも、語られていました。

ところが、最近、アブダクション事例の著名な研究者、デイヴィッド・ジェイコブスの『ヒトが霊長類でなくなる日 』(竹書房 )という本が出て、最近の事例が総合的にまとめられ、「融合プロジェクト」の全容をかなり詳しく浮かび上がらせています。

多くのアブダクション体験者を退行催眠にかけて、持ち上がった話や、自ら体験を思い出して語った人の話をまとめたものですが、かなり具体的で詳細な内容で、全体に共通性や一貫性があり、とても「作り話」などとは言えないものです。何らかの、物理的痕跡が残っている場合もあります。

アブダクション事例だけでなく、宇宙人関連の情報を総合的に判断すると、確かに、いく種かの宇宙人の間で、地球人との「ハイブリッド計画」、さらには「融合プロジェクト」が進められていることは、間違いないと思われます

アブダクション体験者(「アブダクティ)」が語る内容というのは、おおまかにいうと、次のようなものです。

アブダクティは、気がつくとUFOの中の実験台のようなところに寝かされ、宇宙人によって、精子や卵子を採取される。あるいは、単純に性交をされる場合もある。女性の場合、改めて、子宮に「ハイブリッド胚」を挿入され、一定期間後に胎児を取り出される。その後も何度か誘拐され、その胎児を育てるために何らかの役割をさせられる。さらに、成長したハイブリッドが地球人として暮らすために、さまざまな指導をさせられる場合もある。

アブダクティは、こういった出来事の記憶を消される場合が多いですが、何らかのきっかけで思い出したり、退行催眠によって、記憶をよみがえらせることになるのです。

誘拐する「宇宙人」というのは、いわゆる、「グレイタイプ」が多いですが、爬虫類的なレプティリアン、人間とそっくりのヒューマノイドなど、いろいろあります。
また、UFO内では、グレイダイプと似たものや、人間に似たものなど、さまざまなタイプの、また胎児から、大きく成長したものなど、さまざまな段階の「ハイブリッド」を見ています。

本では、この「宇宙人」については、次のようにまとめられています。

人間を誘拐する者たちのほとんどは、UFO内に暮らしている。そのいずれもがホモ・サピエンスと肉体的には似通っているが、その一方では、想像もできないほど強力な顕著に異なる知的能力を有している。彼らは精神感応力(テレパシー)で意思伝達を行う。「神経連動」によって、誘拐者は、恐怖、憎悪、愛情、性的反応といった多岐にわたる感情を引き出すことができる。
 アプダクティのほとんどは、誘拐されるときにはほぼ必ずと言っていいほど、何らかの形で神経連動の影響を受けている。同様に重要な点として、すべてのエイリアンは限られた距離からなら、神経連動なしに人間の思考や行動を操ることもできる。数センチ先から、あるいは額と額をつけながらアプダクティの目をじっとみつめて視神経を固定し、脳内のさまざまな神経部位を刺激することで、人は彼らの意のままにものを見て、考え、行動することになる。このたぐいまれなエイリアンの神経的、テレパシー的能力こそが、人類と彼らを区別する最も重要な要素である。

「神経連動」というのは、近距離で、直接意思により神経を操作することとは別に述べられているので、おそらく、何らかの技術と連動してなされる能力ということなのでしょう。このような「能力」ないし「技術」は、前回の記事でみたような、「ガスライティング」との関連でも重要なものです。

但し、宇宙人は、アブダクティの思考のすべてを読み取れるわけではないこと。アブダクティも、彼らの裏をかくような思考や行動をすることが、ときに可能なことは、指摘されています。つまり、限界はあるということです。

このようにして、作り出された「ハイブリッド」の段階には、先にもみたように、様々なものがあり、初期タイプ、中期タイプ、後期タイプと進むにしたがって、人間と似たものになります。

その最終段階とされる、「ヒューブリッド」について、本では、次のように述べられています。

ヒューブリッド(融合種)は、人類ハイブリッド化計画の最終到達点である。彼らは神経学的な側面を除き、あらゆる点で人間と区別できない。口頭で話したりテレパシーを使ったりして、人間の神経をコントロールできる。彼らの主要な役割はひとつ―それと悟られずに地球で暮らし、社会にうまくなじむことだ。アブダクション計画において、この目標は最後から2番目に重要である。ヒューブリッドは地球生活の諸側面について学習したあとでさえ、人間の生活の複雑さについてことのほか認識が甘いままであり、アブダクティの多大な助けを必要とする。しかし、学習も早く、社会的な複雑さにすぐに適応する。
 わたしは2種類のヒューブリッドを発見している。一人で暮らす「独立型ヒューブリッド」と、アパートメントを2,3人のヒューブリッドとシェアして暮らす集団型ヒューブリッドである。独立型ヒューブリッドが受け持つのは、彼らに人間社会の複雑さを数か月、ときには数年かけて教えるアブダクティである。
……初めのうちはあらゆるヒューブリッドが複雑な社会で生活していくのを助けてくれるアブダクティに依存しているが、社会化するにつれて助力を必要としなくなる。

このように、「ヒューブリッド」も、宇宙人の能力を受け継いで、テレパシー能力や思考、感情を操作する能力をもつようです。しかし、その能力にも限界があることが、次のように述べられています。

平常時のヒューブリッドはひとりの人間しかコントロールできずに、神経的な力の弱いヒューブリッドが一度に複数の人間をコントロールするのは難しいようだ。従って、ヒューブリッドが人間の集団に脅かされるときは、極めて脆弱である。逆に言うと、彼らは結束することにより、その脆弱さが軽減されることを知ってしまった。彼らは神経的なエネルギー資源を集約することで、手に負えない人間をより完璧にコントロールできるのだ。

このようにして、「ヒューブリッド」が、既に人間世界に送り込まれている、というのは、やはり衝撃的であり、信じ難い面もあります。テレパシー能力や思考、感情を操作する能力を受け継いでいるのも、脅威といえば脅威です。

しかし、次回述べるつもりですが、私も、ヒューブリッドに限らず、宇宙人や捕食者のような霊的存在であっても、確かに強力である一方で、そこに「脆弱性」のようなものは、常に感じます。言い換えれば、人間に対して、特にその「暴力性」に対する、かなり根源的な「恐怖」をもっているようだということです。それは、おそらく、我々が、馬や牛などの家畜動物に対してもつものと似ていて、普段従順のようでも、本気で反乱されたら敵わないといったものと思われます。

また、そのような人間に対する恐怖や、距離感のようなものは、まなじっかテレパシー能力や操作能力があるために、増長されているのだと思われます。

先の文では、ヒューブリッドは、人間生活の複雑さになじめずに苦労するが、いずれ適応して、なじんでいくと述べられていました。しかし、それは、言えるとしても、後にみるように、一部の「優秀な者」のみなのであって、多くは、とてもそのように人間世界に入り込めるものではないと思わざるを得ません。また、本でも、彼らの、人間世界になじめない苦労の様子が、ちょうど「自閉症」の人の苦労と似たようなものとして、多くとりあげられています。

私は、とても、これらの存在が、容易に人間世界に入り込めるとは思えないのです。その意味では、「融合計画」をそれほどおそれる必要はないということです。

とはいっても、多くの人は、人間を誘拐して、一方的に、このような計画を実行するなどは、我々としては、とても受け入れ難く、許せないと思うでしょう。実際、ジェイコブスも、この計画の全体を、「邪悪な宇宙人による地球乗っ取り計画」そのものとして捉えています

徐々に、宇宙人と地球人のハイブリッドを人間の世界に入り込ませ、融合させて行き、最終的には、地球そのものを乗っ取ることを目的としているということです。先に、ヒューブリッドを人間社会になじませるのが、「最後から2番目の目標」とされていましたが、最終的な目標は、このような「地球全体の乗っ取り」ということだからです。

目的については、後にみるように、様々なものがあり得るでしょうが、このように、ネガティブな宇宙人による、「邪悪」な意図による「融合プロジェクト」というのは、確かにあるようです。

ところが、一方、「チャネリング」系統の情報でよくいわれるのは、「アブダクション」や、「ハイブリッド」の形成というのは、実は、宇宙的には、太古の昔から、普遍的にある出来事であって、対象である地球人も、魂のレベルでは合意している事項であるということです

たとえば、私自身、初めに、チャネリング情報というものに、みるべき価値があることを認め、自分の一連の体験を顧みるときにも、大きく参照となった、ジーナ・レイク(のチャネルする存在)は、次のように言っています。(『アセンションへの道』ナチュラルスピリット)

混血の育成は、交配に関るETの種族を救うためでもなければ、人類を種族として改良したり救ったりすることが目的なのではありません。この手の交配は広大無辺な宇宙全体で普遍的に行われていることであり、例をあげれば地球の農業の交配と何ら変わるところがありません。
 遺伝子工学は、単に種の学習と進化の一端を担うものであり、それがみじめな失敗に終わる場合もあれば、偉大な発達につながることもあります。遺伝子工学の関係者たちが生命の遺伝子を操作する行為を非倫理的なこととみなさない一方、遺伝子操作という分野へのとり組み方や、研究の成果の利用法によっては、遺伝子操作は非倫理的な行為になると言わざるを得ません。あらゆる種族の科学者というものは好奇心に満ち、探求心にあふれ、学び、発見し、彼らはそれを実験という行為を通じて表現します。彼らはそのような実験を通じて重要な教訓を学び、知識や知恵を発達させていくのです。
 遺伝子操作によって作り出された混血の者は、地球からどこか別の場所に移動させられている場合がほとんどで、地球に残されているのはほんの少数に過ぎません。ですが、この少数の混血の者たちは、地球の大転換に関して大いなる責任を担うことになるでしょう。

変に、地球人にとっての利益を強調したり、自分らの行為を正当化せずに、客観的に、実験的な意味合いであることと、進化上の必然であることを示すのみであるのが、むしろ真実味を感じさせます。

現在、この「ハイブリッド」計画を主に進めているのは、ゼータ星人(いわゆるグレイタイプの宇宙人ですが、実際には、この中のネガティブなタイプが「グレイ」と称されているようです)とされています。彼らとしては、彼らの進化の方向として、感情を排除するということがあり、それが彼らの更なる進化を行き詰まらせたので、地球人の感情的要素を取り入れて、改善するということ。地球人にとっても、ゼータの様々な能力を取り入れることは、進化的に意味があることで、それに魂のレベルで同意する者に、このような計画が実行されているということです。

実は、チャネリングの走りとして有名な、エササニ星人のバシャールも、このようにして形成された「ハイブリッド」というのです。エササニ星自体が、地球人とゼータ星人のハイブリッドによる惑星ということです。といっても、現在の地球の時間からすれば、一つの「未来」であり、可能性としての「パラレルワールド」ということになります。

本にまとめられている体験談も、このゼータ星人によるものが多いようです。ジェイコブスは、全体を邪悪な意図によるものとみているのですが、これには、どうも、邪悪なものとそうでないものが、一緒にされ、混在されているように思われるのです

私も、このような、ハイブリッド計画というものは、にわかには、受け入れ難く、本当に、彼らの言うとおりに、そのままに受け取る気にはなりません。しかし、宇宙人と地球人とが接触する限り、このような「融合」は、起こり得ることと思わざるを得ません。地球上でも、文明と文明が接触して交われば、必然的に、融合ということが起こって来ました。「日本人」というのも、「縄文人」と「弥生人」のハイブリッドということになります。

それ以前に、そもそも、記事『「プレアデス+」と「創造神」「捕食者」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-d8e8.html)などでみたように、人間自体が、宇宙人と地球上の類人猿の「ハイブリッド」として創造されたということもあります。もともと、人類が誕生するときに、宇宙人が存在したなら、そのようなことが行われていないとみる方が、無理なのです。そうでなくとも、生命の進化説として、細胞と細胞の「共生説」というのもあります。実際、生命の多様さとは、「ハイブリッド」ということを抜きにしては、考えられないものでしょう。

だから、ハイブリッド計画や融合計画自体が、「邪悪」なものとは、言えないと思います。ただし、事実上、文明と文明が接触し、このような計画が実行されるとき、優位にある方が主導権を握って行われるし、我々としては、いろいろと不利な立場におかれることも、必然と言わなくてはならないでしょう。

我々には、これらの存在との接触自体に、未知の恐怖がつきまとうし、どうしても、これまでの地球上でのあり方を否定され、侵害されているような思いがつきまといます。実際、アブダクション体験者の語りにも、それは反映されています。

ジェイコブスが、計画の全体を邪悪な意図によるものと解するのも、十分の理由があると思います。しかし、やはり、全体として、はっきりと邪悪な意図に出たものと、そうでないものとは、区別する必要があると思います。

実際、ジーナレイクも、ネガティブな宇宙人による、アブダクションやハイブリッド計画もあることが、次のように述べられています。

ネガティブなETによる誘拐は、被誘拐者との魂の合意なしに一方的に行われます。ですが、彼らによる誘拐も被誘拐者の成長に役立つことから、被誘拐者の魂はすくなくとも彼らによる誘拐を黙許しているのです。

「魂の合意」ということ自体、彼らの側の一方的な捉え方によるともいえ、本当だとしても、微妙な問題をはらみます。しかし、「邪悪」かどうかの一つの基準として、この「合意」ということが大きく関るべきなのは、少なくとも納得できることです。

「被誘拐者の魂自体が誘拐を黙許している」という言い方も、微妙ですが、これは、言い換えれば、それ故に、彼ら自体も、ネガティブな存在による誘拐を「黙認」しているということです。

これは、人間でも同じですが、一つの難しい問題として、「自由意思」を尊重するということがあります。他の種族の自由意思が尊重される限り、それが「邪悪」と判断される場合でも、極力、直接的な実力行使による阻止は控えられるべきことになるでしょう。もちろん、一切のルールを排すのでは、混沌とするだけだし、ルールが守られるためには、一定の罰則や実力による阻止も必要になることはあるでしょう。

しかし、この「アブダクション」と「ハイブリッド」計画には、地球人の成長に役立つ、教訓的な意味もあるので、あえて阻止はされていないということです。ただし、同時に、後にみるように、ネガティブな存在のこのような計画が、まともに機能するとは思われてもいない、ということもあるのだと思います。

実は、このようにして、他の存在によって、あえて阻止されていないということは、前回みた「集団ストーカー」戦略についても、言えるはずのことです。が、これについては、次回にみたいと思います。

このように、融合計画については、全体として進化の必然であるとしても、その中には、ネガティブな存在によるものがあるということは、確かのようです

ネガティブな存在の計画は、おそらく、彼らの存在自体の、生き残り計画でもあり、あるいは、彼らも、他の存在による全体としての融合計画を知っているでしょうから、それを阻止したい、彼らの都合のよいものに変えたい、という思いもあるのでしょう。

そして、最終的には、「乗っ取り」を意図しているということも確かにあるのでしょう。しかし、既に何度か述べたように、それが、可能とはとても思われません。

彼らが、人間の世界に入り込むのが、いかに大変かは、アブダクティの語りからも、よく伝わって来ます。先に、「いずれ適応する」と述べられていましたが、これは、ネガティブな存在ではない方のハイブリッドと思われ、しかも、その中でも一部の「優秀」な者について言えることのようです

私自身、次回みるように、そのようなハイブリッドかもしれないものと出会っていますが、やはり、普通に人間世界に適応できるというようなものではないと思われます。まして、彼らが、徐々に人間に取って代わるなどということは、考え難いことです。

但し、一つ、もし、記事『身近に入り込んでいる「宇宙人の技術」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-7e52.html)でみたような、「人間のクローン化」ということが、押し進められていくなら、それは実質上、このようなハイブリッドと変わらない地球人を、多く輩出することになります。そうすると、全体として、人間がハイブリッドに融合して行く地盤ができるということは考えられます。恐らく、彼らとしては、その両者を、狙っているのでしょう。

前回、あくまで「可能性」であり、今後の「展望」といいましたが、このように、わずかではあっても、既に、地球に、地球人として入り込んでいるネガティブな存在との「ハイブリッド」は、いるのかもしれません。

しかし、そのような存在が、とりあえず、人間に向けて、できそうなことと言ったら、これしかありません。それは、前回みたような、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」ということです。

しかし、それについては、次回述べます。

2018年3月17日 (土)

「集団ストーカー」という観念の問い直し 補足と展望

前回までの一連の記事は、「集団ストーカー」という観念が、いかに戦略に満ちたもので、その観念を信じさせ、広めることで、人と人の間に、多くの軋轢と葛藤をもたらすことができるかを明らかにしたものです。もちろん、本人においては、その観念を信じさせることで、恐怖や混乱を拡大し、その観念自体から、抜け出し難い、「地獄的現実」を与えることができます。

そして、その戦略と行いは、人間を超えたところから来るもので、「捕食者」等の、人間心理をよく読み通すことのできる存在が、なし得るものであることを明らかにしました。ところが、この「人間を超えたもの」であることを強調したため、このような存在が、物質的なものを超えた、万能の存在で、人間を意のままに操り、何でもできるかのような印象を与えたかもしれません。

しかし、これらの存在は、物質的な領域を超えたところから働きかけることはできますが、完全に物質的なものを超越しているわけではなく、自在に物質的なもの(存在)を操れるというわけではありません。それは、彼らにとっても力のいることで、物質的な領域を離れた存在として、大きな制約もあります。人間も、物質的な存在である(肉体をもつ)ことによって、それらの存在から、「護られている」ところがあるのです。(直接、彼らの「声」が聞ける場合は別ですが)物質的なものを通して、人間に、彼らの意図するような、的確な影響を与えるというのは、やはり大変なことなのです(その意味では、「簡単にできる」と言ったのは、あくまで人間の場合との比較でしたが、誤解の元でした)。

逆に言えば、だからこそ、彼らの行いを最小限にして、この観念を信じ込ませること自体から、その効果を最大限引き出す必要があるということもなるのです。つまり、彼らにとっては、「戦略」こそが、「すべて」と言っていいほどに、重要なものになるということです

しかし、これも、逆に言えば、人間の側が、このような「戦略」に乗らなければ、彼らのできることには、大きな制約があるということです。

また、「集団ストーカー」(ガスライティング)を、人間によるものではないとしたことで、「悪」とは、人間が行うものではなく、彼らのような「悪魔的存在」が行うものとの誤解を与えたかもしれません。しかし、人間には人間の「悪」があるのは当然であり、物質的存在としての人間が得意とする「悪」の領域は、多くあります。たとえば、「戦争」その他の、物理的な「暴力」であり、あるいは、私利私欲の「経済活動」などです。

そういった行為にも、背後で、「捕食者」のような存在が働くことは多いですが、その場合にも、現実に「人間自身」がその行為を行うことで、実現されます。前回、「ユダヤプロトコール」をとり上げ、「捕食者」による、「ガスライティング」と同質の戦略だと言いました。が、この「ユダヤプロトコール」は、物理的世界の現実的な支配の方法について述べたものであり、支配層の人間によって、実際に実現されてこそ、機能するものです。

それに対して、「ガスライティング」の特徴は、徹底して、人間の「心理」「精神」に向けられた戦略であり、人間の精神を混乱させ、崩壊に導くことを狙ったものです。それは、人間心理を、つぶさに観察し、リアルタイムに、見通すことでこそ、可能となるものです。また、そうであってこそ、(すべてを見通されているような)恐怖をもたらすものです。このような領域こそ、彼らの得意とする領域であり、その本性をいかんなく発揮できる領域なのです。人間では、とても不可能な領域です。

ただし、これも逆から言えば、これらの存在は、「こういうことができる」というよりも、「こういうことしかできない」とも言えるのです。これらの方法は、人間心理を捕らえることができれば、それこそ際限なく、深みにはまって、強力な効果を発揮しますが、本人が囚われることがなければ、逆に、ほとんど、影響を与えることができないものでもあるのです

第3回のところで、スウェデンボルグの悪霊に関する記述を引用しましたが、スウェデンボルグも、これらの存在への対応策として、次のように述べています。

私の体験からはっきり言えるのは、悪霊は無理に追い払おうとしてもダメで、そうすればするだけ、彼らの術中にはまるということである。逆に相手にならずにいると、彼らは自分から退散していく。

何しろ、「集団ストーカー」戦略()は、彼らにとって、本性そのままを発揮できる、得意領域であり、それを通して、人間を貶め、軋轢や葛藤を拡大できる、有望なものです。何度か述べたように、彼らの存在が一般に認められなくなり、人間同士の結びつきが失われた現代こそ、この戦略はよく機能するのです。可能性としては、「魔女狩り」のときと同じように、多くの人間が、お互いがお互いを、「加害者」として糾弾し合って、混沌とする状況にまでいたることも見込めます。

それで、「捕食者」としては、「集団ストーカー」戦略を、今後もさらに継続し、拡大したいと思っているようです

ただし、そうするには、先にみたような、いくつかの弱点は、補われなければなりません。一旦、この観念を信じさせることに成功すれば、そのこと自体から、それを補強するような「現実」は、いくらでも生み出すことはできます。が、この観念をもっと広く信じさせるためには、さらに強いリアリティを吹き込む必要があります。適当に、その場その場の人間を操作することや、多くの人間を巻き込んで、「共時姓の演出」をすることは、力のいることで、手間もかかるし、必ずしも、彼らの狙ったとおりの効果をもたらせるとは限りません。

一つの方法として、記事『「MIB」のその後と「集団ストーカー」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-4224.html)で述べたように、彼ら自身が、「物質化」して、直接人間に働きかけるという手もあります。しかし、それはそれで、大変なことであり、リスクも大きくあります。また、それでは、大きなインパクトは残せますが、大量の人材を関わらせて、細やかな行いを繰り返し行うことはできません。

そこで、方法としては、人間を操作するだけでなく、彼らの意図を的確に表現できる、自由に利用できる存在を、人間の世界に多く輩出するということが考えられます

前に何度か引用した、『悟ってアセンション』に述べられたような、「人間のクローン化」計画は、主体的意識が大きく削がれた人間を輩出することで、ロボットのような、「操作し易い」人間を多く生み出します。それは、この「集団ストーカー」戦略を実行するのにも、利用できる都合のいいものです。現に、これは多く実行されていることと思われます。ただ、これらの存在も、一応人間である分、操作に限界があります。

ところが、彼らは、さらにもっと、彼らの意図を的確に実行できるような存在を、多く輩出したいと考えているようなのです。

それは、人間をクローン化するというだけでなく、彼ら、特に「宇宙人」の側から、人間に似せた存在を、作り出して、人間の世界に輩出するということです。『悟ってアセンション』でも、「宇宙人のクローン化」という計画があることには触れられていました。が、さらに、最近の「アブダクション」事例などをみると、宇宙人と人間との「ハイブリッド化」ということも進められているようなのです。

これは、現在のところ、あくまでも「可能性」であり、これらの存在が、本当に人間の世界に入り込むことかできるかには、かなりの疑問もあります。しかし、今後の展望として、可能性としては、このような存在を、「集団ストーカー要員」として使うことで、よりリアリティを高め、恐怖と混乱を拡大するということも、考えておかなければならないことでしょう。

ただ、これは、彼らのようなネガティブな存在だけでなく、全体としての、「宇宙人と地球人との融合計画」ということに絡むことであり、微妙な問題が多くあります。述べることがためらわれる部分もありますが、しかし、既に、記事『「MIB」のその後』でも、このような方向性については示唆したことなので、次回にひととおり述べておくことにします。

ただし、改めて注意しておくと、まずは、これまで述べてきたように、「集団ストーカー」という観念とその戦略について、基本的なことを理解してもらうことが重要であり、先決です。何よりも、前回までの記事を、しっかり押さえておいてもらいたいと思います。

そのうえで、今後の展望の問題として、あえてそのような問題にも踏み込みたい方は、次回の記事も読んでもらえばいいと思います。

※ 「集団ストーカー」という言葉を使って、ことの全体を言い表そうとするならば、このように「集団ストーカー戦略」と呼ぶのがいいでしょう。その全体が徹頭徹尾「戦略」であり、「集団ストーカー」という言葉が使われること自体、「戦略」に含まれる、という意味をこめてです。

2018年3月10日 (土)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 4

「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」には、人間によるものを装いつつ、「捕食者」の、人間を貶めるための巧妙な手法が、明らかにされていました。この「ガスライティング」と同様、「捕食者」が、人間の心理を巧みについて、人間を支配し、貶める方法を明らかにしている、有名なものがあります。「ユダヤプロトコール」(または『シオン議定書』)と呼ばれるものです

今から、100年以上前、ユダヤの最高評議会で、ユダヤの支配に屈すべき多くの人間(ゴイム)をいかに支配するかということの協議がなされ、それを記録したとされるものです。ここには、その全文の翻訳があげられています。(http://urltv.634tv.com/sion.pdf

今では、旧ロシアの反ユダヤ勢力が、ユダヤ人を陥れるために作成した偽書とされていますが、単に、ユダヤを陥れるための作りごととは、とても思えないものです。その内容は、「ガスライティング」と同様に、人間心理を知り尽くし、巧みについた、説得力に満ちたものです。それは、「非人間的」な、徹底した戦略に貫かれたもので、「ガスライティング」の場合と、全く同質のものを感じざるを得ません。

つまり、人間の支配層によるという体裁をとっていますが、その実質は、「捕食者」による、人間支配のための戦略そのものなのです

一部分のみですが、興味深いものを、いくつか、引用してみます。

1 権力者たちに権力の濫用をさせるため、われわれは、すべての勢力をほしいままに独立させ、互いに相争わせた。このために、われわれはあらゆる企てを勧め、あらゆる党派を力づけ、権力を得ることをすべての野心家の目標にさせた。われわれは非ユダヤ人の国家を騒乱の競技場にした。もう少しすれば、暴動と破綻はいくらでも起こるだろう。     第3の議定書

2 われわれは時に応じ状況に従い、国政に対する世論を刺激したり鎮めたりできる。われわれはある時は真実、あるときはデマを流し、説得したり、逆用したりする。それは民衆がどう反応しているかを見て対応するのであり、事実に基づいて述べもするし、また事実否定もしなければならないのだ。   第12の議定書

3 我々が彼らに吹き込んだ科学の法則を信じ込ませて、疑わせないようしなければならない。このためにわれわれはマスコミを使い、理論に対する彼らの盲目的な信仰を高めるのである。非ユダヤ人のインテリは、その学識を誇りとし、理論的証明をしただけで、われわれのエージェントが集めておいたことにも気づかず、すべての学説を、われわれの必要とする方向に実行するだろう。    第2の議定書

4 彼らの思索力を隷属化させることは、すでに「視覚教育」と称する方法ではじめられている。この視覚教育の主な狙いは、非ユダヤ人をすべて脳を働かせただけでは物が考えられず、絵を見なければ何も理解できない従順な動物にすることである。
                  第16の議定書

5 彼らに事情をさとらせないようにするために、われわれはさらにマス・レジャーを盛んにする。やがて我らの新聞で、芸能、スポーツがもてはやされ、クイズも現れるだろう。これらの娯楽は、われわと政治闘争をしなければならない人民の関心を、すっかり方向転換させてしまう。     第13の議定書

1は、支配の対象を、互いに分裂させて、闘わせるという、いわゆる「離間政策」ですが、今も、いたるところで、なさています。この書自体、「ヤダヤ人」対「非ユダヤ人」の対立を煽るものと解せます。そして、まさに、今問題にしている、「集団ストーカー被害者」と「(病気として)排撃しようとする人たち」との争いにも、それが反映されています。つまり、「集団ストーカー」という観念を広めることには、このような人間同士の軋轢や葛藤を拡大させることも、意図されているのです。このようなことは、「捕食者」の、人間支配のための重要な戦略の一部であり、このことが、この文書には、はっきり書かれているのです。

2は、真実や虚偽を自在に交ぜて、情報を撹乱するということですが、これも、今もなされる、情報操作の主要な手口です。「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」の方法にも、このような真実と虚偽の混在が、みられます。「感覚レベル」では、彼らの実際の行いを反映する「真実」を含んでいながら、それを、人間によるものとして、全体として「虚偽」の方向に曲げられているのです。

3の「科学信仰」を吹き込むというのも、現在もいたるところでみられる、重要な戦略です。彼らが「集めておいた」データにより、「科学的」という体裁をとれば、多くの人が盲目的に従う可能性があるからです。また、これは、そもそも彼らの存在自体を隠せるものとして機能します。「集団ストーカー」もそうですが、「テクノロジー犯罪」となると、まさに、この「科学信仰」に寄せた解釈が目白押しです。それは、むしろ、「疑似科学」的ないかがわしさを醸し出しもしますが、そこに「真実味」を感じてしまう人も多くいるのです。

4、5は、人間の思考の矛先を、彼らの方に向かわせないため、想像力を減退させ、思考停止に陥らせるたための戦略です。「視覚教育」とは、テレビ、スマホ、ゲームなどによる、イメージ戦略で、まさに今、加速度的に進められているものです。4にみるように、大衆を、スポーツ、芸能などの娯楽に、のめり込ませるのも、その重要な要素であり、現にそうなっているものです。

いずれも、「ガスライティング」に負けず劣らず、説得的なもので、人間を超えたところから来るものをみないではいられないでしょう。

出口王仁三郎も、この「ユダヤプロトコール」について、「悪のお筆先」と評しています。大本教の「大本神諭」は、艮の金神の「お筆先」(自動書記により降ろされた書)として有名ですが、この「プロトコール」は、同様にして、悪の存在が「自動書記」により書かせたものということです。

ただし、書いた本人自身が、そのことを、意識しているかどうかは重要ではありません。本人が意識しないでも、アイデアとして吹き込まれるということは、いくらもあることです。また、この観点からは、「偽書」であるかどうかも、あまり重要ではありません。偽書であるとしても、その内容に、「真実」が含まれている限り、影響をもち続けるし、実際、その方が効果的な面もあるのです。

これらの戦略は、「プロトコール」のいうとおり、実際に、支配層としての「ユダヤ金融資本家」(古来のユダヤ人ではないですが)や、「捕食者」の僕である「悪魔主義者」を通して実現されるということは、確かにあるといえます。しかし、「捕食者」にとっては、それは必ずしも重要なことではなく、人間全体を支配・統制するための、手段の一つに過ぎません。

むしろ、その衝撃的で、説得力ある内容により、多くの人間に、恐怖と混乱を与えること。それを通して、人間同士の間に、様々な、軋轢や葛藤もたらすことが重要です。実際、ナチスのユダヤ人政策に大きな影響を与えているし、今も本物と思う人は多いのです。偽書ということでも、それは、「反ユダヤ主義」を貶めるなど、様々な影響をもたらし得ます。さらに、支配層や支配的な地位にいる人が、このような具体的な戦略を知って、改めて「悪用」するということも可能でしょう。

いずれにしても、 彼らの手口を明かすことによって、人間のものとは思えない、恐怖や嫌悪とともに、強力な説得力が、もたらされているのは、「ガスライティング」の場合と同じなのです。

言い換えれば、「ガスライティング」という方法もまた、「ユダヤプロトコール」と同様、彼らから「降ろされた」ものというべきものなのです。前々回みた、詳細な方法を説いている、『Gaslighting』という本や、「集団ストーカー」の場合の「ガスライティング」の方法をまとめたサイトなどは、彼らの、そのような働きを受けているものと思われます。本人自身は、摘発する意図でなしているのでしょうから、そのような意識はないにしてもです。

実際、「ガスライティング」には、一旦リアリティを感じれば、人を疑わせるだけのものがあり、そうなれば、人を疑心暗鬼の目でみるようになります。それだけでも、人と人の間に、多くの不和をもたらし得ます。ただでさえ、人と人の間が、ぎすぎすしている現代では、非常な効果を発揮します。さらに、実際に、他の人間を加害者とみなすようになれば、もっと多くの軋轢と葛藤が生まれるのは必至です。あるいは、そうでなくとも、その具体的に明かされている方法は、実際に人を陥れようと思った人の、「悪用」を可能にすることもあるでしょう。

このように、「ガスライティング」は、「捕食者」自身が、その手口を明らかにしつつ、単に、対象である本人のみではなく、多くの人間をも視野に収め、人間同士の間に軋轢や葛藤を拡大させるべく、広めさせているものです

そして、そのような出来事の全体を、「集団ストーカー」と呼ぶのもまた、重要な戦略なのです

第1回でみたように、「集団ストーカー」という言葉がもたらすイメージは、曖昧ではありますが、「集団によるストーカー行為」自体は、「人間的なもの」として、実際にあるものです。人間に身近なもので、「あり得る」ものとしてのリアリティは、この言葉によって、生まれているところがあります。人間同士の感情のもつれなど、人間の「機微」に関わるものだけに、不思議と人の心を捕らえ、魅惑される要素があります。

ところが、その実質は、みて来たとおり、「ガスライティング」という、「非人間的」なもので、「ストーカー」などという、人間的な機微からかけ離れた、冷徹なものです。全体を呼ぶ、「集団ストーカー」という言葉からは、もはや、イメージし難く、大きくずらされたものなのです

「集団ストーカー」という言葉は、「ガスライティング」という、毒に満ちた方法を包み込む、オブラートのような働きをしています。あるいは、毒薬を包む、糖衣のようなものと言ってもいいでしょう。

その関係を、図示すれば、次のようになります。

Photo

「集団ストーカー」という「人間的」で、比較的近づきやすい言葉が、全体を包んでいますが、その実質は、「ガスライティング」という、「非人間的」、「オカルト的」なもので、人間によるものとしては、「あり得ない」ものです。「集団ストーカー」のイメージで、それに近づき、一旦、そこに捕らえられると、実質としての「ガスライティング」の世界に引き入れられ、もはや、容易には抜け出し難い、「地獄」的なものとなるのです。「集団ストーカー」という、いわば「あの世への入口」、それでは弱ければ、「煉獄」から入って、実際に案内されるのは、紛れもない「地獄」だということです。そのように、「誘導」されているのです。

あるいは、他の者にとっても、いきなり「ガスライティング」ということを前面に出されれば、それは、あまりにも信じ難く、嫌悪や反発をもたらすだけのものともなるでしょう。ところが、「集団ストーカー」というオブラートで包まれることで、それは、一応とも正面から露呈せずにいるのです。

もちろん、「集団ストーカー」という言葉が実質的に意味する内容を、実際に知った多くの人は、やはり、あまりにも信じ難く、嫌悪や反発をもたらすことになるでしょう。それは、当然の感覚ですが、そういう人も、何かのきっかけで、「ガスライティング」ということに、何らかのリアリティを持ち始めないとも限りません。それを、虎視眈々と狙っているのが、「捕食者」だからです。そして、そうなれば、もはや、その者自身も、それを疑い始め、そこに本物のリアリティを感じ、抜け出し難い地獄的世界へと引き入れられるかもしれないのです。

このように、「集団ストーカー」という観念そのものが、人をそれに捕らえさせ、人々に広めるための、巧妙な戦略に貫かれたものなのです
                     
この「捕食者」について、カスタネダのドンファンは、我々の「永遠の伴侶」と言っています。また、シュタイナーは、「アーリマン存在」についてですが、現代では、我々の生まれたときから、付き添い、生と死をつかさどる存在になっているといいます。我々の一人一人に、別々の「アーリマン存在」がついているわけではないでしょうが、一個の「アーリマン存在」が、多くの人を個別的に「管理」し、「支配」するまでになっているということです。

その「捕食者」とは、何度もみて来たように、本来、「集団」の背後にいて、「集団」を通して働くものです。

多くの「被害者」が、いくつかの巨大宗教団体や警察、公安、在日組織などの権力的な「組織」を、犯人としてあげているのも、その意味では理由がないではありません。それらの背後に働く、「捕食者」的なものを、直感的に感じとっている可能性があるからです。

しかし、今や、「捕食者」は、直接、個々の人間に「つきまとう」者ともなっています。まさに、「ストーカー」です。その意味では、「集団ストーカーは実在する」、ともいえるのです。もちろん、人間などを超えた、本質的なもので、誰にとってもの、逃れ難い「伴侶」としてですが。

次回は、簡単な補足と「集団ストーカー」についての今後の展望を述べておきます。

«「集団スト-カー」という観念の問い直し 3

新設ページ

ガジェット時計Part11(光る玉・バージョン) - ガジェットダウンロードするなら、ガジェットギャラリー
2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

コメントの投稿について

無料ブログはココログ